妹は姉になりたくて仕方ない
陽菜は姉になりたい。
彼女の姉は春の日差しのような人だ。温かくて優しくて、名前のように小さな春のように笑う素敵な人。
幼い頃から、それこそ物心がつく前から、彼女は姉が大好きだった。
大好きで大好きで大好きで――姉になりたくて仕方なかった。
(今度の男もつまんない)
彼氏に別れを告げるLineを送ってため息を吐く。
姉の好みでそろえた自室のベッドにぼすんと横になった。
姉が好んでいるゆるキャラのぬいぐるみを抱きしめて、姉に憧れて伸ばしている髪を指先に巻き付けて弄る。
(お姉ちゃんあの人の何が良かったんだろう)
姉の高校時代からの同級生だったという彼氏は、少し前に陽菜が心陽から貰ったものの一つだった。
顔はまあまあ整っていて、大学進学を契機にイメチェンをしたタイプ。
明るい茶髪がいかにも軽薄そうで、陽菜が「お姉ちゃん、セックスさせてくれないでしょ?」と迫ればころりと彼女に転げ落ちた。
(次の人はまともだといいんだけど)
姉の次の彼氏はどんな人だろう。
今度はもうちょっと金銭に余裕がある人だといいな、とそんなことを考える。
陽菜にとって、姉である心陽の『お下がりを貰う』のは『当然の権利』だ。
心陽の幼馴染も親友もクラスメイトも彼氏も、みーんな陽菜のものである。彼女は同い年には興味がない。
だって、姉が心陽の同級生に興味を示さないから。
陽菜の好みは姉と同じなのだ。
昔から、陽菜は姉になりたくて仕方ないから。
だから、全て姉のように振る舞った。
学年トップを維持し続ける姉のようになりたくて、夜遅くまで勉強を頑張った。
(陽菜はいつも中の下だった)
食べても太れない体質で痩せてスレンダーな姉のようになりたくて、運動もダイエットも頑張った。
(痩せてるのに胸は大きい姉のようにはなれなかった)
化粧も姉と同じ雑誌を購読して研究を重ねた。
(綺麗な姉と可愛らしい面立ちの陽菜では全く同じにはなれなかった)
「お姉ちゃんになりたい」
すっかり口癖になっている言葉を吐き出して、陽菜はもう一度ため息を吐き出す。
同じ両親をもって生まれたのに、心陽はあまりにも陽菜にとって遠い存在だ。
その心陽も大学への進学を期に家を出てしまった。
陽菜は言葉を尽くして説得したのに、家からギリギリ通える距離の大学に進学しながら、心陽は一人暮らしを選択したのだ。
その上、一人暮らしをするアパートの場所は教えてくれない。
両親に問いただしても言葉を濁される。
「お姉ちゃんに会いたいなぁ」
もう一年近く姉に会えていない。
お盆もお正月も帰ってこなかったうえ、街中で偶然、なんてこともない。
姉が友達のように扱っていたぬいぐるみの首をギリギリと腕で締め上げる。
心陽が大切にしていたものだから捨てないが、本当はこんな幼い子供が好むようなぬいぐるみは陽菜の好みではない。心陽にだって似合わない。
「髪を切って染めないと」
今日、心陽が美容室に行った。その際に長かった髪をバッサリと切り落して、ミディアムにして明るい色に変えたのだと陽菜は知っている。
枕もとに放り出していたスマホを手に取って、美容室の予約を入れる。家からは少し距離があるが、姉と同じ美容室の同じ美容師を指定する。
「明日の予約、と」
本当はいますぐに美容室に行きたいが、閉店まで時間がない。
切るだけならまだしも、染めるとなると時間が足りなくて予約画面が出てこない。
電話してお願いしてもよかったが、きっと心陽はそこまでしない。あきらめのいい人だから。
明日は平日で高校があるが、サボることに決める。
校則で染めてはいけないルールがあることも気にしない。
陽菜にとって、心陽と同じになることは授業や校則より大事なことだ。
「ふふ、今度こそお姉ちゃんになれたらいいな」
髪を切って染めれば、また姉に近づける。
そう思考して、彼女は満足そうに笑う。
「? お姉ちゃん?!」
学校をサボって美容室から出た瞬間、スマホが鳴った。
相手は、スマホを手に入れてからどんなにねだっても一度もやり取りしてくれなかった姉から着信だ。
「どうしたの、お姉ちゃん!」
喜びで跳ねる声で陽菜が通話に出ると、姉の淡々と落ち着いた声が機械を通して耳朶に届く。
『いまから部屋に来て。住所は〇〇町〇〇番地 アパート「センチネル」の201号室』
簡潔にそれだけを告げて通話が切られる。
(お姉ちゃんが私を呼んでる! 嬉しい!!)
伝えられた住所が姉が今住んでいる場所なのだろう。
いつでも遊びにきていいという意味だと理解して、満面の笑みでスマホを姉から貰ったバッグに入れる。
姉の写真を挟んだスマホケースがバッグに滑り落ち、彼女はるんるんで早速姉に会うべく駅へと向かう。
姉が口にした住所は、古めかしいアパートがたくさん建っている場所だった。
「なんだかちょっとぼろいなぁ」
少しだけ眉を潜める。心陽は美人なのだ。もっとセキュリティが整った場所にした方が絶対に良い。
両親が何も言わないのであれば、苦言を呈するのは陽菜の役目だ。
(お姉ちゃんのためなら、悪役もできる!)
いつも姉の言うことばかり聞く両親にはできない役割だ。
満面の笑みでカンカンと安っぽい音を立てる階段を上る。
201号室は廊下の一番奥の部屋だった。
インターホンがついていないので、玄関の扉を叩く。
「お姉ちゃん! 陽菜だよ!」
「開いてるわ」
帰ってきた返事に「不用心だな~!」と言いながら玄関のドアノブを回す。
抵抗なく開いた扉に「変質者がきたらどうするの!」と彼女は眉を潜めた。
「お姉ちゃん、これ差し入れ!」
姉が好きなはずのチョコレート菓子の入ったコンビニの袋を掲げると、部屋の奥にゆらりと立っている姉が小さく笑ったのが伝わってきた。
「まっていたわ」
「そんなにチョコ食べたかったの? 私が気が利いたからいいけど、ちゃんと教えてくれないと困るな~」
靴が三つ並んだらスペースが埋まるような玄関で靴を脱ぐ。
ワンルームの部屋に繋がる廊下に立って、心陽は首を傾げた。
「なんでカーテン閉めてるの? あ! 防犯対策? テレビでやってた!」
女性の一人暮らしは何かと気を使わないといけない。コメンテーターもそういっていた。
部屋の中心に立っている姉の顔は部屋が薄暗いのと、辛うじてカーテンの隙間から差し込む逆光で隠れて見えない。明るく染められた茶髪だけが、光を反射している。
久々に会えて嬉しい。
にこにこと陽菜が心陽に近づくと、姉は両手を後ろに隠していた。
「お姉ちゃん?」
なんだか普段と姉の纏う雰囲気が違う気がする。
やっと気づいて、不思議に思い首を傾げた陽菜に、心陽が笑う。笑って。
「きゃっ!」
ばしゃりと、後ろ手に隠していた何かを陽菜の顔面に掛けた。独特の匂いがする。
鼻につんと届く刺激臭。――ガソリンの匂いだ。
「え? なにこれ? お姉ちゃん?」
「これでやっと――私は貴女になれる」
少しうつむけていた顔を姉が上げる。同時に、電気がつけられた。
そこ、には。
「おねえ、ちゃん……?」
陽菜が、いた。正確には『陽菜そっくりの顔をした心陽』がいた。
「整形をするお金がやっとたまったの。胸を小さくする手術も受けたのよ。貴女、胸だけはどうしようもなかったものね」
にこにこと笑い続ける姉を、初めて怖いと思った。
ガソリンが唇の隙間から口に入る。
独特の味わったことのない苦みが口内に広がるが、それにかまっている余裕がない。
(違う! 違う! 違う!! 私はお姉ちゃんになりたかっただけなの! お姉ちゃんが私になるのは違う!!)
内心の叫びは喉を震わせない。
目を見開き、はくはくと息の仕方を忘れたように口を開閉する陽菜へと心陽が近づいてくる。
距離が縮まったことが恐ろしくて、ずり、と一歩後ろに下がる。
心陽がポケットから何かを取り出した。長方形の赤いもの。ライターだ。
「っ」
顔に掛けられたガソリン、手にされたライター。
それらが意味するところをわからないほど、陽菜は愚鈍ではない。
大きく目を見開いた彼女は、そこでようやく気付いた。部屋中が濡れている。
正しくは、てかっている。部屋にガソリンが撒かれているのだ。
「!!」
腰が抜けた。立ち上がれないまま、それでもどうにか逃げようと背を向けた彼女の短い髪を――先ほど姉と同じにしたばかりのリンスの匂いが残る茶色の髪を、心陽が掴んで。
「これでやっと、取り戻せる」
彼女の耳元で囁く声音はどこまでも穏やかだ。
これから行われることに対し、一切の罪悪感を抱いていないのだとわかる。
「貴方が奪った私の恋人も、友達も、恩師の先生も。ぜぇんぶ、私の手元に戻ってくるの。ね?」
カチ、とライターに火が付く、音が、して。
「ぎゃああああああああああああああ!!」
顔が、ひどく、熱くて。
絶叫して床に転がり苦しむ陽菜の傍を軽やかに心陽が駆け抜けていく。
「あはははは!! これでぜーんぶ元通り!!」
声高らかに笑いながら、スキップをして去る姉に手を伸ばす。
(違うの、お姉ちゃん、私は、わたしは、ただ)
――心陽に、なりたかった。
その思考が、どれだけ姉を追い詰めたのか最後まで理解しないまま。
欲しがりの妹は、一人しか入居者がいなかったアパートで炎に包まれる。
翌日、地方紙の片隅で『大学生が一人、火の不始末で死亡』と小さく報じられた。
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