38:この屋敷でみんな一緒に
「私が閉じ込められてた部屋にも火が回ってきて、その時にはじめて炎の中に溶け込んだ。それまでそんな事が出来るなんて思いもして無かったから驚いたよ」
「溶け込むの? 炎の中に? ティティが?」
「そう。水の中に落ちたインクが溶けるように、私が炎の中に混ざっていく。そうすると私の意識が炎全体に行き渡って、広がるのを防いだり、逆に広げたりできる」
「そんなことが出来るの!? 凄いじゃない!!」
ティティの話に、マリエラは興奮を隠し切れずにずいと彼女に身を寄せた。
炎の中に溶け込み更に炎を操れるなんて、まるで物語に出てくる魔法使いのようではないか。むしろこんな芸当が出来る魔法使いはどの本にも居なかったのだから魔法使い以上だ。
この能力があれば誰も手をつけられない火災にだって立ち向かえるし、逃げ遅れた者達を助けることが出来る。
きっと、神返りだった時代はそうあったのだろう。
「その火事に乗じて私は屋敷から逃げて、数年は住まいを点々としながら生活してた。そんな中で怪物辺境伯の噂を聞いて会いに行ったんだ」
初めて見る自分以外の異質な存在。
自分を含めて『怪物返り』と呼ぶことを、その時はじめてステファンから教えられたのだという。
そうしてステファンの提案により屋敷に住むようになり今に至る。
当時既にステファンの他にも、シエナと彼女が連れてきたリンジー、それにジャックが居たらしい。その後ダヴィトと他の子供達が加わり、マリエラがステファンに嫁ぐために屋敷を訪れ、そして先日、新たな子供モニカを迎えた……。
屋敷に閉じ込められていた時を語るティティの口調は淡々としていたが、その後のことを語る彼女の口調は穏やかだ。
彼女にとって、生家に閉じ込められていた時代のことはただの記憶でしかなく、この屋敷に来てから今この瞬間までが大事な思い出なのだろう。
「そんな事があったのね……。ティティ、大変だったのね」
「大変かと問われても、普通が分からないからあんまりピンとこないね」
肩を竦めて話すティティの口調もまたあっさりとしたものだ。
マリエラの気遣いの言葉を受けて謙遜しているわけでもない。かといって気遣いを拒否しているのでもない。ただ気遣われていると分かったうえで、気遣われている理由がいま一つ理解出来ずにいるのだ。
それもまた胸を痛める話なのだが、マリエラは気遣うよりもとティティの手を取った。
「私、ティティと一緒にこの屋敷で暮らせて幸せよ。ティティの話も聞けて良かった」
「本当?」
「えぇ、本当。だってティティも一緒に暮らす家族じゃない。家族のことをもっと知りたいと思うのは当然だわ」
「家族……」
マリエラの言葉にティティが小さく呟き、そしてゆっくりと目を細めた。
はにかむような、相手を愛おしむような、嬉しさが滲み出ている表情。大人びた言動のティティだが、今だけは年相応の年下らしい愛らしさがある。
マリエラもまた微笑んで返し、だが次の瞬間、「あーっ!」と聞こえてきた声に驚いて声のした方へと視線をやった。
「マリエラが屋根の上にいる!」
庭の一角に立ち、こちらを見上げて声をあげているのはジャックだ。
彼に続いて他の子供達もわらわらと庭に出てきては屋根を見上げ、わぁわぁと声をあげはじめた。「いいなぁ」と羨んだり「私も屋根に登りたい!」と訴えたり。オーキスはシエナの手を引いて庭に出て来て、彼女にも屋根を見上げるように促している。
耳を澄ませば子供達の声が……、どころではない。一瞬にして騒がしくなってしまった。
「あらら、見つかっちゃった。屋根に登りたいの大合唱だわ」
「参ったな……、こうなると全員つれてこないと収まらないんだ。前にダヴィトが屋根に登ってきたのをレオが見つけて、全員連れてくるまで三日は騒ぎ続けたからね」
「私も手伝うから、夕食前に満足させちゃいましょう」
収まりようのない子供達の訴えを苦笑交じりに聞き、眼下にいる彼等に手を振って応える。
ティティも苦笑しながら立ち上がり、「子供達のところに行こうか」と誘ってきた。
◆◆◆
子供達を屋根に案内し、その後はステファンと共に夕食を摂る。
リクエストした通りのビーフシチューだ。しっかりと煮込まれていてお肉はほろほろと崩れるように柔らかく、野菜にも味がしっかりと染み込んでいる。それでいて濃すぎず、後引かぬ旨味がある。
ダヴィトは常々「貴族の屋敷で出すレベルには程遠い家庭料理だ」と言っているが、このビーフシチューは少なくともミゼラ子爵家では通じるだろう。
「話をしてもらったうえにこんなに美味しいビーフシチューまで食べれるんだから、なんだか得した気分」
ご機嫌でマリエラが話せば、向かいに座るステファンが穏やかに微笑んだ。
「それならマリエラと一緒に美味しいビーフシチューを食べている僕も得をしたってことかな」
「私達ラッキーな夫婦だわ」
ステファンの話にマリエラが更に機嫌を良くして笑う。
そうしてしばらく他愛もない会話と食事を楽しんでいると、ステファンがふと「ティティやダヴィトが来た時か……」と呟いた。
「懐かしいな。ティティが来た時は僕以外に処分されずに生き延びた怪物返りが居ることに驚いたし、ダヴィトが来た時は僕の話で金が稼げるのかと驚いたよ」
「驚くのも無理はないわね。でもティティやダヴィト達も驚いてたみたいよ。ダヴィトに関しては驚くというより怖がってたみたいだけど」
「あの時はリンジーが暴力を振るわれたと思って冷静じゃいられなかったんだ。勘違いして怒りに任せて詰め寄ったことはダヴィトにちゃんと謝ったよ。もっとも、そもそもはあいつが不法侵入してきたのが悪いんだけど」
ステファンが肩を竦める。自分にも非は有るが、それでも自分だけが悪いわけじゃないと訴える。まるで言い訳をする子供のようではないか。
そんなステファンの分かりやすさにマリエラは笑みを零した。
ダヴィトは当時のステファンがいかに恐ろしかったかを語り、対してステファンもまた当時のダヴィトが悪いのだと語る。こんな言い方が出来るのは彼等の仲が当時の『怪物辺境伯と情報屋』ではなく、共に暮らす家族だからこそだ。
「そういえば、ティティはどうして突然過去の事を話してくれたのかしら?」
ダヴィトが身の上話をしてくれたのには理由がある。リベリオがステファンに凄まれて恐怖していたという話から、過去のダヴィトの話になり、怯えるあまり……という疑惑を拭うために話してくれたのだ。ーー今更ながらに酷い疑惑だーー
だがティティはおかしな疑いを掛けられたわけではない。だというのに突然マリエラを屋根の上に案内し、そこで身の上話を語ってくれたのだ。
なぜ? と今になってマリエラが疑問を抱けば、ステファンが苦笑を浮かべた。
「マリエラがダヴィトの話を聞いて喜んだからだろう」
「私が? 確かにダヴィトのことを知れて良かったって言ったけど」
「ティティはそれを見て、マリエラに自分の事を話すことにしたんだ。知って欲しいという気持ちもあっただろうけど、きっとマリエラに喜んで欲しいと思ったんだろうな」
ステファン曰く、ティティは自分の感情にも他者の感情にも疎いところがあるという。ここに来るまでの境遇を考えれば当然と言えば当然だ。
だが疎くとも感情が無いわけではないし、他者の感情を蔑ろにするわけでもない。むしろ心を開いた相手には喜んでもらいたいと考えて行動に移す。それは単純で分かりやすく、幼い子供のように純粋。
マリエラはダヴィトの話を聞いて喜んだ。
つまり彼女はここで暮らす人の過去を知りたいと思っている。
ならば自分の話も喜んでくれるだろうか……。
「きっとティティはそう考えたんだ。マリエラを受け入れている証だよ」
「そうだったのね、嬉しい」
「マリエラは凄いな。僕だけじゃなくて子供達も、それにティティの心まで開かせた。みんなすっかりきみの虜だよ」
嬉しそうにステファンが話し、次いで「もちろん一番は僕だけど」と一言付け足してきた。
これもまた子供のような言い分ではないか。思わずマリエラも「私もステファンが一番よ」と返せば、彼は金色の瞳を嬉しそうに細めて笑った。
もっとも、次の瞬間、
「よく分からないけど、今は部屋に入っちゃいけない気がする」
「そうだぞティティ、こういうのは影から覗くのが楽しいんだ。しかし相変わらずお熱いことで。今出したらせっかく焼いたアップルパイが焦げちまうな」
「ダヴィトってば、またそういうこと言ってるとステファンに睨まれるわよ。でも若い夫婦が仲良くしてるのは良いわねぇ。こっちまで若返っちゃいそう」
と、そんな声が扉の薄く開いた隙間から聞こえてきて、マリエラとステファンは笑みを引っ込めて目を丸くさせてしまった。
今の声は……、確認するまでもない。元よりこの屋敷にはマリエラとステファンの他には九人しか居らず、そのうち六人の子供達はもう寝ている時間なのだ。
見られていた、とマリエラが視線でステファンに訴えれば彼もなんとも言えない表情をしている。
だが何か思いついたのか、テーブルの上にあるマリエラの手にそっと己の手を重ねてきた。
「夫婦なんだから仲が良くしていたっていいじゃないか」
「ステファンってば、見せつけるつもり?」
「嫌かな?」
「まさか、大賛成よ!」
上機嫌で返し、覆うように重ねてくる大きな手に自ら指を絡めてぎゅっと握る。
ステファンが嬉しそうに笑い、扉の向こうで盗み聞きする者達が苦笑を浮かべたのが聞こえてきた。




