41:怪物辺境伯が恐れるもの
マリエラの一喝に続いて、ドサッと何かが落ちてきた音が聞こえた。見れば、モニカを抱きかかえたシエナが地面に降り立っており、ダヴィトがそれを支えている。頑丈な怪物返りと違いシエナは普通の体の造り、それも細身の女性だ。うまく着地出来ても衝撃で体を痛めかねない。
だが幸い怪我はせずに済んだようで、シエナはすぐさま子供達の元へと駆け寄ってきた。
「みんな大丈夫だった? 怪我は? オーキス、火傷は大丈夫?」
「ママ先生! ママ先生は大丈夫? 足痛くない?」
「えぇ、私は大丈夫よ。マリエラ、気付いてくれてありがとう。起きた時にはもう階段に火が回っていて逃げられなかったの」
「みんなが無事でよかったわ。……でも」
話を止め、マリエラは視線をリベリオ達の方へと向けた。
つられるように視線をやったシエナが驚愕の表情を浮かべ、次第に温厚な彼女らしからぬ険しい顔へと変えていく。「ママ先生……」と弱々しい声と共に自分の服を引っ張るリンジーを抱き寄せるのは警戒心の表れだろう。
シエナが現れたことで集団が僅かにざわついた。大人の女性が居るとは思っていなかったのだろう。中には怪訝な表情でじっとシエナを見据えている者もいる。
「貴方達……、幼い子供に危害を加えて恥を知りなさい」
「恥を知れだと? ロンストーン家の侍女如きが我々に舐めた口を効くな。こんな怪物達の世話をするなんてどうせ訳あり女なんだろう」
集団の一人がシエナに対して侮辱の言葉を投げかけた。
それに対して反論をしたのはマリエラだ。シエナを庇うように彼女の前に立ち、侮辱の言葉を口にした男をきつく睨みつけ「黙りなさい」と一喝した。
「シエナはロンストーン家で働いているのよ。他家の給仕を悪し様に言うなんて、シエナの言う通り恥知らずじゃない」
「なんだと、この小娘が……!」
「貴方達と話をしている暇はないわ。みんな、私とシエナから離れちゃ駄目よ。ステファン、後は貴方だけよ、降りてきて!」
すぐさま話を切り替えるのは、これ以上彼等と話す気はないという訴えだ。
それが分かったのだろう、男が悔し気に睨みつけ、再び何かを言おうとする。だがその声が発せられるより先に、「見て!」と悲鳴じみた女性の声があがった。
集団の一人。着飾った女性が家の二階を指差している。
割れた窓、燃え盛る炎、そこに立つのは狼と人間を混ぜたような風貌の男。
ステファンだ。
その姿に、「恐ろしい」だの「おぞまし」だのと好き勝手な言葉があがる。
中には身を寄せ合って恐怖する者もいるではないか。自分達で勝手に怪物辺境伯の敷地に来たくせに。
だが今はそんな身勝手で軽薄で浅はかな者達を気に掛けている場合ではない。そうマリエラは胸に湧き上がり怒りを押し留め、二階の窓辺に立つステファンを見上げた。
「どうしたのステファン、早く降りてきて!」
「だが……、そこにひとが」
返事をするステファンの声は弱々しく、業火の音に掻き消されかねないほどだ。辛うじてマリエラの耳に届きはしたが、これが彼の声なのかと思えるほどに儚い。現に、続く言葉は炎が建物を軋ませる音に掻き消されてしまった。
今のステファンは明らかに動揺しており、もはや怯えとさえ言える。
他者がいることが、そして他者が自分を恐れていることが、彼の冷静さや勇気を欠いているのだ。
そのうえ、後は窓から飛び降りるだけだというのに窓から後退ってしまった。今の彼には、背後の炎より眼下で己に怯える者達の方が恐ろしく見えているのだろう。
「ステファン……!」
マリエラが名前を呼ぶも返事はない。ステファンはいまだ燃えさかる家の中に居り、唯一の脱出口である窓に近付く事が出来ずにいる。
まるで窓の外に怪物が居て恐れているかのように……。
ステファンは他者から怯えられることを怖がっている。
マリエラを怖がらせるまいと小屋に隠れて布を被ったり、他家の侍女が恐れないようにと直ぐに部屋から出て行ったり。優しい彼の気遣いではあるが、同時に、自分を隠すことで自分を護ってもいるのだ。
だが考えてみれば当然で、誰だって他者が己を見て悲鳴をあげたり恐怖すれば傷付くものだ。「恐ろしい」だの「おぞましい」だのという言葉に胸を痛めないわけがない。
それが分かるからこそ、マリエラは迷うことなく燃え盛る家へと近付いた。ぶわと熱風が肌を焦がす。ダヴィトが制止の声を掛けてくるがそれでも構わずに進み、ステファンの真下へと進み出ると両腕を広げた。
「大丈夫よ、ステファン! 私が受け止めるから降りてきて!」
「マ、マリエラ、なにを言ってるんだ……」
「何も怖がることはないわ! 私だけを見て、私のところに降りてくれば良いの! 私が貴方を抱きしめるから!」
だから! とマリエラが炎の轟音に負けないようにと声をあげれば、ステファンが応えるように窓に身を寄せた。
先程までは躊躇いの表情で己に怯える集団を見ていたが、今の彼の瞳は真っすぐにマリエラを見つめている。マリエラだけを。
次の瞬間、ステファンがグイと身を乗り出し、窓枠を軽やかに飛び越えた。
ドザッ!と大きな音がし、マリエラの目の前にステファンが降りてくる。
大きな体躯ながらに軽やかな身のこなし、建物二階の高さをものともしない着地。銀色の毛と合わさってか、氷塊が目の前に降り立ったかのような錯覚を覚える。
綺麗。
そんな場違いな感想が頭の中に浮かんだ。




