【第6話】ひとりの観察者
観察係として、独り立ちしてちょうど一年が経った。
光は、今日も変わらず観察フロアに向かう。
研修時代のような緊張感はもうない。けれど、その代わりに胸の奥に根を張るような重さを感じる日が増えてきた。
「おはようございます。今日の案件、来てます?」
端末の前に座ると、すぐに隣のブースから無機質な声が返ってくる。
「……転送対象コード、T-1123。前世記録、開示許可済。関連ログ、ホルダーに送信済です」
そう言ったのはプロファイル部の識野だった。
端整な黒髪をまとめた彼女は、タイピング音すら一定のリズムで淡々としている。
光は苦笑しながら言った。
「識野さん、もうちょっと柔らかく返してくれてもいいんじゃない?ほら、1年のお祝いに」
「祝賀的対応は業務に含まれていません」
「……え、バッサリ」
ふっと返された視線に微かな呆れが混じった気がしたが、気のせいかもしれない。
「おーいおーい、また識野さんに振られとんのか、光くん!」
元気な声とともに背後からひょいと顔を出したのは、転送後記録課の伏見だった。
「ほらこれ、前回のT-1119の転送後ログ。まぁ、無事社会適応してるけどさ、転送先でちょっとトラブル起きててね。そういうの早めに見ておいたほうがいいよ」
「助かります、伏見さん」
「いや〜でもさ、君ももう立派な“ひとりの観察者”だな。俺ら記録管理班から見ても、報告はいつも的確で早いし、評判いいんだよ?」
「……ありがとうございます」
光は少しだけ目を伏せた。
“ひとりの観察者”――その言葉の響きが、心に刺さる。
慣れてきた。
ルールも手順もわかってきた。
だが――それだけでは割り切れないものが、たしかに増えてきている。
端末には、新たな転送対象――T-1123のプロファイルが表示されていた。
光はホログラム起動の手を止め、一瞬だけ空を見上げるように天井を仰いだ。
「さて……今日も、“見守る”仕事を始めますか」
――まさかこの観察記録が、自分の運命を大きく変えることになるとは、このときの光には想像もつかなかった。