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第1話 貴石姫の恋(1)

「――ポーションはまた作れる。でも、命は二度と戻らない」


 そう言って、高級なポーションを渡してきたその青年は、勇者の仲間だった。


 私は魔王の娘。人間のフリをして、彼に近づいて、暗殺するはずだった。

 それなのに、彼は体調が悪い演技をした私に優しく声をかけて、その翠色の綺麗な瞳を心配そうに曇らせた。そして人間の世界では高価なポーションを、惜しげもなく与えてくれた。

 私は、宿敵である彼の予測もつかない行動に、混乱していた。


(なに!? この人、なんなの!? 顔が熱い! この気持ちは、何……!?)


 ――そうして、魔物たちの王の娘である私は、生まれて初めての恋に落ちたのだ。



 ◇  ◇  ◇


「百年戦争で世界の半分はすでにお父様の手中にあったのに……伝説の聖剣に選ばれた勇者! なんて野蛮な男かしら!」


 黒曜石の樹海の奥深く、瘴気に包まれた魔王城で、私は爪を噛んだ。

 

 百年戦争――それは人間と魔王が繰り広げる、終わりの見えない争いの名。


 この争いに勝利するため、魔王は策を講じた。

 この世のあらゆる「価値あるもの」を、その価値に相応しい強力な魔物に造り替えるというものだ。数百体もの娘たちが生み出され、特に強大な力を持つ三人の魔物が、魔王軍の幹部として君臨した。


 魔王軍序列一位、青薔薇姫――幻の青い薔薇から生まれた娘。

 魔王軍序列二位、氷雪姫――永遠に溶けぬ氷から生まれた娘。

 そして、七色に光り輝く宝石から生まれた、一番若い末の娘。


 それが私、魔王軍序列三位、貴石姫。


「順調に魔王軍が人間に勝って、やっと戦いのない生活が来ると思ったのに……」


 三年前、聖剣が一人の若者に抜かれてから、戦況は変わった。

 それ以来、勇者の攻勢で魔王軍の旗色は悪化。あの男が戦場に現れるだけで、人間たちは士気を爆発的に高める。

 人間たちは「希望の光」「救世主」などと讃えるが、私からすればただの光る剣を振り回す厄介な暴走男だ。

 

「魔物の巣の中に仲間と笑いながら突撃してくるなんて、ピクニックか何かと勘違いしてるんじゃないかしら。人間って、本当に野蛮で恐ろしいわ……」


 私たちは魔物だ。

 感情も、意志も、すべてはお父様――魔王によって与えられたもの。取り繕った外見の下に隠されているのは、ただ命令に従うだけの魔物兵器としての本質だった。

 しかし、私は本来の魔物らしい冷徹さや無慈悲さが板につかない。

 破壊や殺戮は好きではなく、敵を殺せと言われても、つい及び腰になってしまう。


(勇者はあんなに野蛮なのに。私、戦いに向いていないのかしら……)


 窓の外に目をやると、ちょうど中庭を横切る青薔薇姫の姿が見えた。

 魔王軍最強の青薔薇姫は寡黙で、ほとんど言葉を発さない。だが、その残酷さは魔王軍の中でも群を抜いていた。捕虜の尋問を好み、無表情で彼らを痛めつける姿を、私は何度も目撃していた。

 残酷なあの人はきっと、私よりずっと魔物兵器らしい。

 もし勇者が城に到達しても、彼女がいれば魔王軍は絶対に負けない――そう思わせる最強の存在だ。


 その時、使い魔の黒蝙蝠がするりと窓から入り込み、キイキイと耳障りな声をあげる。

 甲高いその音は、私の耳には言葉となって届く。


「勇者が邪鬼の森の手前まで迫っている? ……私が殺せって? でも、森を越えても毒の大河があるし、その先は獄炎の山があるし、その先にはお父様や私たち幹部が棲む魔王城があるじゃない。勇者といえど所詮四人、多勢に無勢でどうせ死ぬわ」

「キイ! キイキイ!」

「ああもう、うるさい! お父様の命令なら仕方ないわ。……別に、殺すのが嫌なわけじゃないわよ!」


 私は寝台から立ち上がり、大きく伸びをした。床に臥せた銀狼が、小さく鼻を鳴らす。

 銀狼は、私が以前拾った、幼いはぐれ魔物だ。気まぐれで飼うことにしたが、存外私に懐いて、片時も離れようとしない。

 私は彼女に話しかけるように独り言ちる。


「勇者一行の戦闘力はたしかに目を瞠るものがあるわ。全員殺すなら、私も本気を出す必要がありそうね。……でも、そんな効率の悪いことはしないわ。油断している彼らを分断して、一人ずつ暗殺するのが賢いやり方よ」


 ワン、と銀狼が吠えた。今のはきっと、激励の一声。


「ふふ、ありがとう。あなただけが私の友達よ」


 銀狼に向かって微笑む。私にとって、魔物兵器としての日々の中で唯一心が安らぐのは、この銀狼と過ごす時間だけだった。


「目障りな勇者の進撃も、今日でおしまい」


 ドレッサーを開け放ち、ローブを羽織る。

 今から向かうのは、勇者が訪れているという、邪鬼の森に近い人間の村。魔王軍との戦線に近い貧しい村で、森から来る魔物との戦いで日々疲弊しているはずだった。

 個人的にはあまり気は進まないが、いま勇者を殺せたら、きっと人間は絶望の波に呑まれるに違いない。町だけではなく、世界全ての人間が。

 そうしたら、お父様もきっと一安心するはず。


「勇者一行。全員、私が殺してあげるわ。魔王軍序列三位の、この貴石姫がね!」


 そう宣言して、私は転移魔法の準備を始めた。




 その村の街角は、私が住む黒曜石の宮殿とは雲泥の差だった。

 今、私は質素な麻布の服に身を包み、髪も地味な茶色に変えて、ただの村娘として歩いている。足元では、普段は巨大な銀狼が、小さな雑種犬のような姿でちょこちょことついてくる。


 なんと惨めな村だろう。市場と呼ぶのもおこがましいほど閑散とした路地に、売るもののない商店が軒を連ねている。人々の顔には疲労と絶望が刻まれ、子どもたちでさえ生気を失っている。これが人間の世界なのか。

 その寂寥とした様に、さすがに敵ながら胸が痛んだ。

 ふと、妙案が閃いた。例えば、そこで座り込んでいる痩せた子供に施しを与えて、魔王軍に勧誘するのはどうだろう?

 そうやってお父様の味方が増えて、魔王軍が支配することができたら、この地ももう少しましになるのかもしれない。

 私はぼんやりと座り込んでいる、今にも死にそうな灰色の髪の子供の傍に寄って、試しに取引を持ち掛けてから、治癒魔法を使ってみた。子供は私の言葉を理解したかどうか分からない。

 そのままこてんと横になって、すうすうと眠り始める。


 ……意味がなかったかもしれない。まあいい、魔物らしくない考えかもしれないけど、人間とはいえ、子供に死んで欲しくなかったし。

 それより、私には使命がある――勇者一行の暗殺だ。


 金髪の勇者、赤毛の剣士、茶髪の魔法使い、銀髪の弓使い。

 四人の勇者一行の動向を探るため、私は村の質素な宿屋に向かった。しかし、直接顔を合わせるのは危険すぎる。私は魔法で作り出した小さな蜘蛛を窓の隙間から忍び込ませ、蜘蛛の耳を通して彼らの会話を聞くことにした。


「邪鬼の森を越える最短ルートはこっちだけど……」


 勇者の声が聞こえる。地図を広げて、魔王城への進軍ルートを検討しているようだ。

 予想通りの話題に、私は宿屋の軒に身を潜めて耳を澄ませた。


「この村の近くにある魔物の巣窟はどうする? 潰そうと思うんだが」


 そう提案したのは、赤毛の剣士の声だった。


「人が攫われているという話ですわね。この村の貧しさも、魔物が定期的に襲撃に来るからでしょう。わたくしとしては、見過ごせません」

「オレも同意だ。魔王を倒す前に、目の前の人を救えずに何が勇者だって話だ!」

「みんなが行くなら、僕も異論なし~。もし武器を使う魔物なら、矢も補充できるかもだし」


 四人の話が逸れていく。私は眉をひそめた。


 なぜ?

 その巣窟の魔物を討伐したところで、この世界から魔物が消えるわけではない。無駄な時間と労力を費やすだけで、魔王軍にも何の影響もないはずだ。

 なぜそんな不合理なことをするのだろう?


「じゃあ、明日は魔物の巣窟を制圧して、まずは村の安全を確保しようじゃないか!」

「分かった。今日は療養しておこう。薬草茶を用意するから、飲んでくれ」

「えぇ……お前のお茶、不味いんだよなあ……」


 勇者と赤毛の剣士がそう締めくくり、残りの二人も相槌を打つ。

 やはり、寄り道をするという判断は理解できない。

 しかし、彼らの次の行動が分かったことは収穫だった。今日はゆっくり体を休めるらしいので、一人になった隙を狙って暗殺すればいい。


「そういえば。お前の探し人は見つかったのか?」


 離れようとしたとき、不意に、勇者が誰かに問いかける。


「……いや。だが恐らく、魔王軍にいる。必ず倒すつもりだ」

「そうか……辛いな。でも、お前の剣技なら、苦しむことなく一刀両断してやれるだろ」

「ああ。俺はそのためにここまで来た」

「おいおい、そこはオレたちと一緒に世界を救うためって言ってくれよ!」

「それも、ついでにする」


 穏やかな低い声、相手は赤毛の剣士だ。「口下手すぎる!」と大笑いをする勇者たち。

 なんの話だろう。魔王軍に仇でもいるのだろうか?

 氷雪姫あたりは人間の軍の幹部たちを玩ぶように攻撃しているから、強い恨みでも買っているのかもしれない。


 夕方になって、絶好の機会が訪れた。赤毛の剣士が一人で宿を出て、近くの森へ散策に向かったのだ。

 他の三人が宿屋にいることを確認してから、私は距離を置いて彼の後をつけた。

 鬱蒼とした暗い森は獣や魔物の棲家だ。巣窟も近くにあるという。普通の人間はそうそう入って来る場所ではない。

 彼が人目につかない奥まで歩を進めたところを見計らって、背後から魔法で心臓に一撃を──


「何の用だ?」


 振り返りもせずに、遥か先にいる剣士が口を開いた。私の心臓が凍りついた。

 気配を完全に消していたはずなのに。

 この男、思っていたよりも強い――。

 咄嗟に私は作戦を変更した。


「あ、あいたたた!」


 お腹を押さえて、その場にしゃがみ込む。

 唸り声を上げて剣士を威嚇しようとする子犬――銀狼を手で制し、顔を伏せたまま声を絞り出す。


「お、お腹が痛くて……薬を煎じようと、薬草を取りにまいりました……」


 苦しそうな表情を作りながらあからさまな嘘をつく。

 思わず顔から血の気が引き、舌打ちをしそうになる。


(どうしよう、やっちゃった……ベタすぎる! こんなのに引っかかる馬鹿はいないわ!)


「それは大変だ」


 剣士は私の言葉に、心配そうな顔を見せた。


(えっ……嘘でしょ? 引っかかるの?)


 私は演技も忘れて、唖然と剣士を見た。


「俺もポーションを作るための薬草を取りに来たんだ。ここの森は見たところ、稀少な植物が群生しているようだ」


 彼はのこのこと私に近づいてくる。私ははっと気を取り直した。

 完璧だ。この距離なら確実に魔法で心臓を貫ける──。


「どんな痛みだ? 刺すような痛みか、それとも鈍い痛みか?」

「え? えっと……」

「頭痛は? 吐き気は? いつから痛み始めた?」


 矢継ぎ早に質問を浴びせられ、私は混乱した。暗殺のタイミングを完全に逸してしまう。


「え、えっと……チクチク……いえ、ズキズキ……?」

「なにか口にした覚えはあるか? 腐った水や古くなった食べ物など」

「いえ、あの……そういうことは無い……と、おもいます」


 しどろもどろに答えながら、私は内心焦っていた。

 なぜこの男はこんなに詳しく症状を聞くのだ?

「失礼」と言いながら、男は私の首筋に触れた。思いもよらない行動に、体が跳ねて、硬直する。


「熱があるようだな。なるほど。では、恐らくこれが効くはずだ」


 剣士は腰の袋から小さな瓶を取り出し、私に差し出した。

 私は目を見張った。それは、病気にも外傷にも効く、非常に価値の高い高級ポーションだった。

 貴重な薬草と、それを調合する高等技術が求められる逸品で、人間の世界では宝石を買えるほどの代物のはずだ。


「で、でも、これは……い、いただけません。こんな高いもの」

「ポーションはまた作れる」


 剣士はぶっきらぼうに呟いた。


「でも、命は二度と戻らない。腹痛を軽く見ない方が良い」


 その瞬間だった。

 私の心臓が、大きく跳ねた。

 生まれてこの方、感じたことのない大きな脈動。胸の奥で何かが弾けるような感覚に、私は思わず胸を押さえた。


「はぁっ……! し、心臓が……」

「おい、大丈夫か?」


 剣士がさらに心配そうに私を見つめて、肩に触れる。

 その翠色の瞳に……今まで見たことのない優しい瞳に、私の心臓はますます激しく鼓動した。


「わ、わ、わわわ、はわゎ……だ、だ、大丈夫です! ありがとうございました!」


 私は慌ててポーションを受け取ると、逃げるようにその場を後にした。

 足元の小さな銀狼も慌てて後を追ってくる。

 村まで走って帰る。頭の芯が火照り、耳まで熱くなっている。


「こ、これが、まさかこれが……」


 私は森の外れまで駆けだして、荒い息を整えながら叫んだ。


「これが、話に聞く、恋というものなのね!!」


 胸の高鳴りが止まらない。

 赤毛の剣士の優しい眼差し、温かい言葉が頭から離れない。

 見ず知らずの村娘に高価なポーションを惜しげもなく差し出し、「命は二度と戻らない」と真剣な表情で語った彼。彼自身になんの利益もないのに、ただ相手を思いやる心。


 私は魔王軍の幹部として、数多の戦いを経験してきた。

 しかし、あのような純粋な優しさに、利他的な行為に触れたのは初めてだった。


 暗殺任務は完全に失敗だ。それどころか、私は敵である勇者一行に心を奪われてしまった。

 衝動に任せてその場でウロウロと歩き回り、立ったりしゃがんだりを繰り返す私を、銀狼が心配そうに見上げている。


「だ、大丈夫よ……大丈夫じゃないかもしれないけれど……たぶん……」


 私は胸に手を当てて、まだ激しく鼓動する心臓の音を聞いていた。これが恋なのだとしたら、なんと恐ろしく、そして美しいものなのだろう。

 でも、私は魔王軍の幹部、貴石姫。彼は勇者の仲間。

 私たちは敵同士。

 この恋が実るわけがない。


(でも……でも! 勝手に好きになるだけなら、良いわよね? 結婚しようとか、恋人になりたいとか、そういうわけじゃないんだから!)


 もらったポーションを握りしめ、夕暮れの空に瞬く星を見上げながら、私は心に決めた。

 魔王軍として人間と戦う。そして剣士にも恋をする。

 両方やることは可能なはずだ。

 だって私は、魔王軍序列三位の貴石姫なのだから!

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