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投稿小説作品【水上雪乃】  作者: 水上雪乃
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暁闇

 デスバレー要塞。

 ルアフィル・デ・アイリン王国とバール帝国を繋ぐ街道。

 国境付近に、それはある。

 流浪の旅を続けるジレルがここを訪れたのは、国境紛争のさなかだった。

 断続する帝国軍の攻撃で要塞には負傷者が溢れ、王国軍の衛生班だけでは手が足りず、たまたま近隣の村に逗留していた彼女に協力要請があったのだ。

 むろん要請は、あくまでも任意のことである。

 ジレルとしては無視しても大過ない。

 だが、それをできる性格の彼女ではなかったのだ。


「我ながら、お節介だとは思いますが」

「でも、すごく助かります。

 ジレルさんがきてくださらなかったら、何人死んでしまっていたか、わかりませんから」


 慨嘆に応えたのは、知己となったばかりの少年兵だった。

 そばかすを残し、はにかんだ顔がけっこう愛らしい。

 年長の女性に憧れる年頃だ、と評すれば、おそらくはむきになって否定するだろうが。


「恐縮です。

 たいしてお役にも立てませんのに」


 律儀に頭をさげるジレル。

 謙遜ではない。

 残念ながら。

 ここは戦場である。

 助かる命より消えてゆく命の方が多いのだ。

 それが、痛恨の極みだった。

 とはいえ、要塞に駐留する王国軍の将兵がジレルに感謝しているのは疑いのない事実である。

 医薬品もろくに揃わぬ辺境の要塞だ。

 回復魔法の使える神官の存在は、まことにありがたい。

 わずか数日の滞在で、彼女は兵士たちとうち解けていった。


 そして、運命の日がくる。




 トワニング卿率いるバール帝国軍一五〇〇〇が要塞に肉薄したのは、深夜のことであった。

 要塞側は警戒を怠っていたわけではない。

 敵の方が一枚上手だっただけの話である。

 だが、「だっただけ」では済まないのが、兵士たちだ。

 緊急警戒警報が鳴り響き、次々と砲門が開いてゆく。

 それを皮切りに、帝国軍の攻勢が始まった。

 矢と投槍が闇を裂き。

 魔法の爆光が城壁に穴を穿つ。

 巨大な攻城槌が叩きつけられ、要塞内は地震のように鳴動した。

 もちろん、デスバレーも黙ってやられていない。

 城壁の上から、銀の雨となって矢が降り注ぐ。

 凶悪な威力を誇る要塞砲が沈んだ太陽を沖天に引きずり出すような魔力光を放つ。

 もともと、このような要塞は守りやすく攻めがたいように設計されている。

 逆では意味がない。


「側面に回り込んだ敵は副砲で対応しろ!

 近づけさせるな!!」


 要塞司令官の怒声が、伝声管を通じて城内に響く。

 血相を変えて走り回る兵士たち。

 戦闘部署もなく、為すべきこともわからずたたずんでいるジレルの肩を、誰かが掴んだ。


「!?」


 びくっと身を震わせる彼女に声をかけたのは、


「ジレルさん。

 ここは危険です。

 奥に退避してください」


 見知った顔の軍医だった。

 白衣は、すでに血で汚れている。

 はっとなったジレルが、慌てて首を振る。


「私もお手伝いします」

「しかし‥‥」

「やらせてください。

 お願いします」

「‥‥わかりました。

 ではこちらへ」


 やや躊躇った後、軍医が前線医療部へと案内した。


「ひっ‥‥」


 ジレルの口が、小さな悲鳴を漏らす。

 それは、この世の地獄。

 下半身を失った兵士が、母の名を呟きながら呻吟する。

 腕や足をなくした兵士が、ぐったりとしている。

 全身に火傷を負った兵士が、消え入るように声で水を求める。

 血と埃と絶鳴が三重奏を奏でる。


「つらいようでしたら、戻りますか?」


 軍医が声をかけた。


「い‥‥いえ。

 大丈夫です」


 ジレルが応える。

 震える膝を必死で叱りつけながら、回復魔法の詠唱を始めた。

 怖いとか。

 恐ろしいとか。

 いまはそんなことを言っている場合ではない。

 彼女が逃げ出したら、ここにいる兵士たちの何割かが、

 確実に冥界の門をくぐってしまうのだから。

 あらん限りの精神力を使い、次々と兵士を癒してゆく。

 と、その手が止まった。

 なにかが心に棘を残したのだ。

 見渡す。


「うそ‥‥!?」


 見つけた。

 見つけてしまった。

 担架に乗せられて運び出される死体を。

 小麦色の肌。

 そばかす。

 ほんの数刻前、はにかんだように笑いかけてくれた少年兵。


「そん‥‥な‥‥」


 このときジレルは、初めて戦争の悲惨さと愚かさを知ったような気がする。


「嘘です‥‥ 嘘です‥‥嘘です‥‥」


 譫言のように繰り返す。

 透明な滴が白い頬を伝い、落ちた。




 暁闇。

 バール帝国軍の攻撃は、結局、失敗に終わる。

 敗走後、遺棄された死体は約四〇〇〇。

 要塞駐留軍のそれの、四倍にのぼった。


「敵の遺体は、どうするのですか?」


 要塞に設えられたテラス。


「味方と同じです。

 埋めて、簡素なものですが墓標を建てます」


 ジレルの問いに、軍医が答えた。

 手に持った煙草から、ゆっくりと紫煙が立ち上り風に溶けてゆく。


「祈りの言葉、知っていたらお願いできますか?

 ジレルさん」

「‥‥はい」


 時の精霊が二人の間を通過し、煙草の火が消える。

 ふたたび、軍医が口を開く。


「私たちは人殺しです」

「‥‥‥‥」

「許されないことをしているのに、どうして正義だと主張するのでしょうね‥‥」

「‥‥‥‥」

「すみません。

 変なことを言いました」

「いえ‥‥本当は私にもわからないんです」

「というと?」

「神が‥‥アイリーンが私たちに何をさせたいのか‥‥」

「そうですか‥‥」

「もしかしたら滅びこそが御意なのか、と、思うこともあります」

「それは、どうでしょうか?」


 軍医が、優しげに微笑した。

 小首をかしげるジレル。


「私たちの細胞は、常に生きようとしていますよ」


 じつに医学者らしい言葉だ。

 なんとなく可笑しくなり、


「はい」


 つられるように、ジレルも微笑する。

 山裾が明るさを増し、気のはやい鶏が刻を告げた。

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