海鷹
大海の波をかきわけ、船が駆ける。
駆逐艦イーゴラ。
ルアフィル・デ・アイリン王国海軍が誇る高速艦である。
「ひょぅ!
すげーぜっ!」
甲板上、フリートウッド・ブロアムが歓声をあげた。
速い速い。
周囲の景色がうしろに吹き飛んでゆく。
三八ノット。
時速に換算すると、おおよそ時速六八キロメートルである。
これほどの速度が出せる船は、そう滅多に存在しない。
順風満帆に風を受けた小型帆船だって、ここまでは速くないだろう。
「どうだ?
フリートウッド」
スピーカーから声が聞こえる。
艦橋で舵を握っているセラフィン・アルマリックの声だ。
「最高だぜっ!」
フリートウッドが親指を立てて見せた。
彼はイーゴラの乗組員ではない。
それどころか、正式な軍人ですらない。
にもかかわらず、この艦に乗り込んでいるのは、艦長たるセラフィンに招かれたからだ。
哨戒任務への同行というかたちだ。
けっこう公私混同なのだが、いちおうは艦長の運用権の中のことである。
「連絡船か釣り船くれぇしか乗ったことねぇからなぁ」
手すりに掴まったまま、フリートウッドが呟く。
潮風が心地よい。
と、前方に船が見えた。
かなり大きい。
「あの船はなんだ?
セラ」
「木蘭のヨーク&ランカスター。
うすらでかい役立たずさ」
「へぇ。
あれがねぇ」
倍くらいの大きさだな、と、フリートウッドは目算した。
遠目からでも、偉容はよくわかる。
「ちょっと面白い芸を見せてやるよ」
セラフィンの声が聞こえ、イーゴラは真っ直ぐヨーク&ランカスターに突っ込んでゆく。
ぐんぐん距離が狭まる。
「お、おい。
なにをするつもりだ?」
やや慌てるフリートウッド。
まさか、体当たりでもするつもりなのだろうか。
「まあ見てなって☆
しっかり掴まってなよ」
言うがはやいか、セラフィンが大きく面舵を切る。
相対距離は一〇メートルほどだ。
舷側がふれあうかというギリギリのところで回避するイーゴラ。
斜め四五度くらいに船体を傾けて。
「ひょうっ!
無茶しやがるぜっ!!」
剛胆に笑うフリートウッド。
彼は無茶が大好きだった。
「あはははー」
セラフィンの笑い。
このときヨーク&ランカスターからは、猛烈な抗議の通信が届いている。
安全基準違反だというのだ。
当然の抗議ではあるが、セラフィンはわかってやっているのだから、聞く耳など最初から持っていない。
「私は忙しい。
出られないと伝えろ」
艦長間の直接通話を求めてきたヨーク&ランカスターに対して、彼女は通信に出ることすらなかった。
通信士官がそのまま伝えたあと、
「怒ってる怒ってる」
と、笑う。
駆逐艦イーゴラの乗組員は、ほとんどが海賊や武装商船あがりである。
生え抜きの軍人には隔意を抱くものか多いのだ。
「ほっとけ。
どうせ怒ったところでなにもできない」
セラフィンも笑った
「鈍亀の戦艦が、私の船に追いつけるもんか」
最新鋭高速戦艦も、彼女にかかれば亀扱いだ。
「でも、陸に戻ったらやべぇんじゃねぇか?」
艦橋にあがってきたフリートウッドが言う。
なかなかに正論である。
が、
「どーせ陸軍と海軍は仲悪いからね。
いまさら苦情の一つや二つどうってことないさ」
セラフィンの返答だ。
両目が溶鉱炉で燃える石炭のように輝いている。
かなり好戦的な性格のようだ。
ネイビーブルーの軍服の胸を誇らしげに張る。
鷹の刺繍も鮮やかに。
アイリンの海を守る海鷹たちの証だ。
「んで、このあとはどうするんだ?
セラ」
問いかけるフリートウッドの脳裏からは、すでに戦艦のことは忘れ去られている。
「このポイントまでいって哨戒活動をする」
もちろん、海図を見せながら説明するセラフィンの頭からも。
陸軍所属の胸くそ悪い戦艦のことなど、憶えておけるものではないのだ。
イーゴラは徐々に速度を落とし、巡航速度になった。
これが最もエーテルリアクターに負担をかけない。
「ざっと丸一日ほどの航海だ」
「そんなもんなのか」
「通常任務だから。
作戦行動中は何ヶ月も国に帰れないけどね」
「そりゃ大変だなぁ」
「大変だけどやりがいはあるよ」
セラフィンが笑う。
彼女の一九年の人生は、その半分ほどが海で過ごした期間である。
生まれたのも丘の産院ではなく、船室だった。
そして、死ぬ時も海の上でと決めている。
「海の男じゃなくて、海の女ってやつだな」
「なんかそれじゃ海女みたいだねぇ」
馬鹿な話を楽しんでいる。
と、艦橋の警報が鳴り響いた。
「どうした?」
軍人の顔に表情を切り替え、セラフィンが問いただす。
リトル木蘭って感じだな、とフリートウッドは思ったが、口には出さなかった。
言えば怒ることが明白だったので。
「SOS信号ですっ!
発信元は南へ一四海里っ!!」
通信士官が報告する。
事故か、あるいは海賊の襲撃にでも遭ったか。
セラフィンは腕を組んだが、長時間のことではなかった。
そんなものは現場に到着すればわかることだ。
「機関全速っ!
救難信号の発進海域へ転進っ!」
『ヤーサーっ!!』
艦橋に、了解という意味のかけ声がこだまする。
黒煙をあげながら、帆船が逃げている。
それを追尾するのは、三隻ほどの帆船だ。
前者はセムリナ王公国との貿易船。
後者は海賊船である。
どちらも帆船なのは、自力航行が可能な魔晶艦艇の技術は民間には払い下げられていないため当然だ。
「三対一だな」
フリートウッドが呟く。
「海賊の常套手段さ。
多勢に無勢ってのは」
セラフィンの声は苦い。
海賊のなかには、自由を謳歌する海の漢という連中もたしかに存在する。
だが大部分は、凶悪な犯罪グループ以外の何者でもなかった。
略奪、人身売買、麻薬密売、誘拐による身代金要求。
これが海賊どもの収入源だ。
「このまま最大戦速で海賊船と商船の間に割って入るぞ。
主砲!
斉射っ!!」
声に応じ、艦体前部に設置された四〇センチ級魔導連装砲が火を吹く。
一隻の海賊船が中央部からへし折られ、沈没を始める。
警告なしでの攻撃である。
このあたりは、セラフィンらしい剛胆さだった。
相手は海賊だ。
威嚇射撃で逃げるような相手ではない。
徹底的に、完膚無きまでに叩きのめさなければ、懲りるということを知らないのだ。
賊どもがたたらを踏むあいだに、イーゴラはその鋭角的な船体で、商船を庇うように突入する。
バリスタの矢と、子供の頭ほどもある石が、次々とイーゴラに当たる。
「大丈夫なのか?
セラ」
フリートウッドが訪ねた。
「あの程度の攻撃で、私のイーゴラは沈まない」
静かな自信をたたえて応えるセラフィン。
「全砲門。
右の海賊船を集中攻撃だ。
撃てっ!!」
火線が伸び、また海賊船を血祭りにあげる。
圧倒的だった。
火力と機動力と装甲に差がありすぎる。
武装商船に毛が生えた程度の海賊船では、戦争のために建造されたバトルシップに敵うはずもない。
たとえ束になってかかったとしても。
「降伏勧告を出せ」
セラフィンの声。
冷たく冴えているのは、それが受け入れられぬことを知っているからだろう。
海賊は死刑、というのが慣例だからだ。
むろん、それは誤解である。
軍によって捕縛された海賊のなかでも、罪を償った後に釈放されるものも多い。
また、その力量を認められ海軍への入隊を許されるものもいる。
たとえば、セラフィンのように。
しかし、悪足掻きをするのが犯罪者というものだ。
突撃角を突き出し、突進してくる海賊船。
体当たりし、乗り移って白兵戦に持ち込むことで活路を見出そうとしているのだろう。
「愚かな‥‥」
呟いたセラフィンの右手が挙がり、
「撃て」
挙げた時の一〇倍の速度で、振り下ろされる。
ふたたび吠える魔導砲。
一瞬の苦悶の後、海賊船は爆散した。
エピローグ
危急を救われた貿易船から、謝礼の申し出があった。
まあ、海賊に積荷ばかりか命まで奪われるところだったのだから、礼の一つも言いたくなるのは当然だろう。
「礼には及ばない。
航海の安全を守るのが私たち海鷹の役割だから」
セラフィンが宣言し、そのあとににっこり笑って付け加えた。
「だが、どうしてもというなら、乗組員たちの酒代だけ頂戴しよう」
歓声が上がる。水兵と商人たちの間から。
これが密室で秘かにおこなわれたのなら、セラフィンは賄賂を要求していると取られても仕方のないところだろう。
しかし、すべてが衆人環視のなかでおこなわれ、そのような陰湿さとは無縁だった。
「好かれているんだな」
と、フリートウッドは思った。
二〇歳にも満たない女性艦長は、その明るさと気さくな人柄で、部下たちの信頼を得ている。
たしかに、軍学校を出たエリート軍人とは違うようだ。
「フリートウッドも呑め。
一応は戦勝祝いだ」
差し出されるジョッキ。
「ああ」
受け取った男が、掲げて見せる。
艦橋の上、軍旗に向かって。
大きく風をはらみ、海鷹がデザインされた旗が翻っていた。
まるで天空へと羽ばたくように。