43:真実を暴く書物
屋敷の広間。数十人が集まっても優に過ごせる、この屋敷内で一番広く天井も高い一室だ。
かつてはここでパーティーでも開かれていたのだろうか。楽団が軽やかな音楽を奏で、中央では男女が手を取って踊り、誰もが酒や食事に舌鼓を打ちながら華やかな一時を堪能する……、そんな光景を想像する場所だ。
だが今この広間にそんな華やかな空気は微塵も無い。
そもそも、元よりこの広間に華やかさを演出する物は何も無い。広すぎるのが逆に不便で普段この場所は使っておらず、たまに雨が降って外で遊べない子供達が走り回るぐらいである。
そんな広間にリベリオ達を案内する。
もちろんシエナや子供達も一緒だ。ダヴィトだけは「みんな引き払ったら戻ってきたティティが拗ねるからな」と冗談めかして外に残り、火が収まったあとの家の確認も買って出てくれた。
「怪物共の屋敷か……。ここも燃え落ちてしまえばよかったのに」
忌々し気に話すのはリベリオ。
怪訝どころか嫌悪とすら言える表情で周囲を見回している。
彼が連れてきた集団も同様で、中にはまるで無理やりに連れ込まれたかのように怯えた様子の者もいるではないか。
「他人の家に火を放つ方が怪物じみてるじゃない」
「この俺を怪物だと? 馬鹿を言うな、怪物は誰が見たってそっちじゃないか。悍ましい怪物共め」
鼻で笑い飛ばすリベリオの態度に悪びれる様子はやはりなく、むしろ咎められた事が不服と言いたげだ。彼からしてみたら家に火を放ったのは怪物退治のため、正義の行動なのだ。広間の一角に集まる子供達を見る視線は冷ややかで侮蔑の色さえ感じられる。
マリエラからしたらその考えこそが悍ましい。かつては婚約者としてそれなりに良好な関係を築いていたリベリオが、今はもう理解の範疇を超えた、得体のしれないものになってしまったかのようだ。
子供達をそんな男の視線に晒すまいと自分に視線を向けさせるべくリベリオを呼べば、幸いすぐにマリエラへと顔を向けてきた。
その瞳に変わらず侮蔑の色があるあたり、彼の中のマリエラはもう『かつての婚約者』でもなければ『愛人候補』でもなく、『怪物の仲間』なのだろう。
「見た目が他と変わっていようがあの子達はまだ子供よ。それに誰かに危害を与えたわけじゃない。そんな子供達が寝ている家に火を放つなんて信じられない」
「人聞きの悪い言い方をするなよ。俺はただ、国のためにすべきことをしたまでだ」
「すべきことって、自分がどれほどの事を仕出かしたか分かってるの? 馬鹿みたいな迷信を信じて人を殺そうとしたのよ」
「人を? 違うだろ。怪物返りは国に災厄をもたらす、つまりこれは崇高なる怪物退治だ。しかしまさか炎の怪物返りが生きていたなんてな……」
ティティの存在は把握していなかったのか、リベリオが計算違いだとでも言いたげに呟いた。
そんな彼に対して、マリエラはその浅ましい考えごと切り捨てるように「違うわ」と断言した。
「そもそも『怪物返り』という呼び方が間違えているのよ。そうでしょう、ステファン」
「……あぁ、マリエラの言う通りだ。僕達は『怪物返り』ではなく『神返り』。災厄を招く存在というのも真逆、むしろ僕達は災厄から国を救う存在だった」
「国民を救うだと? 怪物風情が烏滸がましい……」
ステファンの話に、一人の男がぼやくように反論する。
だが次の瞬間にぎょっとして言葉を詰まらせたのは、「これ見て!」と横から声を掛けられたからだ。それも、声を掛けたのは今まさに話題に抱いていた怪物返りの一人。
鳥類の頭部を持ち背中に羽を生やす子供ジャックだ。その隣には全身が茶色の毛で覆われたルーニーもいる。
二人は数冊の本を持っており、それを男達に手渡そうとし……、だが受け取ってもらえないと判断すると地面に置いた。役割は終わったとパタパタとマリエラ達の元へと駆け寄ってくる。
「ありがとう、ジャック、ルーニー。書庫は大丈夫だった?」
「焦げ臭くもなかったし、熱くもなかった。本もすぐにルーニーが見つけてくれたんだ」
「いつもステファンが本棚にしまうのを覚えてたの」
ジャックとルーニーが書庫での事を報告すれば、彼等とは別に屋敷の確認を頼んでいたレオとオーキスもちょうど戻ってきた。
幸い、火は屋敷にまでは燃え移っていなかったようだ。
「みんなありがとう。凄く助かったわ。リンジーもモニカの面倒を見ていてくれてありがとう」
マリエラの労いに子供達が頷いて返し、話し合いの邪魔にならないようにとシエナの元へと集まった。
子供達だけで行動させるのは心配だったが、不安なままで居させるより役割を与えた方が良いとシエナが提案したのだ。
現に役目を果たした子供達は落ち着きを取り戻しており、今は末子のモニカが風邪をひかないようにと皆で気を使ってやっている。
使命感や責任感が恐怖と不安を上回ったのだろう。長く子供達を見守っていたシエナだからこその発案だ。
子供達が落ち着いたことに安堵し、次いでマリエラは改めるように集団へと視線をやった。
「その本に書かれているわ」と告げれば、数人が恐る恐ると言った様子で本を手に取った。
だがそれに待ったが掛かった。リベリオだ。
「そんな本が何になる。どうせこいつらが自分に良いように書いたに決まってる!」
「いえ、これは本物の百年前の記録書です。他は王立図書館に保管されており途中が抜けているのを覚えております。まさかこんな所にあったなんて」
「私もこの本のサインに覚えがあります。曾祖父がお世話になった学者で、曾祖父の手記に書かれていたサインと同じです。学会では名の知れた方ですが世間的な知名度はないので偽るのは無理かと……」
運よく――リベリオからしたら運悪く―ー古書に詳しい者がいたようで、本物であることを証言してくれた。
リベリオの顔色が次第に青くなる。「そ、そんなもの」と話を続けようとする彼の声は若干だが上擦っている。
「読んだところで時間の無駄だ。怪物共の言い分なんて聞いても」
意味がないとでも言い切るつもりだったのか。だがリベリオの言葉に「どういうことだ」と困惑の声が被さった。
一人の男が怪訝な顔で本を読み進めており、隣に立つ伴侶らしき女性も本を覗き込んで眉根を寄せている。
「確かに『神返り』と書いてある。だが『神返り』なんて聞いたことがないぞ」
「でもここに書いてある『神返り』の記述、あそこにいる怪物返りの子供と同じよ。それに炎の中に溶け込むって、さっき見た怪物返りがやってたじゃない」
「こちらには『雨を降らす』って書いてあります。さっき子供達が話した後に雨が降ってきたけれど、もしかして……」
本を覗き込み、混乱と疑惑を口にする。そんな中、一人の男が食い入るように本を読み、次いで掠れた声で「それなら」と呟いた。
なにか思い当たる節があるのだろうか。それを見て、ステファンが「ヘンダーソン伯」と男を呼んだ。男がビクリと肩を震わ、跳ねるように顔を上げてステファンを見た。
「貴殿の領地は天候が変わりやすく、数年に一度干ばつに見舞われていたはずだ。特に昨年は雨期だというのに殆ど雨が降らず、作物が碌に育たなかった……、そうだろう?」
「あ、あぁ、そうだが……」
「さっき雨を降らした双子、レオとオーキスは貴殿の親族が生んだ子供だ。もしも領地内で育てていれば雨を降らして干ばつを防いでくれただろう。かつての『神返り』がそうしていたように」
「……それは」
ヘンダーソンと呼ばれた男が困惑を露わにし、ステファンとレオ達を交互に見だした。
畏怖や嫌悪を露わにした瞳ではなく、躊躇いの色を強く含んだ瞳だ。
「だ、だが、私達はそんなこと知らされていないぞ。怪物返りは災厄を招く、と……。だから……。そうだ、その怪物返りの双子が生まれたから干ばつは酷くなったんだ!」
「馬鹿な話を二人に押し付けないでくれ。貴殿の領地では双子が生まれる以前にも酷い干ばつはあっただろう」
「……くっ」
ヘンダーソンが小さく呻いた。きっとステファンの話に図星を突かれて反論が出来ないのだろう。
再び双子に視線を向けるが、その瞳は先程よりも弱くなっている。どことなく縋るような色合いさえあるのは、それほどまでに干ばつに頭を悩ませているからか。
確かに双子の力があれば干ばつは防げる。雨を降らして土地を潤し、領地に実りを与えたはずだ。だがそれを認めるのは、同時に自分達の過ちを認める事でもある。その葛藤に、ヘンダーソンはついに喋ることも出来ずに項垂れてしまった。
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