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05:部屋でひとり

 


 案内されたマリエラの部屋は広く立派なものだった。

 大人一人どころか大人が二・三人横になっても優に眠れる天蓋付きのベッド。背の高いクローゼットや本棚が並んでおり、窓辺には机。ベッドシーツやカーテン、絨毯といった布類は薄水色で統一されており、銀色の花の刺繍が施されている。

 どれも真新しく、この部屋のために揃えて用意されたものなのだろう。


 豪華な部屋だ。適当に割り振った客室ではなく、マリエラのために用意された部屋。

 本来ならば感謝を抱くべきなのだが、胸中はそれどころではない。シエナが部屋を出て行き一人になるとふらふらと室内を進み、倒れ込むようにベッドに身を投げ出した。ボスンと顔をクッションに埋める。


「……怪物辺境伯」


 ポツリと呟いた言葉はクッションの柔らかさに吸い込まれていった。


「まさか本当に……、あんな姿だったなんて……」


 マリエラの脳裏に、先程見たばかりのステファンの姿が思い出される。

 装いこそ貴族の男性らしいものだったが、そこから見える顔と手はとうてい『貴族の男性』とは言えない。それどころか人間のものでさえなかった。

 狼のような顔立ち、頭部にはやはり獣を模したような耳。そこから伸びる紺青色の硬そうなツノ。手も銀色の毛で覆われており、指の先にはツノと同色の強固そうな爪があった。


 まるで狼が人間になろうとしているかのようで、それでいて狼にも人間にも有り得ないツノを生やしていた。

 ステファンの姿は『何かのよう』と例えきることすら出来ないのだ。その挙げ句に『怪物』と呼ばれたのだろうか、そんな事すら考えてしまう。


「てっきり、ただの異名だと思っていたのに……。どうしよう、私……」


 溜息交じりにぼやき、もぞりとクッションから顔を上げた。

 頭の中は混乱続きでまともに考えが纏まらない。荷物の整理をしないとと思えども体は動かず、意識だけが嵐の海のように渦巻いていく。


 わけがわからない、どうしよう、どうしたらいい。

 彼は何? なぜあんな姿なの? 生まれた時から? それとも何か理由があってあの姿になったの?


 疑問ばかりが増えていき、答えなんて一つとして出てくるわけが無い。 

 馬車の中で抱いた「きっと大丈夫」という自信がガラガラと頽れていく。まるで紺青色の鋭利な爪で切り裂かれたかのように。



 ◆◆◆



 聞こえてくるノックの音にマリエラはふと目を覚ました。

 あれこれと考えた末に眠ってしまっていたようだ。窓を見れば外の景色はすでに夜の闇に覆われており、時計を見ずとも数時間寝入ってしまった事が分かる。

 まだ少しぼんやりとする意識でベッドから降りて、「今行くわ」と扉へと声を掛けた。


 だが扉のノブに手を掛けた瞬間、マリエラの胸中に躊躇いが浮かんだ。


 この屋敷は建物の大きさに反して、主人であるステファンと、そしてシエナを始めとする使用人は三人しかいないと聞いた。

 となれば、いま扉の前にいるのはその極僅かな人数のうちの誰かだ。


(もしかしたらステファン様かもしれない……。私、まだ彼の姿を見られないわ……)


『怪物辺境伯』とまで呼ばれるステファンの容姿。

 たとえば創作の物語に出てくるキャラクターであったり舞台上の特殊メイクや技術の賜物であったなら、マリエラも素直に感心して彼に近付いただろう。「素敵、格好良い」と、そんな言葉を彼に告げたかもしれない。

 だがステファンのあの容姿は想像でもなければ技術の賜物でもない。正真正銘、本物。あれがステファン・ロンストーンなのだ。

 それを実感した瞬間、『ありえない』が現実になって目の前に立っている事実に恐怖すら抱いてしまった。


「……だ、誰?」


 怯えを隠そうとするも声が震え、それでも問わねばならないと扉越しにいる人物に声を掛ける。

 返ってきたのは「シエナよ」という女性の声。マリエラの胸中を想ってか子供を宥めるような落ち着いた声色に、マリエラの強張っていた体から力が抜ける。


「待たせてごめんなさい」


 扉を開ければ、そこに立っていたのはシエナだ。穏やかな女性、当然だが動物めいた箇所は無く、マリエラを見て微笑んでくれる顔は人間の造りだ。かつては当たり前だと思っていたそれらを見て、マリエラの胸に安堵が湧く。

 シエナの傍らには彼女が運んできたのであろうティートロリー。彼女はそれに視線をやり「夕食を持ってきたわ」と微笑んで告げてきた。


「何度か声を掛けたんだけど返事が無くて、眠っているのかと思ってそっとしておいたの。でもさすがに朝まではお腹が空いちゃうでしょう?」

「わざわざありがとう。……でも、今は食欲があまりなくて」

「気持ちはわかるわ。だけど少しぐらい食べておかないと。残したらトロリーに乗せて部屋の外に出しておいてくれれば良いから」


 ねぇ、とシエナが話を進める。

 強引さは無く、あるのは優しさと思いやり。その温かさに当てられてマリエラがほっと安堵の息を吐き……、


 次いで、クルルルと鳴って空腹を訴える自分の腹部を慌てて押さえた。


 シエナの優しさに触れて安堵したことにより、空腹を感じる余裕が出来てしまったのだ。

 思い返せば、今朝は出発が早いために朝食も早めにとった。まだ日が登りきる前だ。そして昼食は馬車の中で軽いもので済ませてしまい、その後は屋敷についてステファンの姿を見て今に至る。空腹を覚えるのも仕方ない。

 だがそれにしても、なぜ今このタイミングで、詳しく言うのであれば「食欲がない」と言った直後に腹が鳴ってしまうのか。


「や、やだ、私ってば……!」

「良いのよ、気にしないで。食欲があるに越した事は無いんだから。もし足りなかったらおかわりも用意してあるから言ってちょうだい。……それと、ステファンからの言伝があるの」

「えっ……」


 ステファンの名前を出され、マリエラは小さく体を震わせた。

 緊張が再び胸中に舞い戻ってくる。無意識に胸元に手を添えて服をぎゅっと掴んだ。


「ステファン様は、なんて……?」


 思い返せば、彼と会った時のマリエラの態度は失礼としか言いようのないものだった。

 挨拶もせず呆然と彼を見つめていたのだ。きっと恐怖を露わにした酷い表情をしていたに違いない。

 ステファンはそんな失礼な態度に怒り、謝罪を求めているのだろうか。あるいは改めて挨拶に来いと呼んでいるのかもしれない。


 初対面とはいえ嫁いできたのだ、もしかしたら『今から部屋に行くから待っていろ』というものかもしれない……。

 そんな考えがマリエラの頭の中に浮かんでは消える。どれも恐ろしいものだが、仕方ないものばかりだ。マリエラに抗う権利はない。

 だがシエナが伝えてきたのは、「『夜は部屋から出ないから安心してくれ』ですって」というものだった。


「部屋から出ない……、って、ステファン様が? 私に対して『部屋から出るな』って仰っているんじゃなくて?」

「えぇ、彼が自分の部屋から出ないのよ。明日の朝食の時間までずっと自室で過ごすって」

「そんな、どうして……?」


 逃げられるのを恐れて『部屋から出るな』なら分かる。だが『部屋から出ない』とはどういう事だろうか?

 ここはステファンの屋敷だ。彼には自由に行動する権利がある。

 そうマリエラが疑問を抱けば、シエナが穏やかに微笑んだ。次いで後ろを振り返ると、誰もいないはずの通路に向かって「ねぇ」と声を掛けた。


「やっぱり貴方の言伝だけじゃ伝わらないわ。きちんと話をしないと」

「え、シエナ……、それって」

「マリエラ、扉を閉めておいてくれる?」


 穏やかに微笑んで告げてくるシエナに、マリエラは疑問を抱きつつも応じて扉を閉めた。

 そうして待つこと少し、扉の向こうからなにやら話し声が聞こえ……。


「日中は怖がらせてすまない」


 と、低い声が聞こえてきた。




次話は15:20更新予定です。

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