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第4話 剣士の告白(2)

 少年に場所を教えて貰って、村のはずれにある小さな家に向かう。

 庭には薬草が植えられ、窓からは糸を紡ぐ音が聞こえてくる。


 俺は深呼吸をして、扉を叩いた。

 からからと糸を紡ぐ音が、ぴたりと止まる。控えめな足音が聞こえて、ややあって、扉がゆっくりと開いた。


「どちらさま?」


 懐かしい声。

 美しく輝く黒い髪を頭の後ろで束ね、質素な服を着た美しい女性。

 そのオパールのような虹色の瞳が、無防備に俺を見上げた。


 彼女は――貴石姫は、きょとんとした顔で俺を見つめていたが、やがて目を大きく見開き、顔を真っ赤にしてわなわなと唇を震わせた。


「はぁっ!!」


 奇声を上げて、彼女は扉を閉めようとした。俺は素早く足を滑り込ませて、閉まろうとする扉を押しとどめる。


「待ってくれ、話がある!」

「え、ちょ、うそ!? ど、ど、どうして!? なんで!?」


 ぎゅうぎゅうと引っ張り続ける扉に挟まれた足が痛む。

 眉を顰めながら、混乱している彼女を宥めようと声をかける。


「落ち着け、殺しはしない!」

「殺す手前まではするの!?」

「違う! 壊されたいか!?」

「ひぇ……!」


 危害を与えるつもりは一切ありません。

 このままだと扉が壊れてしまうので、落ち着いてください。

 そう伝えたかっただけなのに、彼女は怯えたように扉から手を離し、家の奥に駆け込んでいってしまった。


 自分の口下手に舌打ちしながら、少し逡巡したが、俺は彼女を追って家の中に足を踏み入れた。

 部屋の中は、糸車と錘が置かれていて、近くには彼女が紡いだ糸の束が積み上がっている。恐らく、機織りの家の仕事を請け負っているのだろう。

 窓から明るい光が差し込んでそれらを柔らかく照らし上げ、穏やかな日常を感じさせた。


 奥の部屋は寝室だった。

 彼女は簡素な寝台の前で、俺に背を向けて立っている。


「……何しにきたの?」


 震える声でそう言う。

 俺がどう応えるべきか迷っている間に、貴石姫は硬い声音で呟くように続ける。


「話をしにきた」

「私は、あなたと話すことなんて何もない!」


 勢いよく振り返る貴石姫は、あの頃のように自信に満ちた表情をしていた。


「人間のフリをしている、裏切り者の敗北者を笑いに来たならどうぞご覧なさい。魔物の残党狩りをしたいならご自由に。私にはもう何も残ってないんですから! 無様な私を笑うといいわ!」


 高飛車に皮肉げに高慢に。それでも彼女の声は震え、スカートを握る指先は白く、強張っていた。


「――貴石姫」

「その名は私には過ぎたものよ。いっときの気の迷いでお父様を裏切って、同胞も裏切って、帰る場所すら無くした。一人で生きる力すら無くて……こんな寂れた村で、人間のお情けにあずかって、無様に生きながらえてるだけの、役立たずの元兵器よ」


 猛々しかった彼女の声はやがて弱くなり、頼りない鈴のように小さくなっていった。

 貴石姫はうなだれて、顔を覆う。


「……笑ってよ。せめて、私はあなたを笑わせたんだって。それが私の惨めな人生の、唯一の誇りになるから。お願い……」


 肩を震わせて涙を流す彼女を慰める言葉も、癒す言葉も、俺は何一つ思い浮かばなかった。

 だが、伝えなくてはならない。話さなければならない。

 俺たちは、まだ一度もちゃんと会話をしていない。


「俺は―――」


 その瞬間、遠くで悲鳴が聞こえた。

 びりびりと肌が粟立つ、懐かしい感覚に、俺は考えるより前に剣を掴んで家を飛び出していた。


 村の入口に駆けつけた俺の目に飛び込んできたのは、巨大な植物の魔物だった。太い蔓が家々を絡め取り、鋭いトゲを持った触手が人々を襲っている。村人たちは恐怖に震え、あちこちで悲鳴が響いていた。


「助けて、剣士さん!」


 少年の声が聞こえた。見ると、蔓に捕らえられた少年が、鋭利な牙がびっしりと生えた魔物の口腔内に引きずり込まれそうになっている。俺は剣を抜き放った。

 剣を振るって蔓を断ち切ろうとしたが、人の胴体よりも太いその蔓が蛇のようにのたくり、力が分散され、一撃では断ち切れない。

 その時、宝石の刃が空を切り裂いて飛び、魔物の触手を地面に縫い付けた。

 動きを止めた触手を斬り落とし、少年を解放する。少年が大人たちに連れられて、村の奥に避難するのを確認しつつ、振り返る。

 そこには、追いかけてきた貴石姫が立っていた。涙の跡が残った顔で、それでも強い瞳で魔物を睨んでいる。


「この魔物、森の奥から来たのね。どうして突然こんな暴走を……?」

「貴石姫……」

「黙って! 別にあなたのためじゃないわ! この村の人たちを……私を助けてくれた人たちを守りたいだけよ!」


 そう言いながらも、彼女の魔法は絶妙なタイミングで俺の剣撃をサポートしていた。俺が右に動けば左の蔓を封じ、俺が上段に構えれば下からの攻撃を宝石弾で迎撃する。

 まるで長年同じ戦場にいた相棒のような、完璧な連携だった。

 ――こうやって、彼女は、ずっと俺たちをサポートしてくれていたのだろう。

 俺は鞭のようにしなる細い触手を次々と斬り払いながら、声を張り上げた。


「俺の家は、高名な庭師だ! 代々、王家の庭や植物園を管理してきた貴族で、俺は長男だ!」

「えっ! 急に何!?」


 魔物は毒袋を蠕動させ、強酸らしき汁を吐き出そうとする。

 咄嗟に目を庇おうとするが、そんな俺の前に氷のように透明な水晶の壁がそそり立つ。貴石姫の作り出した宝石の壁に、強酸液はあえなく防がれる。

 その壁を足掛かりに駆け上がり、高い位置にある魔物の毒袋を斬り落とす。

 

「まだこの世にない美しい花を創るのが我が家の使命で、家訓だ! だから俺は剣技と栽培と調合だけが得意で、それ以外は苦手だ!」

「だから薬草やポーションにも詳しかったのね! あなたもお花を育てるの?」

「育てる!」

「えっ素敵……意外性……いや、じゃなくて! 集中してよ!」


 毒袋を斬り落とされ、数多あった蔓をすべて失った魔物は、最後にその巨大な口を開いてこちらに喰らいつこうとした。

 俺の突き出した剣と、貴石姫の生み出した金剛石の刃が、その口の奥にあった核に突き立つ。

 魔物は、空気をビリビリと震わせる雷鳴のような絶叫を響かせ、ボロボロと瘴気の塊となって崩れていった。

 周囲を見回し、魔物の残党が村の中にいない事を確認したあと、念のため森の中に警戒に向かう。

 二匹目、三匹目がまだ残っているかもしれない。

 貴石姫も、俺の後ろをついてきた。

 

「ちょっと、さっきから何なの? 貴方の生い立ちなんて、興味ない、んだから!」

「あなたと会話をしている」

「だいぶ一方的なんだけど!?」

「――三年前、祖父が創った我が家の至宝である『空色の薔薇』が魔物に盗まれた。犯人は魔王だった。奴は、その比類なき薔薇を、最強の魔物に造り替えた」

「聞いてる!? ……えっ」


 貴石姫が息を飲む。

 森の中は先ほどの巨大な魔物が通った後が獣道のように残っていた。俺はその道を辿るように、森の奥へと進む。


「不可抗力とはいえ、我が家から魔王軍の幹部を出したことで、家名は地に落ちた。祖父は病に倒れ、両親も絶望に打ちひしがれた。だから俺はその汚名を雪ぐため、勇者の旅に同行した。青薔薇姫を討伐するために」

「『価値あるもの』……貴方が探していたのは、青薔薇姫お姉さまだったのね……」


 貴石姫が硬い声で呟いた。

 鼻孔に意識を集中し、周囲にただよう匂いを嗅ぐ。魔物特有の、瘴気の残り香がする。

 そして、奥にまだ――生きている魔物の濃厚な匂いを感じた。


「あなたのおかげで、俺は宿望を果たせた。その後の世界を旅して、魔物にされる脅威、理不尽に奪われる恐怖の無くなった人々の笑顔を見て、俺はなんと大きなことを成し遂げたのかと思い知った。……そして、命を賭してまで、俺たちを助けてくれたあなたのことを考えた」

「ち……ちがうわ。買い被りよ。私はただ、愚かにも自分のやりたいことをやっただけ……」


 同じだよ、と俺は返す。


「ただ家名を取り戻したかった。やりたいことをやった。結果、世界を救って、人々の笑顔を取り戻した。俺とあなたは同じだ」

「……私に会いに来たのは、お礼を言いたかったから?」


 ――なんと言えば伝わるだろうか。

 あの時、魔王城の広間で、同胞を裏切って青薔薇姫の弱点を伝えてくれた時。

 その孤独で寂しそうな微笑みを見てから、あなたのことが頭から離れない。

 死んだということが信じられなくて、半年間も風のうわさを頼りに追い求めて放浪した。

 あの時命を助けてくれた女性が村にいると、少年からの手紙を受け取った時、天にも昇るような心持になった。


「あなたが生きていて、嬉しい」

「だんだん分かってきたわ。剣士様って、口下手なのね」

「よく言われる」


 俺は歩みを止めた。

 草いきれの中、その奥から悪意の視線を感じる。剣を構えて森の奥の、巨大な古木の洞の中を見据える。

 そこには、巨大な黒い蝙蝠が蹲っていた。

 一つだけの黄色い目で、「ギイ、ギイィ」と軋むような声を上げている。


「魔王の使い魔よ。生きていたのね」

「……こいつは少し、他と違う匂いがする」


 流石ね、と呟いて貴石姫が身構える。


「使い魔は、動けない魔王の手足となって動く存在だから、魔王の権能を少し分け与えられているの。半自動で魔王の命令の通りに動き、知能の低い魔物を操ったりする力がある。さっきの魔物に村を襲わせたのもこいつのせいね。……私も、こいつに殺されかけた」


 なるほど。ではますます、見逃すことはできないな。

 蝙蝠は音波を発して空に飛びあがる。鼓膜に直撃する大音量に、一瞬、構えに隙が生まれた。その隙を逃さず、蝙蝠が体から黒い影の剣を打ち出す。


「ぐっ……!」


 二本、三本と高速で射出される剣を斬り落とし、後ろ退る。四本目を叩き落とした時、蝙蝠が突進してくるのが見えた。間に合わない、貫かれる――!


「銀狼ッ!!」


 貴石姫の鋭い声と共に、銀色の光が疾走し、目の前に迫る蝙蝠に激突した。

 ごろごろと地面にもんどりうって転がった銀と黒の影は、土埃を上げて大木に激突して止まる。巨大な狼が蝙蝠の羽に牙を立て、獰猛な唸り声を上げながら首を左右に振った。それに合わせて蝙蝠が絶叫しながら羽をめちゃくちゃに動かす。


「悪いな。次に生まれる時は……きっとただの、蝙蝠に」


 俺は魔物に近づき、剣を振りかぶった。煌めく魔法の光が刃に宿り、暗い虹色の輝きを持つ。貴石姫の魔法が宿った光の斬撃は、蝙蝠の中に残っていた魔王の力ごと消滅させた。

 俺はボロボロと崩れていく蝙蝠の死骸を見送り、大きく息をついた。

 もう、周囲に魔物の気配はない。今度こそ、この森は安全になったはずだ。


「………私が生きているのが嬉しいと言ってくれたけど。それは、貴方のおかげなの」

「……?」


 貴石姫は胸元でぎゅっと手を組み、絞り出すように続ける。

 高慢な口調はなりを潜め、迷子の少女のような声音だった。


「命は二度と戻らないと言って、貴方がこの森でくれた、高価なポーション。私がずっと大事に持っていたそれを、氷雪姫お姉さまが私の傷口に……。生きながらえて彷徨っていたところを、この村で保護されたの」


 そうか――そうなのか。

 すべて、繋がっているのだ。

 彼女が子供を助けたことも、森で俺に近づいたことも、魔王を裏切ったことも。

 俺が子供に導かれてこの村に来たことも、彼女にポーションを与えたことも、世界を救ったことも。


 その時、まるで陽が射すように視界が広がった。僅かにあった迷いの霧が晴れ、世界が澄み渡り、全てのものが明快に見え――自分のすべき事が解った。

 腰を落として貴石姫と視線を合わせる。


「『空色の薔薇』は我が家の至宝だ。でも俺は、もっと美しい薔薇を作ろうと思ってる。あなたの瞳のような、淡い虹色の美しい薔薇を」


 貴石姫は、俺の言葉の意味が分からないようにじっとこちらを見つめる。その天上の光のような、地に零れ落ちた恵みのような虹色。

 ――後ろ暗い過去があるのはお互い様だ。

 敵を殺した数だってきっと同じくらい。いや、俺の方が多いだろう。

 だから、並び立つ資格があると思ってしまう。

 強引にも、傲慢にも。

 だから――。


「これからずっと、俺と一緒に、アブラムシをこそげ落とさないか?」


 貴石姫はぽかんとした表情で、首を四十五度に傾けた。


「え……っと、ん? アブラムシ……を? え?」


 貴石姫の顔に大きな疑問符が浮かんでいるのを見て、俺は顔を覆った。

 ――たぶん、言葉を間違った。

 せっかく会話をしてくれたのに、あまりにも拙い言葉しか使えない。本当に情けなく思う。剣術と栽培と調合以外はとても苦手だ。

 俺は顔を上げ、改めて貴石姫の瞳を見つめた。


「あなたが好きだ。俺と結婚して欲しい」

「………………はぁっ!!」

「意味は伝わるか?」

「つ、伝わるわよ! そのまんまじゃない!」


 良かった。

 貴石姫は耳まで顔を赤くして、わなわなと口を震わせていたが、最後にはくるりとこちらに背を向けてしまった。

 語彙を増やすためにもっと本を読もうと、彼女の答えを待ちながら心に誓った時。

 背を向けて俯いている彼女の、くぐもったか細い声が聞こえてきた。


「剣士様の、名前を教えて。そうしたら、か、考えてあげる……」


 彼女らしい、高飛車で可愛らしい要求に、俺は思わず笑い声をあげた。

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