08:しだいに近付くふたり
手を見せて貰った翌日、マリエラは朝食を取るために一室へと向かった。
ステファンは既に食事を終えているらしい。きっとマリエラと鉢合わせをしないように気を使ってくれたのだろう。
それを安堵して良いのか、それとも寂しく思えば良いのか、今はどっちつかずで微妙なところだ。
「おはよう、シエナ」
食事の準備をしてくれるのはシエナだ。
彼女はマリエラの挨拶に穏やかに返し、手際よく朝食の準備を整えてくれた。
「一緒に食べても良いかしら?」
向かいにシエナが座る。
彼女の前にも同じように朝食が並べられており、マリエラは「もちろん」と彼女を受け入れた。
そうしてシエナと話しながら食事を終え、淹れてもらった食後のお茶を堪能していると、シエナが何かに気付いて立ち上がった。
部屋の出口へと向かっていく。マリエラがつられるようにそちらへと見れば、グレーの布がひらりと閃いたのが扉の端から見えた。
覚えのある布だ。あれは……。
「……ステファン?」
立ち上り、マリエラも扉へと向かう。
そこに居たのは、昨日、庭にある小屋で向かい合った背の高い布を被ったナニカ。もとい、布を被ったステファンだ。今日も頭からどころかツノの先から足元まで布に収まっている。
「布なんて被って、どうしたのステファン? それって去年の冬に使ったカーテンよね? わざわざ持ってきたの?」
「シエナ、実はこれは……、その……」
「私よ、私が彼にお願いしたの!」
不思議そうなシエナと、どう説明したものかと布を被ったままで言い淀むステファン。そんな二人に割って入るようにマリエラは声をあげた。
シエナがこちらを向いて首を傾げる。疑問だらけの表情で、挙げ句にマリエラと布を被ったままのステファンを交互に見だした。
三日前に嫁いできた令嬢の頼みで、屋敷の主人がカーテンの布を被っている……。誰だって疑問を抱いて当然だ。
「私ね、ステファンの姿にまだ見慣れないの……。だから、すぐに全身を見るんじゃなくて、昨日は手を見せて貰って、今日は足、明日は背中……って、順番に見せてもらって慣れていこうと思ったの。だからステファンは全身を隠してくれているの」
「慣れるために……。そう、そうだったのね」
「今日は足を見せにきてくれたのよね。ねぇ、ステファン?」
そうでしょう? とマリエラが問えば、布を被ったステファンが頷いた。……と思う。頭があるであろう箇所がゆらりと揺れたのできっと頷いたのだろう。
昨日と同じで、布の隙間からすっと手が出てくる。それと腕も。もっとも、腕は上着に覆われているため見えないが、手と動揺に銀色の毛で覆われていると昨日彼に聞いた。
次いでステファンはそっと布を捲り、足先を出してきた。
上着同様に質の良い布で仕立てられたズボンと、綺麗に磨かれた靴。靴は平均的な男性用の靴よりも一回りほど大きそうだ。
「これだけ見ると普通の足ね」
「だがきみの前に素足で現れるわけにもいかないだろう」
だからどうしたものかと悩んでいたのだとステファンが話す。白い布がふわりと揺れるのは、彼が頭を悩ませて首を傾げでもしたからだろうか。
そんなステファンに「ここで脱ぎなさいよ!」と明るい声が掛かった。シエナだ。
彼女はステファンの肩――高さと布の凹凸から見るに肩だろう――を豪快に数度叩き、そのうえ「ちょっと待ってなさい!」と告げると椅子を一脚持ってきた。ドンと床に置いてステファンをそこに座らせる。
そうして告げるのは、
「ほら、靴を脱いで!」
という、豪快過ぎる言葉。
「こ、ここで素足を見せるのか?」
「そうよ。足の一本や二本見せたって良いじゃない、減るもんじゃ無し。それじゃあ私は片付けに戻るから、二人で足を見ながらゆっくりして」
強引に話を進めたかと思えば、今度はあっさりと話を終えて片付けに戻ってしまう。
あまりに一方的な態度は到底主人に対する使用人のものとは思えない。これにはマリエラも思わず目をぱちくりと瞬かせてしまった。
そうして僅かな沈黙の後、マリエラとステファンは顔を見合わせ……、
「シエナもああ言ってるし、足を見せてもらって良い?」
「分かった。きみの椅子も持ってくるよ」
そう話し合い、足を見ながらゆっくりと過ごすことになった。
ステファンの足は手と同じように人間のものとは違っていた。
銀色の毛で覆われていて爪は紺青色の宝石のように硬い。全体的に大きく指も太く獣のよう。だけど足にも肉球は無かった。
曰く、腕と同じように脹脛や腿も銀色の毛で覆われているという。それどころか体全体が毛で覆われていて、背中の一部だけがツノや爪と同じ質感になっているらしい。
翌日見せてもらった腕は、確かに体と同じように銀色の毛で覆われている。次いで見せてもらった肩も同様。
だが背中の一部、項から腰に掛けてだけは銀色の毛は無く、代わりに真っすぐに紺青色の線が描かれていた。ツノや爪と同じ硬く美しい紺青色の宝石が、まるで背骨の位置を示すように真っすぐに伸びているのだ。
たとえるならば白いキャンバスに力強く線を描くような光景。
最初こそ人とも動物とも言えぬ彼の体の造りに驚いたマリエラだったが、光を受けて輝く銀色の髪も、紺青色の宝石も、次第に美しいと感じるようになっていた。
恐怖はすっかりと消え失せている。
なにせ、
「背中のことは僕自身もよく分からないな……」
と話しながら、頭に布を被りつつも自分の背中を見てみようと身を捩るステファンの動きが面白くて、驚きよりも笑いが勝ってしまったのだ。
◆◆◆
そうして部分的に見慣れていき、ついに顔を……、となった日の朝、マリエラはいつものように朝食を終えて食後のお茶を堪能していた。
最初にステファンが足を見せに来てくれた日から、こうやって朝に会うことが日課になっていた。マリエラが食後のお茶をしていると布を被ったステファンが現れ、椅子を向かい合わせに置いて彼の体の一部を見せてもらうのだ。
今日も……。
いや、今日はついに……。とマリエラが扉を見つめながら待っていると、キィと軽い音を立てて扉が開かれた。
入ってきたのはステファンだ。
徐々に布で隠す部分を少なくしていた彼は、今は頭にだけ布を被って……、はおらず、大きな本を開いて顔を隠していた。
「ステファン、どうしたの? いつもの布は?」
「一応ここに来る前に布を被ってみたんだが、頭にだけ布を被った姿はどうにも滑稽で……」
「それで本で隠してるのね。でも貴方、ツノが丸見えよ」
「えっ!? しまった!」
慌てた様子でステファンが頭上を――己のツノを見えるわけがないのだが――見上げる。
その拍子に彼が持っていた本がずりと滑り、手から落ちていった。バサと音がする。
「あっ」
と声をあげたのは、本を落として顔を晒してしまったステファンか、それとも、不意打ちで彼の顔を見てしまったマリエラか。
なんとも言えない空気が二人の間に流れ……、
そしてマリエラが耐え切れずに笑い出した。
貴族の夫人、それも嫁ぎたての身で声を出して笑うのははしたないと分かっている。分かっているが、笑いというのは当人にはどうにもできないものなのだ。
お腹を押さえて笑えば、隠す術を失くしたステファンがせめてと言いたげに銀色の毛で覆われた両の手で顔を覆った。
まるで少女が恥じているかのような格好だ。だがステファンは成人男性、それも『怪物』と呼ばれているだけあり、ひととは思えない出で立ちをしている。
そんな彼が両手で顔を覆って恥じている姿はなんとも言えず、余計にマリエラの笑いを誘う。逆効果だ。
「もう、ステファンってば」
「そんなに笑わないでくれ……。ツノがあるのは分かっているんだが、今日は顔を見せる日だと考えていたらつい忘れてしまったんだ」
「そうだったのね。……ねぇステファン、もう私貴方の顔を見たから隠さないで大丈夫よ。だから見せて」
促すようにマリエラが告げれば、ステファンが顔を隠していた手をゆっくりと降ろした。
彼の顔は狼のようだ。銀色の毛は顔も覆っており、鼻も口も、耳も狼に似ている。だが頭部からは紺青色の立派な角が生えており、その角は既存の生き物の一部とは言い難い。
『怪物』と、その言葉を思い出し、マリエラはじっと彼を見つめ……。
「大丈夫だわ。私、もう貴方のこと怖いなんて思わない」
「本当に? 僕の見た目はこんななのに……」
「大丈夫よ。確かに貴方の体は私とは違うし、本じゃ隠し切れない立派な角もあるけど、怖いなんて思わないわ」
先程のステファンの行動をあえて挙げて話せば、彼がバツが悪そうに「さっきのことは忘れてくれ」と告げてきた。
狼のような顔立ち。だが不思議と今の彼が苦笑しているのが分かる。恐怖も驚愕も既にマリエラの胸には無く、あるのは彼への信愛だけだ。むしろ今となっては『ようやく布で隠さぬステファンと向き合える』という嬉しさすらあった。
「ねぇ、せっかくだからちゃんと顔を見て話をしましょう。実を言うと、貴方のツノ、近くで見てみたかったの」
だから、とマリエラがいつもの椅子に座るように促す。
それを受けたステファンが口元をふっと和らげた。笑っているのだ。それが分かってマリエラも微笑み、彼と向かいあって椅子に腰を下ろした。
明日も12:20/15:20/18:20/21:20更新予定です。