40:炎に染まる家
ティティとダヴィトはマリエラ達とは別の階に自室兼寝室を構えている。
まずはティティの部屋に向かい、扉を叩いて彼女を起こす。深夜だけあり流石に屋敷の番人も寝ていたようだが、マリエラが事態を伝えると眠気も飛んだようですぐさま子供達の家へと走っていった。
次いでマリエラはダヴィトを起こして彼と共に家へと向かう。子供達の家に近付くに連れて焦げ臭さが漂い空気が熱くなってくるが、それがより焦燥感を増させ、自分の足が酷く遅く感じられた。まるで亀にでもなったかのようだ。
それでも屋敷と家を繋ぐ通路まで辿り着き扉を開けようとした瞬間、「触るな!」とダヴィトに手を掴まれた。
「気をつけろ嬢ちゃん。下手に触ると火傷するぞ」
「や、火傷……」
「この熱気だ、中はまずいかもな。外に回った方が良いかもしれない」
「でも、子供達とシエナが中に」
「先にティティが行ってるなら炎はあいつが押さえてるはずだ」
普段の軽い口調と違い、今のダヴィトの声には緊迫感が漂っている。眼光鋭く扉を一瞥し「行くぞ」とすぐさま踵を返すと屋敷の外へと進路を変えた。
そうして屋敷の外へと出て、マリエラは目の前の光景に眩暈を覚えそうになった。
子供達の住む家。元々は貴族の別荘に仕える者達の寮だったらしいが、大幅に改装し、子供達が暮らせる温かな家になっている。一階は日中皆で過ごすための広間と必要な設備、そして二階は子供達が安らげるような寝室。壁には子供達が描いた絵が飾っていて、ぬいぐるみが並び、本棚には絵本がしまわれている、温かな家だ。
そんな家から炎があがっている。
窓から見える屋内は埋め尽くすように炎が揺らめいており、黒い煙が夜の空へと上がっていく。
風が吹くたびに熱風が顔に当たるが、マリエラはそれを気に掛ける余裕も無いと家に駆け寄ろうとし、ダヴィトに腕を掴まれた。
「嬢ちゃんあぶねぇ! 近付くな!」
「でもまだみんなが中に居るかもしれないのよ!」
「わかってるから落ち着け!」
ダヴィトも声を荒らげるが、怒鳴りつけるような強さでは無い。彼もまた焦燥感に急かされているのだ。
その声にマリエラははっと息を呑み、振り払おうとしていた腕の力を抜いた。それを見て取りダヴィトも手を放す。
「マリエラ! ダヴィト!!」
名前を呼ぶ声が聞こえてきたのはちょうどその瞬間だ。
マリエラとダヴィトが揃えて顔を上げる。声が聞こえたのは家の二階、窓が割れており、そこからこちらを見るのは……、
「ステファン!!」
燃え盛る炎を背に、こちらを見下ろすのは銀色の狼。否、ステファンだ。
「ステファン! 子供達は、シエナは!」
「みんなここに居る。無事だ。炎はティティが止めてくれている」
「旦那、俺もいまそっちに行くから」
「待て、ダヴィト。階段は焼け落ちて上がってこられない。今から子供達が一人ずつ飛び降りるからそれを受け止めてくれ」
ティティが炎に溶け込み、これ以上炎が広がらないよう防いでくれている。だが消火までは出来ず、炎を留めておくのが限界だという。
いわば時間稼ぎ。それも建物の耐久性を考えると長くは持たず、いずれは階段どころか建物そのものが崩れ落ちる……。
想像し、マリエラは自分の血の気が引くのを感じ取った。燃え盛る炎を前にしても寒気がする。
「よし。俺が受け止めるから、嬢ちゃんは安全な場所に連れていってくれ」
「わ、分かったわ……!」
手早く互いの役割を確認すれば、「行くぞ」と頭上から声が聞こえてきた。
一度ステファンの姿が消え、次いで彼がジャックを抱きかかえるようにして現れた。頭部が鳥類という人ならざる顔をしているジャックだが、それでも今の彼が恐怖と緊張を抱いているのが分かる。
いくら怪物返りが屋敷の屋根から落ちても擦り傷で済むほど頑丈とはいえ、彼等に恐怖心がないわけではない。年相応の子供らしく物事を恐れ、そして境遇ゆえに繊細だ。
この状況下、迫る炎から逃げるために建物の二階から飛ぶのに恐怖を覚えないわけがない。それでもジャックは気丈に振る舞おうとしてるのか、ステファンに対して深く一度頷くと自ら彼から離れるようにして飛び降りた。
ジャックの鳥のような羽が一度バサと広がり、だが鳥のように飛び上がることは叶わずそのまま地面へと落ちる。
だが小さな体は地面に叩きつけられることはなく、ダヴィトが受け止めた。放すまい落とすまいという想いがあるのだろう強い抱擁。次いで頭を撫でて労い地面に立たせた。
ならば次は自分の番だ。そうマリエラは考え、恐怖で震えそうになる己を律してジャックを呼んだ。
既にステファンとダヴィトは次の子供が降りるための準備をしている。
「ジャック、怪我はない? 痛いところは? 火傷は?」
「大丈夫。怖かったけど、でも、俺が一番に飛ぶって言ったんだ。みんな怖がってたから、俺が飛んで大丈夫だって分かればみんな平気だと思って。それにステファンが大丈夫って言ってたし。ダヴィトも絶対に受け止めるって言ってくれたから」
緊張の表れか、ジャックは妙に饒舌になっている。
そんな彼をマリエラは強く抱きしめて「偉いわ」と褒めてやった。小さな体が強張り震えているのが触れた箇所から伝わってくる。
人と離れた外見だろうとジャックはまだ幼い子供だ。そんな彼が、みんなが自分に続けるようにと己を奮い立たせて先陣を切って窓から飛んだのだ。なんて勇ましく立派なのだろうか。
ようやく安堵したのだろうジャックが一度強くマリエラの体を抱きしめ返し、だが次の瞬間には「オーキス!」と声をあげた。
「マリエラ、オーキスが来るよ。オーキスは手を火傷してるんだ」
「そうなの? 大変、冷やしてあげないと」
「あっちに井戸があるから、俺、水を汲んでくる」
ジャックがすぐさま井戸へと向かって走っていく。
井戸のある方向は家とは別だ。そう遠くも無い。ならば彼に任せても平気だろう。
そうマリエラは考え、ダヴィトにしがみついているオーキスを宥めるために駆け寄っていった。
オーキスに続いて、ルーニー、レオが二階の窓から飛び降りてくる。
飛ぶ子供達の心労も酷いが受け止めるダヴィトの負担も大きいだろう。彼は燃え盛る一階の近くに立ち、時折は熱風に呻いている。それでも引くことはせず子供達が恐れないようにと両腕を広げて待ち構えていた。
ステファンも彼に信頼を寄せているようで、怖がるリンジーに対して「ダヴィトが必ず受け止めてくれるから」と励ましている。
そうしてリンジーが地面に飛び降りてくれば次はモニカだ。
まだ赤ん坊のモニカはシエナが抱き抱えて降りることにしたらしく、シエナがステファンの支えを借りながら恐る恐る窓を乗り越えようとしている。
今家に残っているのはシエナとモニカ、ステファン、そして炎を押さえているティティ。炎に溶け込んでいるティティは怪我を負うことは無いだろう、となれば、シエナとモニカが飛び、ステファンがそれに続けばひとまず全員の無事が確保される。
そうマリエラが考えた瞬間……、背後からザワとひとの声が聞こえてきた。
「見ろ、本当に怪物だ!」
「あれが生き物……? なんて恐ろしいのかしら……」
「襲ってくるかもしれません、あまり前に出ないでください。火の粉も舞っているのでお気をつけて」
口々に話しながら現れたのは十数名の男女。
夜間だというのに纏う衣類は妙に豪華で、一目で相応の身分だと分かる。従者や護衛をつけている者さえいるではないか。
まるで物見遊山とでも言いたげな一団は眼前の火災には目もくれず、怪物返りの子供達に冷ややかな視線を向けている。
その場違いさと違和感に、マリエラは妙な気味悪さを覚えてすぐさま子供達を己の方へと引き寄せた。
「な、なに……、貴方達……」
「見ろ、マリエラ・ミゼラだ。本当に怪物辺境伯のところに嫁いでたんだな」
「なんなの貴方達。勝手に敷地に入ってきて……!」
なにが目的なのか問おうとし、だがマリエラは話の途中で言葉を飲み込んだ。
集団の奥から出てきたのは見覚えのある青年。金色の髪は炎を前にすると少し赤みがかり、整った顔には今は勝利を確信したような得意げな笑みが張り付けられている。
夜だというのにやたらと上質な衣類を纏っており、悠然と明るい場に歩み出る様はまるで舞台役者のようではないか。
「リベリオ……」
マリエラがその人物の名を口にした。信じられないという気持ちと、湧き上がる嫌な予感を押さえきれない上擦った声。対して「久しぶりだな」というリベリオの返事は軽く、目の前の惨事が見えていないかのように余裕の色を漂わせている。
リベリオ・シャレッド。かつてはマリエラの婚約者であり、今は第三王女と結婚している。
彼の姿を見て、マリエラの中で渦巻いていた疑問が一気に晴れていった。
「貴方がこの人達を連れてきたの? なんのために? 私達に近付かないでって言ったでしょ!」
「何のためにって、怪物退治に決まっているだろ」
「怪物退治って、まさか、火をつけたのは……。信じられない! どうしてそんな事をしたの!」
「国に災厄を招くと言われている怪物がこんなに居るんだ。何か恐ろしい災害が起こるかもしれないだろう? そんな存在を野放しにしておけるわけがない。国民として、いや、国民を導く王族として、怪物退治に立ち上がるのは当然だ」
「災厄なんて起きないわ! 何も知らないくせにこの子達を悪く言わないで!」
リベリオの口調はまるで己が英雄になったかのようではないか。非道な行いへの罪悪感も無ければ、己の犯行を隠す様子すら無い。
マリエラが声を荒らげて咎めるが彼は聞く耳もたずだ。まったく響いていない。それどころかリベリオの周囲に居る貴族達でさえマリエラに冷ややかな視線を向けてくる。
片や、国に災いをもたらす怪物を倒す勇気ある王子。
片や、そんな王子を騙して結婚しようとし罪を暴かれ、怪物に嫁がされた悪女。
どちらの言い分を信じるかなど考えるまでもないだろう。
だけど信じて貰わなくても良い。この状況下で余計な事をせず、子供達を傷付ける言葉を言わなければ良い。
そう考え、マリエラはリベリオと周囲に居る貴族達に対して「これ以上近付かないで!黙っていて!」と怒鳴りつけた。




