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投稿小説作品【水上雪乃】  作者: 水上雪乃
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獣を狩るは

 満月期に近づいた月が、仄白い光で地上を照らす。

 卑小な人間どもが築いた街を。

 闇におびえ、人工の光で満たした虚栄と背徳の都市。


「‥‥まったく‥‥ロクでもねぇ」


 街角。

 煙草の火種が、無明の闇に弱々しく浮かぶ。

 浮かぶ、男の顔。

 まだ若い。

 彼の名はヨハン・カジンスキー。

 野良犬ヨハン、と、人は呼ぶ。




 はじまりは、どこにでも転がっていそうな依頼だった。

 賞金首を捕縛する。

 ヨハンが年に一〇回はこなすような、そんな仕事だ。

 金貨五〇枚。

 賞金額としては安くはない。


「が、命を張るほどの値段じゃねぇな」


 自嘲を込めた苦笑。

 薙がれた脇腹が、ずきずきと痛む。

 相手は、強盗を繰り返していた男だ。

 顔も名前もわかっている。

 だが、いままで一度も捕縛にいたっていない。

 追跡してもなぜか見失うのだ。

 その理由は、


「ライカンスロープだったとはな。

 人間を捜しても見つからねぇわけだ」


 呟く。

 赤みを帯びた瞳に、皮肉な光が揺れていた。

 正面には、狼の顔をした男。

 獣人。

 ワークリーチャー、ライカンスロープとも呼ばれる。

 最も親しまれた呼び方だと、狼男ということになろうか。


「阿呆の知恵は後から出るってな。

 事件が起こるのは決まって満月期‥‥充分なヒントはあったわけだ」


 まったく、ただの人間だと油断したばかりに、このざまだ。

 予想以上に速い攻撃を避けきれず、左脇腹を大きく抉られてしまった。

 ダメージは内蔵には達していないものの、絶え間ない出血が地面を汚している。


「この姿を見たからには、死んでもらうぞ」


 くぐもった声で、狼男が宣告した。

 もともと獣の口というのは、人間の言葉を操るには向いていないのだ。

 こんな場合だが、ヨハンはおかしみを感じた。


「死ぬのは‥‥少しだけ嫌だな」


 じりじりと間合いを取る。


「なに、痛いのは一瞬だけだ」

「その一瞬が長いのさ」

「それは我慢してもらうしかないな」


 軽口を叩き合いながらも、視線は互いに相手の目から外さない。

 目を逸らした瞬間、必殺の一撃が飛んでくるからだ。

 隙を探るように、ゆっくりと移動するふたり。

 ヨハンが圧倒的に不利な状況だった。手負いだからだ。

 時間が経てば経つほど体力も血液も失われてゆく。

 短期決戦に賭けるしかない。

 だがそれは、相手も充分に承知しているだろう。

 どうしたもんかな‥‥。

 内心に呟くヨハン。

 現在のところ選択肢はふたつある。

 つまり戦闘継続か逃亡か、ということだ。

 逃走に成功すれば、軍に事情を説明する事ができる。

 そうすれば賞金首を捕縛することは容易になるだろう。

 賞金は手に入らないが、なんといっても、命あっての物種だ。

 もちろん、逃げられればの話であるが。

 ヨハンを逃がすということは、相手にとっては破滅を意味するのだ。

 絶対にここで勝負を決めようとする。


「逃げるか戦うか考えているのか?」

「‥‥いや。

 三番目の方法を考えてたんだよ」

「三番目?」

「今日のところは引き分けにしておいてやる。

 どうだ? 手を引かないか?」


 にやりと、ニヒルな笑みを浮かべるヨハン。

 格好つけた仕草だが、


「くははははっ!」


 相手が大笑する。

 不利な方が申し出るような話ではない。


「おまえの通り名は野良犬だったなっ!

 渾名にふさわしい道化ぶりだ!

 しょせん犬は犬。狼には遠く及ばんなっ!!」

「そうか?

 花をもたせてやろう思ったんだがな」


 瞬間。

 ヨハンの姿が消える。


「なっ!?」

「こっちだ」


 背後から聞こえる声を彼は認識できただろうか。

 ごろりと転がり落ちる、狼の頸。

 頭部を失った肉体が鮮血を吹き上げながら倒れる。


「ボルゾイって知ってるかい?

 狼を狩るために生まれた犬さ。

 俺は野良犬だが、もしかして犬種はボルゾイかもしれねぇぜ」


 驚愕の表情を浮かべたままの頸に語りかける。

 淡々と。

 ヨハンのとった三番目の方法。

 すなわち、相手に油断してもらう、である。

 戦いとは相対的なもの。

 相手をたった一枚だけ上回れば良い。

 相手が自分より遅いと思っていたこと。

自分より劣ると思っていたこと。

 逃げようとしていると思っていたこと。

 それらが、狼男の敗因だ。

 勝因のない勝利などいくらでもあるが、敗因のない敗北はひとつもない。

 今回もまた、歴史上の多数例にならっただけの話だ。

 乾いた音を立てて、仕込み杖が転がる。

 さすがに、立っているのも辛くなってきた。

 薄汚れた壁に身体を預け、のろのろと懐を探る青年。

 血に濡れた手で紙巻き煙草と着火器を取り出した。


「‥‥血の味が‥‥しやがるぜ‥‥」


 ゆらゆらと。

 煙が立ち上ってゆく。

 月光に照らされ、青白く。

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