店長さんの憂鬱
水上雪乃氏のSSシリーズです。
店長というのは、店で一番えらいひとだ。
すくなくとも、それが一般的解釈だろう。
だが、一般論があれば特殊論があるのがの常である。
そして、
「はぁ‥‥」
物憂げな溜息をつくのは、特殊論を一身に背負っている薄幸の店長、キース・クロスハートだ。
彼は、暁の女神亭という酒場兼宿屋の店長である。
二一歳の若さでその地位を得たのだから、人もうらやむ幸運というべきだろう。
だが、キースは言う。
「そんなに羨ましいなら、いつでも代わってやるぞ」
と。
一癖も二癖もある従業員たちを統御し、一癖どころか五〇〇癖くらいありそうな客たちの世話をする。
すこし大仰にいえば、毎日神経にヤスリをかけられているようなものだ。
「キースは一五さい~~~」
今日も今日とて、セラフィン・アルマリックがからかってくる。
「俺は二一だっ!」
「嘘ね」
「きっばりと断定するなっ!
正真正銘二一歳だ!!」
「まぁまぁ。
あんまり怒ると血圧あがるよ?」
「だ・れ・の・せ・い・で、上がってるとおもってんだっ!!」
「んーと、不景気のせい?」
「そんなことあるかっ、
お前のせいだお前のっ!!」
飛び交うメロンパン。
荒れ狂うチョココロネ。
「もうっ。
食べ物で遊んじゃだめですよ~」
すばやく武器にされた食料を回収し、さりげなくバロックがたしなめる。
チーフウェイトレスだ。
この業界が長いせいか、どんな場面でもだいたいは落ち着いている。
店長よりも落ち着いているほどだ。
「ああ。
悪かった」
はっと我に返ったキースが、金髪を掻きあげる。
ビーズのアクセサリーが軽い音を立てた。
深夜近くの酒場。
客の入りはまずまずだ。
満席にはほど遠いが、新装開店したばかりの店としては上々だろう。
もちろん、現状に満足してばかりもいられない。
もっと客を増やし、店を軌道に乗せるのもキースの役目なのだ。
これが上手くいかないと、従業員ばかりか彼の給料も捻出できないのである。
まったく。
世の中というのは世知辛いものだ。
「凶作の影響で食料品全体が値上げになってますね。
仕入れに影響してます」
厨房から出てきたコックのデュークが、やや深刻な顔で告げる。
百年来の不作といわれた今年だ。飢饉までささやかれていたのだ。
さいわい、国王マーツが強力に荒政を推し進めたため、さすがに飢える心配だけはなくなったが。
「問題だよなぁ」
頭を抱えるキース。
どんな人間でもそうだが、金銭を惜しむとき、まず削るのが遊興費である。
まさか食費や住居費を削るわけにはいかないのだから。
不景気はこのような酒場にとっては打撃なのだ。
酒場だけではなく遊郭なども同じであるが、賭博場などはむしろ潤うらしい。
こんな時「だからこそ一攫千金を狙う」、というところだろうか。
「このままですと、料理の品質を下げるか料金を上げるかしませんと」
「ううーん。
どっちもしたくない」
「と、申されても店長」
「美味しい料理と美味しい酒と楽しい会話を格安で提供する。
俺は木蘭からそう習ったから」
客の「美味しかったよ」という一言こそが、何よりの報酬だ。
それが暁の女神亭なのだ。
不景気だからといって方針を変更するわけにはいかない。
「‥‥わかりました。
なんとかしましょう」
盛大な溜息をついたデュークが、それでも微笑して見せた。
「なんとかって‥‥どうするんだよ?」
「企業秘密です」
「黒い金を使うとかいうなよ?」
このコックが、かつて名うての詐欺師だったことを、店長は知っていた。
つい心配になる。
この店から逮捕者なんか出したら、俺は木蘭に絞め殺されてしまう。
とは、内心の声であった。
「変なことはしませんよ。
ちゃんと方法があるんです」
「というと?」
「市場で買うより、農家や漁師から直接買い付けた方が安くつきます。
さらに、その都度仕入れるのではなく、まとめて買えば安くなります。
そういうことです」
つまり、中間マージンを浮かすことができるし、まとめ買いをすることで値引きさせることもできる、ということだ。
これにデュークの詐術的な弁舌が加われば、鬼に金棒だ。
「そういうものかな」
やや不分明な表情の店長。
もともとの商売人ではないから、経済に明るくないのは当然だろう。
「まあ、このあたりは私に任せてもらいましょう」
「わかった」
「あ、そーいえば」
バロックが口を挟む。
「どうしたんだ?」
「従業員募集の広告に、応募がありましたよ」
「へぇ。
どんなヤツだった?」
「女性ですね。
東方大陸の方で、たしか名前が‥‥」
「名前が?」
「えっと、ひよこさんとか」
「ひよこ‥‥」
がっくりと肩を落とすキース。
想像してしまったのだ。ぴよぴよとさえずる雛鳥たちが、給仕しているさまを。
「人間ですよ?
いちおー」
「‥‥それは良かった」
「明日、面接お願いしますね」
「ああ。
わかった」
「ひよこを面接する一五の夜~~♪」
くだらない歌をうたっているセラフィンに、バロックの音速ツッコミが炸裂する。
まあいろいろ問題はあるが平和な夜だ。
キースが笑みを漏らした。
だが、その感想はまだ早かっただろう。
重い音を立てて、入り口の扉が開く。
どさりと倒れ込む少女。
頭と身体の各所から血を流している。
「なっ!?」
キースが駆け寄る。
「たす‥‥ケて‥‥」
弱々しい声が告げる。
「バロックっ!
救急箱っ!!」
少女を抱きかかえながら店長が叫んだ。
後に、この少女と金髪の店長は恋に落ちる。
出逢いは、血と匂いと騒動の予感に満ちたものだった。