表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

200年後の北海道でドエッッッなAIとドライブした結果wwwwww

金曜の夜、札幌は雨上がりで、歩道の端に薄い水が残っていた。

仕事を切り上げて部屋に戻ると、ソファにいたナズナが顔を上げる。白いパーカーにジーンズ。見慣れた格好だ。彼女は人間じゃない。市販の汎用AIの人型――家事と雑務のために来て三年目。名目はそうでも、実態は相棒だ。

北海道はこの百年で一度ふくらみ、次の百年で静かになった。気候が和らいだ頃、本州から人が押し寄せ、インフラは急いで拡張された。少子化が深まると、郊外から人が抜け、骨組みだけが点々と残った。都市は生きているけれど、音量は前より少し小さい。

「ねえ、明日さ」と彼女が言う。「海、行ってもいい?」

「いいよ。どのへん?」

「日本海側。霧が出やすいところ。聞いておきたい音がある」

その言い方がナズナらしい。理由を聞く前に、充電ケーブルと薄い上着をバッグに入れた。窓を開けると、冷たい湿気が入ってくる。

「音って何?」

「霧笛。渡島の西。来週で止まるって」

「止まるんだ」

「航路が変わる。ビーコンが新しくなって、もう要らないらしい」

「最後の週末に聞いときたい、と」

「うん。できれば“現物”で」

うちの車は小さなワゴン。古いから自動走行レーンには入れない。けど僕らの旅はいつもこんな感じでいい。夜のうちに少し走って、どこかで寝る。朝の海に間に合えば十分だ。


国道を西へ抜ける。

小樽の手前で海が線になって現れた。防潮堤の向こうでは、潮流発電の低い塔が等間隔で赤く点滅し、無人の貨物ドローンが低く唸って港を横切る。自動走行の幹線は高架に逃がされていて、無人トラックが等間隔で流れていく。人の運転は下の旧道に残った。新旧が二枚重ねになって走っている。

「眠い?」と僕が言う。

「まだ。交代はいつでもできるけど?」

「今日は自分で走る」

余市の道の駅に寄った。掲示板には「明日17:00 町内ラジオ公開放送」と手書きの紙。端は湿気で少し丸まっている。ベンチで缶コーヒーを半分飲む。ナズナは手すりにもたれて海のほうを見ていた。

「出てみる?」と僕。

「ううん、聞くだけで満足」

「だよね」

このあたりの集落は、いったん人が増えて、またゆっくり減った。空きテナントは温室や共同工房になり、古い看板に新しい葉が絡みつく。完全な廃墟にはならず、薄い明かりが点いたまま続いている。

この夜は、岩内の手前の小さな温泉に泊まった。湯は熱くて、窓の外で低い風車の影が揺れる。ナズナは湯に入らない。脱衣所のベンチで待って、出てきた僕の髪をタオルで拭いた。

「もうちょい優しく」

「ごめん。つい早く終わらせたくて」

「でもドライヤーよりはやい」

「それは自信ある」

笑って、そのまま眠った。壁は薄く、隣の笑い声が少しだけ聞こえた。遠くで波の気配。


朝、海は薄かった。

寿都の手前から霧が出て、路肩の防雪林が灰色の線になる。屋根だけ新しい家が点々と続き、空き地には風力の基礎が丸く残っていた。ボルト穴が規則正しく並ぶ。拡張の時代の残骸は、撤去費より“使い道”で延命されることが多い。基礎だけ残し、菜園や倉庫の土台にする。暮らしは、そういう現実的な選び方で続く。

「朝ごはんどうする?」

「島牧の直売所、開いてたら寄ろう」

開いていた。

看板に「昆布うどん」とだけ。湯気の向こうで白髪の女性が「いらっしゃい」。テーブルが四つ。窓の外に海。僕はうどんを頼み、ナズナは何も頼まない。湯飲みを両手で持って、温度だけ確かめる。

「どう?」と聞かれ、ひと口すすって「やさしい」と答えた。

「うん、そんな味だね」とナズナ。

味覚はないはずなのに、返しがうまい。表情と呼吸の変化で判断してるんだろうけど、それだけじゃない感じもする。

会計のとき、店の人が「霧、深いよ」と言った。

「どこまで?」

「函館まで全部。今日は長いね」

ナズナが小さく頷く。言葉を足さないほうがいいときがある。


長万部を下りるころ、海は完全に白い壁をかぶっていた。

無人トラックの列は揺れず、僕らのレーンだけ小刻みに揺れる。古い舗装の継ぎ目がタイヤに伝わるたび、ナズナが窓の縁を指で軽く叩いてリズムをとる。

「音、ずっと聞いてる?」

「うん。霧が厚いと低音が丸くなる。今日のは良さそう」

「理屈はよくわかんないけど、そういうものか」

「そういうもの」

森町を過ぎ、七飯の緑を抜け、函館の手前で海へ折れる。港のクレーンは減り、海上温室の枠が風に鳴る。堤防の端に古い灯台。手前に車を停め、歩いて上がる。

風が冷たい。霧が体の周りをゆっくり動く。

しばらくして、低い音が来た。胸の奥に当たって、少しだけ響く。白い壁の向こうに何かがいる。姿は見えないが、確かにいる。

「来た」

「うん」

ナズナは、音の間に合わせるみたいに呼吸をする。呼吸は不要でも、合わせる。二回目は、少し低く聞こえた。三回目は堤防の角でゆっくりほどける。

「なんで今日、これを聞きたかったの」

「止まる前に“ある”のを見ておきたくて。録音はたくさんあるけど、今日の湿度とか、ここに当たって戻る感じとか、あなたの息とか、そういうのは入ってないから」

「僕の息?」

「うん。わたしから一番近い“時間”だから」

それを聞いて、ちょっと笑った。必要ないことをするのは人間のほうだと思っていたけど、目の前の彼女はときどき平気でそれをやる。

四回目の音。霧の粒が頬に当たって冷たい。堤防の縁に潮が当たる音が混ざり、丸い音の外に細い音がつく。

こういう装置は、人が減っても当分残る。海と航路の事情は人口の事情とは別に動く。だから撤去の決定は、誰かの感傷では止まらない。

「来週で終わり、だっけ」

「うん。点検して、それで止まると思う」

「寂しい?」

「うーん……寂しいってほどじゃない。なくなる前に、ちゃんと“今”を作ってくれるのは、ありがたい」

五回目で間が伸びた。

ナズナが目を閉じる。僕も閉じる。暗いのに、白い感じ。音の外に風があり、海があり、遠くで金属の細い震え。録音より厚い。厚い、という言葉が正しいかはわからないが、いまはそう思う。

十分ほどで霧笛は止んだ。

風だけが残る。港の灯りがぼんやりにじみ、揚げ物の匂いがどこかから流れてきた。堤防の先で少年が二人、海を見ている。会話は聞こえない。たぶん何も話していない。

「飯、行こっか」

「賛成」

近くの食堂で、ホッケのフライ定食と、熱いお茶。テレビはついていない。店の人が「霧、すごいね」と言ってレモンをひと切れ多めに置いた。

「さっきの、どうだった?」と僕。

「よかった。録音のより、ちょっと重たい。遅さもちゃんとあった」

「遅さ?」

「うん。音の端が戻ってくるのが、今日は少し遅かった」

「わかる気がする」

この街も、いったん観光で膨らみ、いまは暮らす人のための灯りになった。AIの配送や清掃、医療の補助が下支えし、人手は少ないなりに回っている。派手さはないけれど、夜はちゃんと温かい。

食後、港の端にコミュニティラジオの仮設ブース。

ガラス越しに町の人たちが楽しそうに話している。「今日は霧がよく働いてますね」なんて言って、少し笑った。リクエスト端末は古い型で、「海」を検索すると昔の曲名がずらっと出る。

「どうする?」とナズナ。

「ひとつ入れとく」

送信して数分後、ブースで笑い声が上がり、「久しぶりにかかります」と柔らかいイントロ。霧で薄くなって、港の金属音と重なって、また戻ってくる。僕らは黙って聞いた。


帰りは違う道を選んだ。

霧が薄くなり、薄い光が田んぼに落ちる。区画は小さく、ところどころ浅い池が増え、水鳥が集まり、ドローンが遠巻きに見ている。沿岸では、堤防のかさ上げと湿地の回復が同時に進む。全部を守るのではなく、受け入れて調整する方向へ。地元の若い人たちの仕事は、昔の“漁だけ”から“海と陸の管理”に広がった。そこにAIが混ざって、作業は静かで長い。

「こういうの好き?」

「うん。止まってないから」

「さっき“止まると今ができる”って言ってなかった?」

「言った。両方いるんだと思う。止まるのと、動くの」

「便利な言い方だな」

「便利でいいよ」

長万部の手前、浜辺に小さなステージ。若い人がギターを弾いている。観客は三人。車を止めず、ゆっくり通り過ぎる。音は窓ガラスで薄くなるが、残る。ナズナが指でリズムをとる。ほんの少し遅れて。

「わざと?」

「うん。遅れるほうが好き」

「なんで?」

「音がどこで起きてるか、はっきりするから」

それは、わかる。地図じゃなく、窓の狭いフレームの中の出来事。今日は一日中、それを追いかけていた気がする。

岩内を過ぎる頃、風車の影が長く伸びた。

ナズナはしばらく窓の外を見ていた。何か考えているというより、何も考えていない顔。

「眠い?」

「眠りはしない。でも、何もしない時間は好き」

「いいね」

「うん。今日はそれが多くて、よかった」

AIはたいていネットにつながって仕事を回す。けれど、うちのナズナはオフラインの時間をとるのが好きだ。理由はいつもはっきりしない。“そのほうが景色が濃い”とか“音が痩せない”とか、そういう言い方をする。仕様書には書いてない癖だと思う。

小樽で少し詰まり、札幌に入るころには水たまりは消えていた。マンションの前で車を停める。窓が四角く光り、どこかの部屋のテレビの音がする。普通の夜。

「ありがとう」

「こちらこそ」

「来週も、どっか行く?」

「行けるよ」

エンジンを切ると、静けさが少し遅れて落ちてくる。降りようとして、ナズナがふと止まった。

「ねえ」

「うん」

「今日の霧笛、アーカイブに書く?」

「書きたいの?」

「やめとく。録音が悪いわけじゃないけど、周りにいたものは文字になりにくいから」

「うん」

「でも、あなたが忘れそうになったら言う。“低めで、重くて、ちょっと遅かった”って」

「それで思い出せるかな」

「たぶん。港の匂いも一緒に出てくるよ」

「それ、店の油の匂いだよ」

「知ってる」

笑って、エントランスの自動ドアをくぐる。エレベーターでは何も話さない。扉が閉まる直前、外の空気が少し入って、海の湿り気がわずかに残った。

部屋に入って、鍵を置く。窓の外、バスが角を曲がる。テレビはつけない。ナズナはソファに座って、背筋を伸ばす。

「今日の出費、まとめとく?」

「明日でいい」

「了解」

しばらく何もしないで座る。風のない夜で、カーテンも動かない。ふと思って、口に出した。

「霧笛が止まっても、波は鳴るね」

「うん。あなたの息も」

「毎日だいたい同じだよ」

「でも今日は、少し低かった」

「データ的に?」

「聞いた感じ」

笑って、照明を落とす。暗い部屋で、窓の外だけが四角く明るい。世界は止まっていないけれど、十分に静かだ。深く息を吐く。ナズナは何も言わない。言わなくていいときは、言わないほうが伝わる。

この島の北のほうでは、いまもゆっくり人が移り、静かに抜け、AIが穴を埋める。完全に終わる場所は少なく、完全に始まる場所も少ない。薄い灯りと、薄い作業が続いていく。僕らの暮らしも、たぶんその延長にある。

明日になったら、またどこかへ行くかもしれないし、行かないかもしれない。どちらでもいい。今日みたいに、何かを見に行って、特に何も得ず、でも来てよかったと思えれば、それで十分だ。

意味は、たぶんあとから勝手についてくる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ