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第3話 剣士の告白(1)

 あの熾烈な戦いから半年が経つ。

 俺は剣士として、勇者と共に魔王を倒し、魔王軍を壊滅させた。

 最も強敵だったのは幹部の青薔薇姫だったが、音で周囲の情報を取得していることが事前にわかっていたため、魔法使いが花火の魔法を周囲に絶え間なく撒き散らすことで、混乱する青薔薇姫の隙を作り、何とか討伐することができた。


 魔王の死により、人間の勝利で百年戦争は終わった。

 魔王と人間は価値観も生態もまるで異なる。魔物は子孫を残さず、世にある生物や物から新たな魔物を生み出し、勢力を広げる――まるで感染する病気のように。

 魔物の攻勢に抗い、人間が立ち上がったのが百年前。魔王はそれに対して、さらに増殖しようとした。世界の全てを奪い取り、敵である人間を根絶やしにすること――それこそが、生命としての魔王の目的だった。

 この戦いは大地を削り、森を焼き、川を汚し、海路を閉ざした。魔王の支配が続いていれば、人間の国々は一つ残らず滅び、世界は魔物の養分と成り果てていただろう。


 だからこそ、奴を倒せたことは奇跡だった。

 百年の歳月と精霊たちの命で編み上げられた、光の剣。魔王を倒し、魔物の増殖の手段を消し去るというその伝説の剣に勇者が選ばれたのが、この戦争の終わりの始まりだった。

 世界は今、ゆっくりとだが確実に息を吹き返している。

 長い冬を越えた春のように、人々の顔にも希望の光が宿っていた。


 そして俺は――一人、旅を続けていた。

 魔王討伐の旅で辿った道程をなぞるように、風の噂を頼りに、俺は人を探し続けている。


 半年前、魔王を倒した後、散り散りに旅立つ直前の、三人の仲間たちの言葉を思い出す。




「そういえば、邪鬼の森のトラップ。急に弱くなりましたわよねえ」


 魔法使いが栗色の毛をくるくると指に巻きながら言う。彼女は、戦っていた時とは比べ物にならないくらい艶のある美しい髪を取り戻していた。


「あの茨棘、ものすごい速度でバネみたいに跳ね上がるので、当たっていれば私たちの体を両断してしまうものでしたけど。起動する直前に、第三者の魔法の気配を感じましたわ。とたんにナメクジみたいにぬるぬる遅くなってしまって、驚きました」


 俺はその不自然に遅くなった茨棘を切り裂き、無効化した。

 その後も何度か似たようなことが起こり、俺も魔法使いも不思議に思ったものだ。


「あの後も、すべてのトラップが妙にのろまな動きになっていましたけれど。まるで、誰かが私たちを見守ってくれてたみたい。できるなら、いつかお礼を言いたいものです」


 いたずらっぽく微笑む彼女は、くいと大きな眼鏡を押し上げた。

 魔法使いはその後、故郷の西国へ渡った。

 西国の政府と共に、魔物との戦いで汚染された土地や水源を浄化するための研究を始めるという。彼女の魔法は、今度は破壊ではなく癒しのために振るわれることだろう。




「命を助けられた気がするんだよねぇ」


 弓使いは鼻の下についた麦酒の泡をぬぐいながら、そう言った。

 彼の一族はかなりの長命らしく、見た目は二十代半ばだが、実際の年齢は誰も知らない。結局、魔王討伐の旅が終わっても教えてくれなかった。


「ほら、宝石を使う奴と戦った時さ。僕、実は死にかけてたんだよ。倒れ込んだ目の先に刃があって、やべぇ刺さる!って思ったとたん、突風が吹いてさ。後ろにごろごろ吹っ飛ばされて、事なきを得たってワケ」


 ぽいぽいとつまみの豆を口に放り込み、その美貌を子供っぽい笑みでいっぱいにして、俺にウィンクする。


「幸運に感謝したけど、よく考えたら自然の突風なんか吹くわけないんだよね。毒の大河の手前にある、広い地下洞窟だったんだからさ。どこの女神が助けてくれたんだろねえ」


 弓使いはその後、故郷に戻った。

 家族と再び暮らしながら、焼け落ちた村を立て直すという。彼の誠実さと明るさが、きっと村人たちの心を癒やしているだろう。




「めちゃめちゃ怒ってたよな……」


 焚火を囲みながら俺の淹れた薬草茶を口に含み、その表情筋を全力で歪めて、勇者が納得がいかないように呟く。

 俺が深夜にだけ咲く星光花の採取に行くと言うと、なぜか彼もついて来たのだ。日が暮れてすぐの、まだほのかに浅い夜。ぱちぱちと火の粉が空に舞い上がる。


「貴石姫との初めての戦いの時さ、あの子、名前を聞いてきただろ。で、オレが『お前に名乗る名はない!』とかかっこつけて言ったらさ、もうめっちゃ怒って。目なんかルビーみたいに真っ赤になっちゃって。殺されるかと思った」


 金色の髪に凛々しい眉。伝説の光の剣を抜き、魔王に最後の一撃を与えて倒した救世の勇者。

 そんな彼も、今は年相応のただの青年の表情で、草笛を作ってピーピーと鳴らす。

 常に手放さなかった光の剣は、それを百年かけて作った精霊たちに還してしまったらしい。


「でも、あれはよく考えたら、オレたちじゃなくて、お前に名前を聞いてたんだと思うんだ」


 そして彼は、存外上手い草笛の演奏に熱中し始めた。

 勇者はその後、政に組み込まれることを厭い、今はどこの国にも身を置かず、各地を巡り、戦後処理の交渉や復興に尽力している。

 実に彼らしい判断だと思う。

 その輝かしい背中は、まだ不安を抱える人々にとって、大きな支えとなっていた。



 ◇  ◇  ◇



 森を流れる小川沿いの、開けた場所で野営をする。

 もう慣れたものだが、三年間ずっと四人で行っていたことを一人で行うのは、どうしても心細さと寂しさを伴う。

 獣除けの火を用意しながら、俺は一か月前に王城に届いた俺宛の手紙を取り出した。

 ミミズののたくったような文字で、何が書かれているかを判別するのは困難だが、恐らく重要な手紙だろう――と気を利かせた宰相が、旅に出ている俺に伝書鳥を飛ばして届けてくれたのだ。

 半年間待ち望んだ情報が書かれていたその手紙を、何度も読み直しながら、俺は過去を振り返った。


 最初に彼女と出会ったのは、邪鬼の森の手前の、貧しい村でのことだった。

 くすんだ茶髪に、灰色の瞳。みすぼらしい服を着て、ローブで半ば顔を隠していた村娘。だが、その美貌は明らかに人間離れしていた。俺は直感的に、彼女がただの人間ではないことを察していた。

 しかし、敵意は感じなかった。むしろ、どこか無機質で、所在なげで――迷子の子供のような印象を受けた。

 他の村人たちと同じように、彼女は遠巻きに俺たちを見つめていた。いつもそうするように、俺は視線を逸らし、敢えて無防備な背中を見せた。そうしながら、相手の気配に集中する。

 俺たちが村人に村の状況を聞きこんでいる間、彼女は不意に俺たちから意識を逸らし、道端で座り込んでいた子供に近づいていった。その子供の健康状況は悪く、栄養失調と脱水を起こしているようだった。

 すぐに保護しなければ――と思わず振り返った時。


「あなた、死ぬの?」


 娘は唐突に子供に問いかけた。心から疑問に思っているような、相手がこれからどうするのか知りたがっているような、場違いな問いかけだった。

 子供はぼんやりと座り込んだまま、その空虚な瞳を娘に注ぐだけだった。


「あなた、私を手伝う気ある?」


 そして不意に、彼女はさっと手を動かした。

 きらきらとした鮮やかな色彩の光が子供に降り注ぐ。何かの魔法だった。


「あるわね。あると見なすわ。なら生きなさい。いつか私を手伝いなさい」


 子供は静かに目を下ろし、その場にくたりと横たわる。普通なら警戒すべき場面だった。思わず柄に手を寄せるが、先ほどとは打って変わって血色のよくなった子供の肌艶と、健やかに寝息で上下する細い肩を見て、思い直す。彼女は子供に治癒魔法をかけたのだ。

 彼女の奇妙な言葉の裏に、子供を助けるという純粋な意思が見え隠れしていた。


 その後、彼女が森で自分を尾行してきたとき、やはり疑いを持った。

 具合が悪いと嘯き、隙を見て俺に危害を加えるのではないかと。

 しかし、先ほど子供を助けたところを鑑みると、本当に具合が悪いただの魔法使いの可能性もある。注意深く対応したら、彼女は顔を赤くして去って行ってしまった。


 その後、敵として立ちはだかった貴石姫を見て、「あの時の娘だ」とすぐに分かった。

 村娘の時とは異なり、その髪の色は黒真珠のように黒く輝き、瞳はオパールの如き優しい虹色だったが、その顔立ちと声は明らかに彼女だった。

 そして彼女は、魔王軍最強の魔物、青薔薇姫の弱点を俺たちに伝えた。

 その時は、なぜそのような裏切りをするのか、理解できなかった。罠の可能性も考えた。


 しかし、結果として彼女の伝言は真実で、俺たちは青薔薇姫を倒し、そして魔王も倒すことができた。

 魔王は、生き物の形をしていなかった。黒く輝く、金属のような、液体のような、中空で波打つ不気味な物体。それが魔王の正体だった。

 勇者が光の剣でその球体を切り裂いた時、「まさか、我が娘に裏切られるとは!!」と、魔王はその人ならざる歪な金属音のような声で叫び、消滅した。


 すべてが終わったあと、仲間たちの証言を聞いて、俺の脳裏ですべてが繋がった。

 魔王軍の幹部として立ちはだかりながら、彼女は今までずっと、密かに俺たちを助けていたのだ。

 もはや、何故、と聞くこともできなかった。

 世界を救った功労者である彼女に礼を言うため――そして、魔王亡き今、恐らく迫害されてしまうであろう魔物である彼女を保護するため、俺は彼女を探した。


 しかし、彼女は忽然と姿を消してしまった。

 噂を頼りに辿っても、(よう)として行方が分からなかった。


 恐らく、裏切り者として粛清されてしまったのだろう。

 彼女の行ったことは、魔王軍にとって、あまりにも罪深かったのだ。






 およそ一年ぶりに訪れた村は、見違えるほど明るく、活気に満ちていた。

 村の脅威となっていた邪鬼の森は、もはや瘴気はほとんどない。

 木々は青々しく茂り、豊かな薬草と果実を実らせ、獣が活発に繁殖している。流れる川も澄み、魚たちの鱗が太陽の光を反射して銀色にきらきらと煌めいていた。

 今や豊穣の森として、村人の生活を支えるかけがえのないものになっているようだった。

 

 一見して、村に魔物の襲撃の痕跡がないことに安堵する。

 魔物の残党は、まだ各地に潜んでいる。魔王に造り替えられた、元はこの世界の「何か」だった者たち。彼ら魔物は、魔王なしでは増殖できないと言われている、ゆっくりと朽ちてゆく種族だ。

 だから、もし人間に危害を加えず、新しい世界で生きる道を探している魔物がいたならば、俺はそれらを斬り捨てるつもりはなかった。


 村の宿屋の扉――一年前はつる植物で編んだ簡素な戸がぶら下がっただけだった。今は立派な木材で作られている――に手をかけた俺の背に、呼びかける声があった。


「剣士さん!」


 十にも満たない、幼い子供の声。

 振り返ると、灰色の髪の少年が、嬉しそうに手を振りながら俺に駆け寄ってきていた。


「久しぶりだな。元気そうで良かった」

「うん! 剣士さんが看病してくれたおかげで良くなったよ。今は、機織りの家でお世話になってる」


 あの時、村娘に扮した貴石姫が助けた子供だった。

 一年前は力なく座り込んでぼんやり宙を眺めていた少年は、今は年相応に肉がつき、ふっくらとした頬には健康的な赤みが差している。

 脱水と栄養失調で体力が落ち切っていた彼は、貴石姫の魔法のおかげで体力を取り戻し、その後の看病と栄養摂取の甲斐あって、健康な体を取り戻したようだった。


「お父とお母は死んじゃったけど、でも、今は皆が良くしてくれてる。今日はどうしたの? おれのお礼の手紙を読んで、来てくれたの?」

「ああ。いったい何が書かれているのか、推理力が求められる、独創的な手紙だった」

「まだ字を練習中なんだよ。でも、あそこまで書けるやつ、この村だとおれくらいなんだ。お姉ちゃんのおかげで」

「……お姉ちゃんに文字を習って手紙を書いてみた、というのは読めた。それが俺の探し人かもしれないと思って、来たんだ」


 少年は嬉しそうに笑った。乳歯が一本抜けていて、闊達な印象を受ける。


「そういうことか! お姉ちゃんは、村はずれの家に住んでるよ。数か月前に村の近くで倒れてたのを、おれたちが助けたんだ。おれ、いつかお姉ちゃんを手伝うって約束したからね。……剣士さんとお姉ちゃんは俺の命の恩人だから、剣士さんの探してる人がお姉ちゃんだったら良いな」

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