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6 赤壁の戦い

 江南一帯を支配する独立国家、呉は、孫策の跡を継ぎ、孫策の弟の孫権を新しい君主として迎えた。

 孫権は善良であり、よく国を治めた。

 この国をつくった建国の祖、孫策をたいへん大事に崇め祭った。

 孫権が即位してから八年目、独立国家呉に、後漢の軍勢が攻めてきた。

 後漢の軍勢は、総勢百万人ともいわれ、とても勝ち目のある戦いとは思えなかった。

 孫権は家臣に問うた。

「後漢の献帝と、呉を治める余と、どちらが高い徳をもっているか」

 家臣は問うた。

「我が君は何をおっしゃっているのですか。人の人徳などわかりませぬ」

「余は、献帝を見たことがない。余の人徳が献帝に優るなら、決して我が軍は負けることはないであろう」

「しかし、後漢の軍勢といっても、実質、それを指揮しているのは、丞相の曹操でございます」

「そんなことは知らぬ。後漢が攻めてきたのであろう。後漢の徳が天下に尽きたとは、よく聞いた文句だ。献帝の徳が余の徳に劣るなら、天が我らの味方をするであろう。天命は我にあるか?」

 そして、孫権の配下、周愉が総大将となり、後漢の百万の軍勢と勝負をした。

 後漢の軍百万に比べて、孫権軍はわずか三万人であった。

 そして、みなが知るように、数で劣る孫権軍が曹操軍を見事、撃退するのである。

 この戦いに、劉備はほとんど関係ないといってもいいだろう。

 赤壁に勝った孫権は思った。

 天運は我にあり。我、皇帝とならんや。

 我、天下第一の人徳者なり。


 後、孫権は皇帝を名乗り、孫策の築いた都、建業は六朝文化の中心地として、大いに賑わい栄えた。これも、孫策の国づくりの優れた偉大さを示しているだろう。建業は、今で言う南京であり、中華第二の都市である。


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