37:炎の番人と屋根の上
ダヴィトが夕食の仕込みに入るのを切っ掛けに、その場はお開きとなった。
マリエラは子供達の相手をしに屋敷に隣接する家へ、ティティは屋敷の警備のために屋根へ向かう。だが別れ際にふとティティがマリエラを呼び止めた。
「マリエラ、時間があるなら屋根に登らない?」
「屋根に?」
ティティに誘われ、マリエラは天井を見上げた。
屋内なので屋根を見上げることは出来ないのだが、それでも反射的に見てしまうのだ。
「私も一緒に登って良いの?」
「良いも何も、この屋敷は私のものじゃないし。むしろ屋敷の主人であるステファンの妻なんだからマリエラの方が権利があるんじゃないの?」
「確かに一理あるわね。でも、危ないから一人で屋根に登るのは禁止されてるの。屋根に登るのはステファンかティティと一緒の時だけって。だから案内してくれるならもちろんついていくわ!」
初めてステファンに屋根の上に案内されて夜景を見たあの夜からも、何度か屋根の上にはあがっている。
時には子供達と一緒に。時にはステファンに誘われて二人で夜景を眺めて……。季節や時間帯によって景色は変わり、何度眺めても心を奪われる美しさだ。
今はそろそろ日が落ち始める時間帯。となれば、日中とも夜ともまた違った景色になっているだろう。思い返せば夕方に屋根の上に登ったことはなかった。
そう考えればマリエラの胸が期待で弾み、誘われた側だというのに「行きましょう!」とティティの手を掴んで歩き出した。
そうして屋根に登り、「すごい!」とマリエラは開口一番に声を上げた。
「空がオレンジ色だわ、それに遠くに夕日が見える!」
「気に入って貰えてよかった」
「こんなにオレンジ色で染まってるのに、日が落ちて夜になったら暗くなって星が輝くのよね。不思議な感じ。ねぇ、もうしばらくしたら一番星が見えるかしら」
「……はしゃぐのは良いけど落ちないようにね。私達なら擦り傷で済むけど、マリエラはそうはいかないだろうし」
「同じようなことをステファンにも言われたわね……。ちょっと落ち着こうかしら」
眼前の景色に見惚れすぎて興奮しすぎてしまった。そう己を宥める。
マリエラが落ち着きを取り戻したのを見計らってか、ティティが「こっちに」と案内してきた。
彼女が座るように促して来たのは屋根の一角。傾斜も緩く、屋根裏部屋の窓が出っ張っておりちょうど背もたれ代わりに出来る。
曰く、ティティは普段はここに座って過ごしているのだという。ならばとマリエラはその場に腰を下ろし、景色を眺め、耳を澄ました。
「子供達の声が聞こえるのね。庭も見えるし、あれは屋敷と家を繋ぐ通路よね?」
「そうだよ。ここからだとマリエラ達が行き来してるのも見える。それに本人には秘密だけど、ダヴィトが料理中に歌ってるのも聞こえるんだ」
ニヤリとティティが笑みを浮かべた。
凛とした麗しい顔付きで表情をあまり表に出さない彼女にしては珍しい、子供が悪戯を話すような笑みだ。
「ティティはいつもここで皆を見守っているのね」
「見守るってほど立派なものじゃないけど。……ひとの気配を感じるのが好きだから」
「ひとの気配?」
「そう。ただここに座って、耳を澄まして、みんなが居るのを感じるんだ」
目を細めて話すティティは心地良さそうで、その横顔はまるで猫のようだ。
マリエラも彼女に倣い、気配を探るように意識を眼前の景色へと向けた。サァと吹き抜ける風、それに乗って聞こえてくる子供達の声。ふと視線を落とせば庭を歩くステファンの姿があった。
森の中にある屋敷。暮らしている人数は屋敷の規模に反して少ない。だが辿れば確かにそこに住む者達の気配を感じられる。
それがきっとティティには心地良いのだろう。
彼女は愛おしむように目を細めて眼前の光景を見つめ、次いでゆっくりと口を開いた。
「生まれてから長いこと一人でいたから、誰かが居るのを感じられるのが嬉しいんだと思う」
「一人でいたって、ティティが? ここに来る前?」
「私はどこかの家で生まれて、そのあとずっとその家の地下に居たんだ。多分、私のことを殺せなくて持て余してたんだと思う」
「殺せないって……、そんな」
どうして殺す必要が、と問いかけてマリエラは口を噤んだ。
理由は聞かなくても分かる。ティティが怪物返りだからだ。ゆえにティティの生家は彼女を処分……、殺そうとした。
だがティティは全身を炎に変えてそれに抗ったという。首を締めようとする手を、口と鼻を塞ごうとする手を燃やし、刃物を取り出された時は全身を炎に変えて燃え上がり周囲を巻き込もうとした。
殺意を見せれば巨大な炎の塊に変わる赤ん坊に言葉の通り手を焼き、結果、ティティの生家は彼女を屋敷の地下に隠す事にしたという。
「生かしてもらったとは思ってないよ。ただ、私が殺させなかっただけ」
淡々と話すティティの口調には自分の生まれを嘆く色も無ければ、無慈悲な判断を下した親や周囲の者達を恨む色も無い。
地下の一室に閉じ込められていた事も、情けで最低限の教育を与えられていた事も、「呪われている」だの「悍ましい」だのと蔑む言葉ばかりを投げかけられていた事も、話す内容の重さに反して口調はあっさりとしている。まるで報告書を読み上げているかのようだ。
「自分が異質な存在って言うことは理解したけど、かといって何をどうすれば良いのかも分からなかった。もしかしたら逃げられたのかもしれないけど、かといって逃げる先もないし。でも大人しく殺される気も無かった。だからこのまま時期がくるまで生きて、いずれ死ぬんだろうな……ってぼんやりと考えてた」
生きる事に執着しているわけでもない。だが死を受け入れる程の絶望もない。ただぼんやりと生き続ける。
そんなティティの人生に大きな転機が訪れた。
その転機を与えたのは、皮肉なのか運命的なのか、『炎』だった。
「屋敷が火事になったんだ。原因は分からないけど……、あ、私じゃないよ」
念のために無実を訴えてくるティティに、マリエラは「疑いもしてないわよ」と返した。
その際にちょっとだけ唇を尖らせて見せるのは、疑ってると思われている事が心外だからだ。それが伝わったのだろうティティが苦笑交じりに謝罪をしてくる。
僅かに空気が和らぎ、再びティティが話を始めた。




