44:神返りの能力
ヘンダーソンが言葉を失ったのを見て、ステファンが他の者達を見回す。
「彼のところだけじゃない。他にも僕達ならば防げる問題はあった。……僕達はきっとそのために生まれてきたんだ」
「そ、それならどうして『怪物返り』なんて言われているの! 私は父母どころか祖父母からもその話を聞いているのよ!」
ヘンダーソンに代わって声をあげたのは一人の女性。
年齢はマリエラの親と同年代ぐらいだろうか。見覚えのある女性だ……、とマリエラは記憶を辿り、「エノア夫人」と小さく呟いた。
彼女は子爵家の夫人で、生家の領地もまた問題を抱えている。そして、書庫から持ってきた本にはかつてその問題を神返りが防いがことが記されていた。
エノアもそれを読んだようで、「どうして」と尋ねてくる声には鬼気迫るものがある。
「確かにこの本には『神返り』について書いてあるわ。でももしそれが貴方達のことなら、どうして『怪物返り』と呼ばれるようになったの? 災厄を招く存在だから怪物返りは処分を……」
言いかけ、エノアが言葉を詰まらせた。
いくら見目が恐ろしい怪物返りとはいえ、対象の目の前で『怪物返りは処分をするべき』と口にするのは躊躇われたのだろう。
とりわけ歴史書とステファンの話によって「もしかしたら」と自分達の過ちに気付き始めているのだ。加えて、ここに至るまでに子供達の子供達らしい様子を見たから尚更、『処分』という言葉の重さを感じているに違いない。
そんなエノアの躊躇いに対し、ステファンが答えを突きつけるように口を開いた。
「その考えは間違っている。そもそも、『怪物返り』なんて扱い自体が間違いなんだ。……いや、『間違えさせられた』というべきか」
「間違えさせられた……、いったい誰がそんなことを」
「リベリオ・シャレッド。貴殿は分かってるんだろう?」
誰がとは言わず、それでいて明確なステファンの言葉。それを聞いたエノアやヘンダーソン達が一斉にリベリオへと視線をやった。
まさかという疑惑の瞳。彼を信じ切れていない事が分かる。
リベリオも己に向けられる瞳の変化を感じ取ったのか、「でたらめに決まってるだろ!」という声は荒く苛立ちが漂っていた。ステファンを睨みつける瞳も鋭く、王子様然とした麗しい顔が怒りで歪む。
「馬鹿々々しい話を……。怪物は頭の造りも我々とは違うようだな」
「過去、神返りは神聖な存在として扱われ、その働きにより功績を与えらえる事も少なくなかった。だがシャレッド家は過去に一人として神返りを産んでいない。だから『神返り』を『怪物返り』にし、自分達を唯一怪物返りを産んでいない神聖な血筋にしたんだ」
「世迷言を。証拠はどこにある? 自分達に都合の良い妄想を語るだけに留まらず、よりにもよってシャレッド家に罪を押し付けるなんて烏滸がましい」
証拠が無ければステファンの話を蹴散らせると考えているのか、あるいは話している内に勝利を確信して余裕が出てきたのか。リベリオの声色から苛立ちが失せ、逆にステファンを嘲笑うような色を見せ始めていた。
だがそんなリベリオの言葉に、「証拠ならあるわ」と否定の声があがった。
高く、鈴の音のような声。
聞こえてきたのは広間の入り口。
そこに立つのはダヴィトと、大きなローブに身を包み彼に肩を借りながら立つティティ。
そして……、
「あ、あなたは……」
彼等と並ぶ一人の女性を見て、マリエラは息を呑んだ。
美しい女性。まるで太陽が照らしているかのような明るさを感じたのは、彼女の金色の髪の眩さか、麗しい顔立ちの華やかさか。あるいは王族のオーラというものなのか。
「ジェシカ王妃……」
マリエラがその名を小さく呟くのとほぼ同時に、リベリオの取り巻き達が一斉に頭を下げた。
証拠があるとはどういう事なのか、なぜそれを王妃が告げて来たのか、そもそもなぜ王妃がここに……。そういった疑問があるのだろうか、それらを口に出せる者は生憎と集団の中には居ないようだ。
マリエラもまた一寸遅れて慌てて頭を下げた。子供達はよく分かっていないようだが、周囲の大人達を真似てぎこちないながらも頭を下げている。
頭を下げていないのは、子供達に囲まれながら王妃を見つめるシエナと、彼女を連れてきたダヴィトとティティ。そしてステファンだ。
「ジェシカ王妃、わざわざお越し頂き感謝いたします」
「お礼を言われることじゃないわ。今が全てを打ち明ける時なら、私も自分の罪に向き合わないと」
ステファンと話すジェシカは落ち着いている。むしろ達観とすら言える声色で、ゆっくりとリベリオへと向き直った。
流石に王妃の登場にはリベリオも余裕を無くし、焦りを露わにしている。
「ジェシカ様、なぜこんな場所に……。い、今は王都にいるのでは」
「貴方が何かをすると思って追って来たのよ。今も、以前に貴方がここを訪れた時も」
「い、以前って……! あれは、なにも疚しいことは……。そ、そもそも、なぜ俺を追って来たのですか」
「怪物返りについて秘密裏に調べまわっていたでしょう? そんな中で突然『親戚の領地に挨拶に行く』と言い出すんだもの、怪しむなという方が無理な話よ」
一度目は今から二ヵ月前のこと。突如遠出を言い出したリベリオを怪しんで追えば、案の定、親戚の領地を素通りしていくではないか。
着いた先はステファンが治める領地。そこでリベリオはステファンと接触し、追い返されて一度王都に戻った。
「何を話していたかまでは分からないけれど、貴方が何かを企んでいる確信を得たわ。だからそれ以降もずっと監視を着けていたの」
「そ、そんな……」
二ヵ月前の事を思い出しているのか、リベリオの顔色がより青ざめていく。
あの時の本当の接触相手はマリエラにだ。正確に言うのならば『愛人候補』である。
もっとも、今ここでその説明をする気は無いが。ーーかといってあの件を黙っているつもりは無いので、マリエラは心の中で「後できっちりジェシカ王妃に言いつけないと」と決意を抱いたーー
「貴方の行動を調べているうちに、ステファンと連絡を取り合うようになったの。彼から神返りの話を聞いて私の方でもシャレッド家について調べさせてもらったわ」
「ジェシカ王妃とステファンが?」
まさかの接点にマリエラが驚いてステファンを見れば、彼は「黙っていてすまなかった」と謝罪の言葉を告げてきた。
「本当は準備を整えてからマリエラ達に話すつもりだったんだ。突然こんな事になってすまない、驚いただろう」
「気にしないで……、と言いたいところだけど、さすがにジェシカ王妃の登場には驚いたわね」
「まったくだよ。ようやく火が収まってティティを担いで屋敷に戻ろうとしたら王妃様の登場だぞ。ビックリなんてもんじゃねぇ」
言葉を濁すマリエラとは逆にはっきりと文句を言うのはダヴィトだ。
彼に肩を借りているティティに至っては文句を言う気力も無いのか、壁際に案内されるとそのまま壁に背を預けてずるずると力なく座りこんでしまった。
これほど弱った彼女を見るのは初めてだ。案じたルーニーとジャックがパタパタと彼女に駆け寄り、癒すように抱きしめてやっている。
「黙っていたのは悪かった。だがこうなったからには全てここで打ち明けて暴こう」
「まだ何か隠し事があるの?」
「……順を追って全て話すよ」
どうやら他にも何かあるらしい。これにはマリエラも眉間に皺を寄せてステファンを見据え、次いでダヴィトと顔を見合わせた。「聞いた?まだ隠してるみたいよ」「旦那も意外と秘密主義だな」と愚痴を漏らし合う。
もちろん本気でステファンに不満を抱いているわけではない。現にマリエラはステファンにぴったりと寄り添っているし、ダヴィトも悪戯気な笑みを浮かべている。
ステファンもそれを理解しているのだろう、「悪かったよ」と告げてくる謝罪の言葉には詫びよりも安堵の色が強い。
次いで彼は決意を改めるように表情を厳しくさせ、リベリオを睨みつけた。
穏やかだった狼の顔が途端に警戒と敵意を宿す。
鋭さを増した金色の瞳が掛けてくる圧に気圧され、リベリオが僅かにたじろいた。




