さよなら、お嬢様
『夜中、お父様とお継母様と異母妹が寝静まった真夜中、使用人全員は離れに来てちょうだい。夢枕に立ったお母様がそう仰っていたの。きっと何か意味があることよ。それと、このことはお父様とお継母様と異母妹には絶対に内緒ね』
私が侍女として働くサフィレット伯爵家のご令嬢、フローラお嬢様に言われた通り、夜中使用人全員は離れにやって来た。
しかし、フローラお嬢様はまだ来ていない。
お嬢様はまだ八歳なので、きっと眠気に耐えられなかったのだろうと、私達使用人は思っていた。
使用人を気遣ってくれる、優しく聡明なフローラお嬢様。そんなお嬢様から言われたことだから、少し妙なお願いだとしても聞いてあげたくなるのは当然だ。
使用人全員で本邸に戻ろうと離れから出た矢先、大きな爆発音が響く。
サフィレット伯爵家本邸が激しく炎を上げて燃えていた。
酷い火災である。
本邸には当主である旦那様と、最近やって来た後妻の奥様、そしてフローラお嬢様と彼女と同い年の異母妹キャンディスお嬢様がいる。
この規模の火災では、中にいる旦那様達が助かる確率は低い。
私達使用人は青ざめた。
その時、一人の使用人が声を上げる。
「フローラお嬢様!」
フローラお嬢様は寝衣姿で離れまでやって来ていた。
私はお嬢様の姿を見た瞬間、火災に巻き込まれていなくて良かったと安心した。
「全員いるのね。全員、無事なのね」
お嬢様は今にも泣きそうな表情だった。
「はい、フローラお嬢様。使用人全員ここにいます」
「良かった……。貴方達が無事で本当に良かった」
使用人を代表した執事の言葉に、お嬢様はポロポロと涙をこぼした。
何とお優しい言葉だろう。きっとご自身も怖かったはずなのに。
お嬢様専属の侍女は、お嬢様を優しく抱きしめる。
私はお嬢様だけでも無事で良かったと思っていた。
それは私だけでなく、恐らく使用人全員が思っていたことだ。
しかし、本邸の火はどんどん周囲に燃え広がり、じきに私たちがいる場所にも火の粉が飛んで来そうだ。
私達はお嬢様と一緒に更に安全な場所に避難した。
あれ……?
避難をしながらチラリと燃えている本邸を見た時、私の脳内にとある映像が流れて来た。
あ……!
その映像には見覚えがあった。
それは私の前世の記憶。
前世日本人だった私はとある小説に夢中だった。
その小説の内容が波のように脳内に流れて来る。
その小説のヒロインは他でもないフローラお嬢様。
目の前にいる、紫の長い髪にピンク色の目のお嬢様はまさしく小説のヒロイン、フローラの見た目だった。将来美人になる片鱗が既に現れている。
フローラお嬢様は実母が亡くなった後、実父、継母、異母妹キャンディスから虐げられて生きるドアマットヒロイン。
お嬢様はキャンディスからはアクセサリーやドレスだけでなく、魔力や魔道具に関する論文の実績や婚約者まで奪われてどん底まで落ちてしまう。しかしヒーローの王太子が救ってくれて名誉や功績を取り戻し、そのまま溺愛ルートに入る王道の物語。
どうやら私はモブ侍女らしい。
あれ? だけど、サフィレット伯爵家本邸が火災になる出来事なんて小説ではなかったはず……。もしかして、似て非なる世界?
色々と気になっているうちに本邸は焼失し、旦那様、奥様、キャンディスお嬢様が亡くなったことも知らされた。
ꕥ ꕥ ꕥ ꕥ ꕥ ꕥ
その後、フローラお嬢様は実母の生家であるフィオルド侯爵家に引き取られた。
よくあるドアマットヒロイン系の小説で母方の祖父母を頼れないのかと疑問に思うことがあったけれど、私が夢中になった小説では長期に渡ってフローラお嬢様の母方の祖父母、伯父一家は他国にいたから簡単に頼ることが出来なかったようだ。
しかし今回の火災の件で、お嬢様の祖父母だけこの国に戻って来てくれた。
「フローラ、大変だったな」
「一人残されてしまって……。遠慮なく私達を頼ってね」
「ありがとうございます、お祖父様、お祖母様」
お嬢様は祖父母であるフィオルド侯爵家の大旦那様と大奥様に抱きしめられていた。
大旦那様と大奥様はまともそうなので、お嬢様が不幸になることはないだろうと私は少し安心した。
その後、サフィレット伯爵家の使用人はフィオルド侯爵家に移るか、大旦那様に紹介状を書いてもらい別の職場に移ることになった。
お嬢様を虐げる旦那様、奥様、キャンディスお嬢様の死や、フィオルド侯爵家の大旦那様達の登場により本来の物語から大きく逸脱してしまっている。しかし私は優しく聡明なお嬢様が大好きだし、前世の小説でも推していたので、フィオルド侯爵家の使用人になる選択をした。
前世の推しフローラお嬢様の近くにいられるなんて幸せ! だけど、お嬢様だってこの世界を生きる一人の人間。私の理想を押し付けることだけは絶対にやめよう。モブとしてお嬢様を見守るに徹する。
そう決意し、私はお嬢様に接することにした。
ある日のこと。
私は魔道具研究をしているお嬢様と、彼女専属侍女の会話を聞いた。
「フローラお嬢様、その魔道具は一体何でしょうか?」
「炎の魔石を使った魔道具よ。小型だけど火力が強いから取り扱いには気を付けないといけないわ。このお屋敷を燃やしてしまったら大変だもの」
「お嬢様ったらご冗談を」
お嬢様と専属侍女はクスクスと笑っていた。
フローラお嬢様はやっぱり魔道具作りの才能もある。小説の通りだ。
私は思わずニヤけてしまった。
しかし数日後のこと。
私は屋敷を掃除していると、お嬢様の姿を見かけた。
お嬢様がポツリと小さな声で呟く。
「あと四人……煩わしいわ」
それは今まで聞いたことのない、低く冷たい声。
私は耳を疑った。
お嬢様……!? いや、だけど人には少なからず裏がある。それに、それだってその人の一部。もしもその人の見たくない部分を見てしまって、簡単に拒絶することは浅はかなこと。お嬢様にだって、そういう面はあるのだから、そこも含めて受け入れよう。
ショックではあったが、私はそう決めて再びいつも通りお嬢様と接することにした。
お嬢様だって一人の人間だ。
ꕥ ꕥ ꕥ ꕥ ꕥ ꕥ
数日後、お嬢様の周囲で異変が起こり始める。
お嬢様が参加したお茶会などで、必ずと言っていい程死者が出る。
しかも私にとって聞き覚えのある名前の者ばかり亡くなっている。
お嬢様からキャンディスお嬢様に目移りして、公然の場で婚約破棄を告げる婚約者。
学園でお嬢様を馬鹿にする令嬢。
お嬢様を襲おうとした令息。
お嬢様が王太子妃になる時に邪魔立てをする令嬢。
小説でお嬢様を虐げたり邪魔をする者達ばかりである。
こんな偶然ってあるのだろうかと疑問に思った。
その時、ふとお嬢様の言葉を思い出す。
『あと四人……煩わしいわ』
まさか……。
小説でフローラお嬢様を虐げたり邪魔立てをする者は亡くなった旦那様、後妻の奥様、キャンディスお嬢様以外で四人。
今回亡くなった者である。
更に私は以前お嬢様が専属侍女に話していたことを思い出す。
『炎の魔石を使った魔道具よ。小型だけど火力が強いから取り扱いには気を付けないといけないわ。このお屋敷を燃やしてしまったら大変だもの』
私の中である恐ろしい仮説が思い浮かぶ。
フローラお嬢様は転生者で……魔道具を使ってサフィレット伯爵家本邸の火事を起こして旦那様、奥様、キャンディスお嬢様を殺した……。そして小説でお嬢様を虐げるキャラ四人も……殺した……。
私の呼吸は浅くなる。
その時、向かいからお嬢様が歩いて来る姿が見えた。
私は思わず隠れる。
今の精神状態でお嬢様には会えない。
私はお嬢様が通り過ぎるのをただひたすら待った。
すると、お嬢様の声が聞こえた。
「全員笑えるくらい呆気なく死んだわね。お父様もお継母様もキャンディスも、それからクズ婚約者達も」
お嬢様は愉快そうに独り言を呟いている。
「ドアマットヒロインなんてやっていられないわ。私はこの物語のヒロインなのだから、虐げられることなく幸せになるべきよ。嫌いなキャラ、ムカつくキャラなんて死ねば良いわ。だってどうせ物語のキャラだもの」
チラリと覗いたお嬢様の表情は、醜く歪んでいた。
私は恐ろしくてお嬢様が去った後もその場から動けずにいた。
お嬢様……いや、あれはフローラお嬢様の皮を被った化け物……。私が慕っていた、推していたお嬢様は、どこにもいない。
その事実がショックで、どうしようもなかった。
……確かに、虐げられるドアマットヒロインなんてやっていられないのは分かる。私だって、物語を読んで嫌いなキャラには消えて欲しいって思ったことはある。だけど、旦那様も奥様もキャンディスお嬢様もただの物語のキャラではなく、この世界を生きる人間。それは殺された他のキャラだってそう。
転生して原作知識があるのなら、他にいくらでも対策ややり方があったはず。
なのに……。
気付けば涙があふれていた。
そして数日後、私はフィオルド侯爵家の侍女を辞め、フローラお嬢様から離れることにした。
ꕥ ꕥ ꕥ ꕥ ꕥ ꕥ
十年後。
私は隣国の商会で働いていた。
フィオルド侯爵家を辞める際、大旦那様に紹介状を書いてもらい、今の商会で働くことにしたのだ。
私は前世からの知識を生かして新しい道具を開発するなどそこそこ活躍している。
おまけに商会で働く男性と結婚し、子供にも恵まれた。
私は今、穏やかな人生を送っている。
そんなある日の休日。
「今日の新聞読んだか? 隣国の王太子殿下の結婚式だって。確か君の祖国だろう?」
夫にそう言われ、私はテーブルに置いてあった新聞を手に取る。
あ……。
新聞の一面には大きく私の祖国の王太子の結婚式の様子が報じられていた。
私の目に留まったのは、王太子妃になる者の肖像画。
フローラお嬢様……。
どうやらあのフローラお嬢様は小説の通りに王太子と結ばれたらしい。
王太子殿下とお嬢様の幸せそうな表情が新聞に描かれている。
嫌いなキャラやムカつくキャラを簡単に殺してしまうお嬢様。あれ以降、王太子殿下の隣に立つまでにもしかしたらまた何人か殺しているかもしれない。
私はそんな気がしてならなかった。
私が慕っていた、推していたフローラお嬢様はもういない。
私は新聞を閉じてテーブルに置いた。
さよなら、お嬢様。
読んでくださりありがとうございます!
少しでも「面白い!」と思った方は、是非ブックマークと高評価をしていただけたら嬉しいです!
皆様の応援が励みになります!