表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
投稿小説作品【水上雪乃】  作者: 水上雪乃
12/27

雨音は

 雨は好きではない。

 墨絵のような庭を眺めながら、ガドミール・カイトスは溜息をついた。

 こんな日は、昔のことを思い出してしまう。


 パーティーというのは、どうも苦手だ。

 こう次々に話しかけられては、満足に食事を楽しむこともできないではないか。

 とは、カイトス少佐どのの正直な感想だが、二一歳の若さでそれだけ出世していれば目立たないわけがない。

 まして、名門カイトス家の次期当主だ。

 娘を売りつけようと寄ってくる貴族や富豪だけでも一個小隊くらいいそうだ。

 社交辞令と外交儀礼に疲れ果て、カイトスが視線を彷徨わせる。

 一瞬の交錯。

 壁際から、こちらを見ている少女と目があった。

 深く紅い瞳が、真っ直ぐにこちらを見ている。

 好意的な眼差し、ではなかった。

 軽く首をかしげた青年が、歓談の輪から抜け出して少女に歩み寄る。


「失礼‥‥」

「立派な眉毛ね」


 話しかけた瞬間、相手からの言葉。

 用兵や才能を褒められることはよくあるが、眉毛を褒められたのははじめてだ。

 苦笑を浮かべる。


「俺はガドミール・カイトス。

 君は?」

「壁の花よ」

「名前を聞いたんだが‥‥」

「名乗れるような身分じゃないわ」


 おかしなことを言う。

 帝国のパーティーに出席している以上、身分卑しいもののはずがない。

 重ねて問われ、少女はレティシア・クァーリフと名乗った。


「なんだ、クァーリフ伯爵のご息女か。

 どうして伯爵令嬢が名乗れない身分なんだ?」

「妾腹だからよ」


 あっさりと答えるレティシア。

 表情の選択に困るというのはよくあるが、女性の出自でははじめてだ。

 なんにしても無神経な質問をしたカイトスが悪い。


「よしないことを訊いてしまった。

 許してくれるとありがたい」


 頭をさげる。

 気にした風もなく少女が笑った。

 安心しかかったところへ、


「カイトスどの、お捜ししましたぞ」


 背後から声がかかる。

 振り向いた先に立っていたのは、クァーリフ伯爵だった。


「私の娘たちを紹介しようと思いましてな。

 長女のメヌエラと次女のシャリーンです」

「はあ‥‥」


 曖昧に頷く青年に、若い娘がふたり優雅な礼をする。


「ご息女は三人ではないのですか?

 クァーリフ卿」

「え!?

 いやまあ、それは‥‥」


 口ごもっているのが罪の証だ。

 とはいえ、レティシアが父の姓を名乗ったということは一応、認知はされているのだろう。

 なんとなく振り返る。

 案の定、少女はもういなくなっていた。

 紫がかった黒髪と紅い瞳が、なぜがいつまでもカイトスの心に残っていた。




 カイトスとレティシアの再会は、まったく情緒のない場所だった。

 妻も恋人もいない青年騎士は、妓館で時を過ごすことがある。

 そしてその日も、なんとはなしに入った店であの少女と再会してしまったのだ。

 幾重にもばつが悪い。

 ただ、レティシアの方は悪びれなかった。


「お金がいるのよ。

 母が病気だから」

「クァーリフ卿からの援助してもらえば良いじゃないか」

「父からの送金なんて、とっくに本妻がストップさせてるわ。

 ま、女としては当然の感情でしょうけどね」


 つまり、少女がもらったのはクァーリフの姓だけだ。

 ほかのものは何ももらっていない。

 金銭も、愛情も。


「ひどい話だな‥‥」

「べつに。

 援助してもらいたいとも思わないしね」

「なあ、もし良ければ俺が‥‥」

「ストップ。

 母はお金で人生を男に売ったけど、あたしはそんな気はないから。

 お客さんとしてくるなら歓迎するけど。

 でも、男からの援助なんてまっぴらよ」


 ぴしゃりと言い切る。

 カイトスの厚意は不発に終わった。

 彼としてはレティシアを愛人にしようというつもりはなかったが、たしかに金で解決しようとしていたのは事実である。


「どうも君には痛いところを突かれてばかりだな」

「あたしが鋭いんじゃなくて、少佐が甘いんでしょ」

「そうかもしれないなぁ」

「でもまあ、せっかく来たんだからサービスは受けていくでしょ」


 女の表情を紅い瞳に浮かべ、レティシアが言う。




 ふたりの逢瀬は、その後幾度か繰り返された。

 奇妙な関係ではあるが、それなりに充実した日々だった。

 口ではなんやかやといいつつ、結局は互いに惹かれあっていたのかもしれない。

 だが、それも唐突に終わる。

 レティシアの母親が亡くなったのだ。

 葬儀に参列したのは、娘とカイトスと数人だけ。

 クァーリフ伯爵はついに姿を見せず、弔文も送られず、使者も訪れなかった。


「やっぱり日陰者だったのよね、母は」


 ぽつりと漏れたレティシアの言葉。

 答える術をもたず、カイトスはただ彼女の肩を抱くだけだった。

 しかも、不幸はまだ終わらない。

 今度はレティシア自身が病に倒れたのである。

 不特定多数の男に身体を売ってきたツケ。

 死に至る病を感染うつされたのだ。


「レティ‥‥」

「そんな哀しい顔しないでよ、ガド。

 それよりアンタには感染ってないでしょうね」

「ばか‥‥他人の心配をしている場合か」

「だって、もしそうだったら死んでも死に切れないじゃない。

 好きな男を病気にしたのだけが、あたしの生きた証なんて」

「レティ。

 頼みがある」


 やせ衰えた少女の手を握り、カイトスが切り出す。


「俺と結婚してくれ」


 いまさらの告白。

 彼の愚かさの証明。

 こんな、こんな事態になってはじめて、大切なものに気づいた。

 さっさと攫ってしまうべきだったのだ。

 それで嫌われようと、死よりはマシだったはずだ。


「ばかね‥‥結婚なんかしたら、ガドの経歴に傷が付いちゃうじゃない。

 こんな日陰者と‥‥」


 弱々しい笑い。


「馬鹿‥‥」


 痩せて弾力を失った唇に、青年のそれが重なった。

 窓の外で、冷たい雨が降り続いていた。


 カイトス家の陵墓のひとつに、レティシア・カイトスなる人物の墓が存在する。

 墓碑銘は、


「我が最愛の妻、ここに眠る」


 である。

 撰したものの名は記されていない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ