表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/52

07:慣れるために

 


 三日後には部屋から出るから、それまで待っていて。


 そうマリエラはステファンに告げた。

 きっと三日経てば自分の気持ちも落ち着き、彼と向き合えると思ったのだ。期限を決めてしまうと己を追い込むことになるが、反面、決めなければいつまでも動揺と悩みが尽きないと考えてのことである。言わば荒療治。


 そんな荒療治の結果、ステファンに宣言をしてから()()()、マリエラは部屋から出て屋敷の庭に居た。

 ……そう、()()()である。


「あと一日は悩むつもりだったけど、おもいのほか早く覚悟が決まっちゃったわ。とんだ誤算ね」


 眩しい太陽を眺めながら、誰にというわけでもなくひとりごちる。

 どうやら自分が思っていた以上に自分は決断力があるようだ。おかげで昨夜は「明日は外に出ましょう!」と決意し、ぐっすりと眠ることが出来た。それはそれはもうぐっすりである。

 そうして眠りから覚めると、我ながらビックリするほど迷いは消え去っているではないか。あれこれと悩んでいたのが嘘のように綺麗さっぱりである。


「もう少し迷いが残っても良さそうな気もするけど……。いえ、やっぱり迷いなんて無い方が良いわね」

「えっ!? マ、マリエラ!?」


 聞こえてきた驚愕の声に、マリエラはパッとそちらを向いた。

 庭の一角に建てられた小屋。その扉から姿を現しこちらを見ているのはステファンだ。

 顔立ちは狼、だが四肢や体の造りは人と同じ。頭部には狼らしい耳と硬そうな紺青色の立派なツノが生えている。体躯が良く、成人男性よりも一回りほど大きいのだろうか。小屋の扉も些か小さく見える。

 その姿は人とはかけ離れていて、それでいて動物とも言い難い。ゆえの『怪物』の異名なのだろう。


 予期せぬタイミングでのステファンの登場に、マリエラは僅かに緊張を抱いて、それでも彼をじっと見つめた。

 着ている衣類こそ貴族の男性らしく社交界では一般的なものだが、それ以外は『一般的』とはかけ離れている。そんな彼を見つめ……。


「大丈夫、きっと慣れるわ」


 そう結論付けると彼に近付いていった。


「マ、マリエラ、どうして外にいるんだ……。きみは部屋にいるはずじゃ……」


 逆に動揺しているのはステファンだ。

 マリエラが近付くのに対して彼は一歩一歩と後退り、挙げ句に小屋の中に戻ってしまった。

 マリエラの眼前でパタンと扉が閉まってしまう。ならばと小屋の窓から中を覗けば、ステファンらしき影だけが見えた。棚を利用して姿を見せないようにしているのだろう。……棚の上部からツノが見えてしまっているが。


「三日後って言ったけど、二日で大丈夫だったの。もしかしてあと一日部屋に籠っていた方が良かった?」

「いや、そんな事は無いんだが……。すまない、きみが居たのでビックリしてしまった」

「ねぇ、もし暇なら出てきて話をしましょう? この小屋で何をしていたの? そもそもこの小屋は何? 屋敷の案内もしてくれると嬉しいわ」


 屋敷に来て二日経ったが、マリエラが知っているのは自室だけだ。

 まだ知らないことばかり。むしろ知っている事は片手の数しかない。実を言うと、庭に出てみたは良いものの自室への帰り道も少しばかり自信がない。

 そう話せば、微かな唸り声が聞こえてきた。

 動物の唸り声だ。

 それも獰猛そうな獣の……、途端にマリエラの胸に緊張感が増し、慌てて窓枠から離れた。


「……もしかして、何か失礼なことを言ったかしら。それなら謝るわ」

「違う。今のは困ってつい……。怖がらせたのなら申し訳ない」


 窓越しにステファンが謝罪してくる。

 声は相変わらず低いが言葉遣いは丁寧だ。マリエラを怖がらせたことへの申し訳なさと、そしてこれ以上怖がらせるまいという気遣いが伝わってくる。それでも唸ってしまうようで、グルル……と微かな唸りの後に再び「すまない、今のもつい」と謝罪を重ねてきた。

 どうやら困惑していると唸り声をあげてしまうらしい。きっと無意識の溜息に近いのだろう。思い返せばマリエラも思い悩むあまりに唸ってしまうことはあった。さすがに動物のような唸り声ではないが。


「怒っていないなら、もう一度窓に近付いても良い?」

「あ、あぁ……。きみが怖くないなら」


 ステファンからの了承を得て、そそ……とマリエラは再び窓に近付いた。心なしか、先程よりステファンの影が遠のいている気がする。

 自分が怖がったから彼も離れてしまったのだろうか。そう考えれば露骨に怖がったことが申し訳なく思えてきた。


「怖がってごめんなさい。聞こえてきた声が低くて、それで、つい……」

「こんな成りなんだから怖がるのは当然だ。……きみも無理をしなくて良い」


 自ら距離を取ろうとするステファンの言葉に、マリエラは「無理を……」と小さく呟いた。

 確かに、急に距離を縮めようとするのは無理があったかもしれない。彼の見た目に慣れていないのは事実だし、現に先程、彼の困惑の唸り声を獣の唸り声のようだと感じて恐怖してしまった。

 そして自分が怖がることにより、ステファンは離れてしまったのだ。今ではもう棚の上から覗いていたツノさえ見えない。


「私、まだやっぱり貴方のことが怖いみたい」

「そうだろう……。やはりこの結婚は」

「でも、きっと見続ければ慣れていくはずよ。だからまずは部分的に見せて欲しいの」

「部分的に?」


 マリエラの提案に対して、聞き返すステファンの声には疑問の色が混ざっている。


「そうよ。今日はまず貴方の手を見せて。明日は足。明後日は腕、その後は肩や背中。最後に顔を見るの。どうかしら?」

「見せるのは別に構わないが……、それで、部分的に見ていってどうなるんだ?」

「すぐに全身を見たら怖いかもしれないけど、部分的にならきっと慣れていけると思うの。だから、今日は貴方の手を見せて」


 ねぇ、とマリエラが提案すれば、再び唸り声が聞こえてきた。ステファンの声だ。

 一瞬怒らせてしまったのかと思ったが、先程の彼の話から考えるに、これはきっと困った時の声だろう。……それはそれで彼を困らせてしまったということなのだが。

 やっぱり駄目だったかしら……、と考え、マリエラはこれ以上ステファンを傷つけないよう、そっと窓辺から離れた。今日はこのまま自室へと戻った方が良さそうだ。――迷わずに自室に戻れるかは分からないが――


「無理なことを言ってごめんなさい。私、部屋に戻るわね」

「……ま、待ってくれ!」


 マリエラが小屋を離れて屋敷に戻ろうとしたところ、ステファンの声が上がった。

 振り返れば小屋の窓辺に先程までは無かった影がある。

 といってもステファンが姿を現したわけではない。一見すると物が置かれているような影だ。近付いて見れば、それがグレーの布を被った背の高いナニカだと分かった。

 いや、背の高いナニカではない。これは……。


「ステファン、貴方なの?」

「……そうだ」


 マリエラの問いに、布を被った背の高いナニカ、もとい、布を頭から被ったステファンが返事をする。

 妙に高くなっているのは立派な角が嵩を増させているからだろう。見れば布が足りなかったのか途中で結んで継ぎ足してもいる。そのおかげで頭からどころか角の先端から足先まで布で隠れており、例えるならば布を被っておばけの真似事をする子供のようではないか。

 次いで彼は布の隙間からそっと手を出して窓の縁に置いた。


 質の良い上着の裾から出ているのは、人の手ではなく銀色の毛で覆われた手。

 それでいて形は人の手と同じだ。親指から小指まで、計五本。もっとも指はかなり太く、爪は紺青色の宝石のようだ。

 明らかに『人のものではない手』を前にして、マリエラの胸に緊張が蘇り……、だが窓の縁を掴む人ではない手に力が入っていることに気付いた。

 耐えるように縁を掴んでいる。その手は微かに震えており、マリエラは顔を上げて目の前のステファンを見つめた。

 布を被っていて見えないがそこにステファンがいる。自分の提案を呑んで、手を見せることに応じてくれたのだ。どれほど緊張と困惑があっただろうか。


「応えてくれてありがとう。貴方の手、もっと見ていて良いかしら?」

「あぁ、構わない」

「爪が硬そう。でも綺麗な色。光を受けると輝いて見えて、まるで宝石を爪の先に着けているみたいだわ」


 ステファンの爪は見ただけで硬いと分かり、仮にこれが鋭利に尖っていれば切り裂かれそうだと不安を覚えたかもしれない。

 だが彼の爪はきちんと整えられており、なによりステファンの様子から他者を害そうという意思がないと分かる。それを理解して改めて見てみれば、彼の紺碧色の爪はまるで宝石のようではないか。

 そうマリエラが話せば目の前の布が僅かに揺れた。驚いたのか、「宝石?」と尋ね返してくる声は先程の唸り声とも普段の声とも違う、少し上擦っているように聞こえた。


「私もよくマニキュアで爪を綺麗にするけど、貴方の爪には敵わないわ。キラキラして、よく見ると一色じゃなくて色が混ざっているのね。輝くと宝石みたい」

「そうか、宝石か……」

「手のひらはどうなっているの? もしかして肉球はある?」


 見せてくれと伝えれば、窓の縁を掴んでいたステファンの手がゆっくりと裏返った。

 手のひらに肉球は……、無い。分厚い手は甲と同様に銀色の毛で覆われているだけだ。マリエラが見つめているとゆっくりと指が動いて曲げたり伸びたりと見せてきた。

 毛で覆われた動物のような手ではあるが、関節の動きは人間の手と同じだ。


 そんな手がゆっくりと動いている。

 ……布から手だけを出しながら。


 目の前の光景が自分で言い出しておきながらなんだか面白くなってしまい、マリエラはクスと小さく笑ってしまった。


「マリエラ?」

「笑ってごめんなさい。でも、布から手だけを出してるのが面白くて」

「……きみが言い出したんだぞ」


 不満を訴えるステファンの声に怒りの色は無い。唸ってもいない。

 だが彼が拗ねているのが不思議と伝わってきて、マリエラはそれもまた面白くって笑ってしまった。




次話は21:20更新予定です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ