演習
積乱雲のように巻き上がる土煙を見つめ、ジュダーク・ミルヴィアネスは吹き出してもいない汗を拭った。
立てた作戦には自信がある。
自信はあるが、相手が相手だ。
青の軍。
大陸最強を謳われる騎兵集団。
どれだけの猛将や知将が、この兵団の前に敗れ去ったか。
バールの鬼姫、ドイルの猛虎朗君、そして竜騎士を率いていたウィリアム・クライヴ。
無能からは程遠いものたちが青の軍に敗れ、野望の途上に倒れた。
充分に研究し、対策を練っていたにも関わらず、敗北の悲歌は彼らのために奏でられたのだ。
常に想像を上回る力を発揮する。
それがルアフィル・デ・アイリン王国が世界に誇る青騎士たちだ。
まさか、そんな連中と戦うことになるとは、つい先日までは予測もしなかった。
「予定通りに」
冷静さを保ったまま命じたつもりだったが、ごくわずかにジュダークの声がうわずる。
多少の不統一性を見せながら陣列を組み替えてゆく彼の隊。
赤の軍、コナリー連隊麾下のジュダーク大隊。
それが彼が指揮する部隊である。
兵員六二五〇名。
重装歩兵分隊が三〇。
歩兵分隊が六四。
通信分隊が五。
弓箭兵が一五。
衛生分隊が五。
補給分隊が五。
魔法分隊が一。
これが内訳だ。
対するのは青の軍、ツバキ連隊麾下のピレンツェ大隊。
こちらはほとんどが騎兵で編成されている。
数の上では同じだが、まともに戦って勝ち目はない。
では、勝ち目がないのにどうして戦っているのかというと、演習なのだ。
演習場を所狭しと駆け回るピレンツェ隊に対して、ジュダーク隊はまた能動的な行動を見せていない。
「円陣を組んで防御を固める、か」
監覧席で、花木蘭がほくそ笑む。
ジュダークの小僧にしては気の利いた判断だ。
もともと赤の軍の任務とは王都の防衛である。
なまじ積極的な攻勢に出るよりは堅守が好ましい。
円の外周を重装歩兵で固め、内側から弓箭兵が攻撃する。
誰の目にもその目論見が見えるだろう。
したがって、
「ピレンツェとしては、堅い守りをどう崩すか、そこがポイントだな」
興味をこめて女将軍が戦場を見つめる。
ジュダークは一八歳。
ピレンツェ・ルート中佐は二三歳。
ほぼ同年代であり、奇跡的な昇進速度という点で拮抗する。
ただ、前者が名家の家名を背負っているのに対して、後者は自らの武勲のみで出世してきた。
そこが違いといえば違いであろう。
蒼い甲冑の群れが突撃する。
両軍か接触する寸前、大きく進路を変えるピレンツェ大隊。
「カラコールっ!?」
ジュダークの本陣。
シェルフィ・カノン中尉が思わず声をあげた。
常勝将軍が最も得意とする高軌道騎馬戦術。
いきなりこれを出してくるとは、ピレンツェはかなり本気だということだ。
「焦らないで、カノン中尉。
あれは擬態だから」
「擬態ですか?」
「防御態勢を作ってしまってからカラコールを仕掛けても意味がない。
損害が増すだけだからね」
指揮棒を握りしめながら、むしろ自分自身に言い聞かせているようなジュダーク。
カラコールは、陣の無防備な面……つまり側面や後背を襲うことに真髄がある。
だが円陣には前も後ろも右も左もない。
攻撃のきっかけが掴みにくいはずだ。
「相手は我が隊の周囲を回りながら、どこかで一点突破を仕掛けてくると思う」
「そのときに、こちらの作戦が発動しますね」
作戦名、鳳仙花。
この日のためにジュダークが考えに考えてきた作戦行動だ。
青の軍相手に速度を争うのは愚かなこと。
待って罠に誘い込むのが肝要である。
だが、それはピレンツェも充分に承知しているだろう。
どのような手段で罠を食い破ろうとするか。
もちろんこの時点で予測するのは不可能というものだ。
やがて、青の軍が防御陣へと襲いかかる。
「フェイオ小隊とルマーニ小隊が攻撃に晒されていますっ!」
「二ヶ所同時か……」
「いえっ!
バニング小隊も接敵しましたっ!」
「く……っ」
無念の臍を噛むジュダーク。
機動戦術ハウンド。
ドイルのアラート王子が敗れ去った戦法である。
同時多発的な攻撃を繰り返すことによって、敵に物心両面から損耗を強い、防衛ラインを食い破るのだ。
ジュダークはこの戦術を伝え聞いてはいたが、実際に目にするのは初めてだった。
三ヶ所を同時に攻めたてられては、防御を固め続けるのは至難だ。
いずれどこかが食い破られるし、それまで手をこまねいているのでは損害が増すばかり。
無策に過ぎるというものだろう。
「予定より、かなりはやいけど……」
「仕掛けますか?」
「ああ」
指揮棒が踊る。
重装歩兵たちが崩れた、ようにピレンツェ隊には見えた。
好機である。
突入してゆく騎兵たち。
「なるほど。
そういう罠か」
木蘭が頷いた。
ジュダーク隊は崩れたのではない。
わざと陣を開いたのだ。
そんなことをすれば、中の弓箭兵たちが無防備で晒されてしまうが、そこにこそ罠がある。
つまり、ピレンツェ隊はこの機に乗じる形で弓兵を仕留めにかかるだろう。
鬱陶しい長距離攻撃部隊から片づければ、勝利の天秤は大きく傾く。
一気に勝敗を決するチャンス。
そう思ってもおかしくない。
「だが罠とは、敵の願望する方向へと導くもの。
この程度の攻勢で崩れる防御陣ならば、わざわざ敷いた意味がないぞ。
ピレンツェ」
女将軍の言葉を補強するように、たたらを踏んで急停止する騎兵たち。
突入してくる後続部隊も先に進めず、ジュダークの術中にはまってゆく。
「突けば弾ける。
鳳仙花とは良く名付けたものだ」
陣の内部では、網を足に絡ませた馬たちが哀しげないななきを発している。
機動力を誇る部隊が、機動力を失った。
ここで攻勢をかけないものがいるとすれば、少なくともそれは軍の指揮官ではないだろう。
「各個撃破しなさい」
指示が飛ぶ。
襲いかかるジュダーク隊。
次々と上がる戦死マーク。
勝敗は決したかのように見えた。
「少なすぎる……」
若き中佐の呟き。
むろん、給料袋の中身のことではない。
「与えた損害を調べてくれ。
可及的速やかに」
「あ、はい」
やや慌てて、命令を実行しようとするシェルフィ。
だが、遅かった。
「敵本隊が一点突破を仕掛けてきますっ!!」
伝令兵の悲鳴じみた報告。
「やられたっ!?」
シェルフィが上官を振り仰いだ。
もちろんジュダークも明確な対応策など持っていない。
「本陣の前に重装歩兵隊を移動させて、防御陣を再構成する」
常識的で無難な選択である。
これで騎馬突撃を防いでいる間に、各所で戦う兵士たち呼び集め陣形を再編しなくてはならない。
本陣まで浸食されるのがはやいか、再編がはやいか。
「微妙なラインですね」
不吉な顔で不吉なことをいうシェルフィ。
そしてその予言は的中してしまう。
消耗戦になった。
どちらの隊も決定打を出せずに、ずるずると損害だけが増している。
ジュダークとピレンツェは、期せずして同時に溜息を吐いた。
演習終了を告げる銅鑼が、鳴り響く。
「やりますね、なかなか」
ジュダークが言った。
右手を差し出しながら。
「貴官もな。
ただのボンボンではないということか」
ピレンツェが笑う。
「ボンボンはやめてくださいよ」
交わされる握手。
演習の講評は、後日に言い渡されることになっている。
だがむろん、二人とも自分が勝者だと主張するつもりはなかった。
「良かったら一杯付き合わないか? これから」
「良いですねぇ。
じつは緊張で喉がからからなんですよ」
「奇遇だな、俺もだ」
最年少の士官たちが肩を組んで歩き出す。
後の処理を副官たちに託して。
じつのところ、これは初めてのことだった。
ジュダークにとって。
自分の仕事を他人に任せたことなど、いままで無かった彼なのだ。
「僕にも悪友ができてしまったってことかな?」
言葉にはしない思い。
断金の友情の、これがはじまりである。