36:情報屋と恐ろしい怪物辺境伯
屋敷は森の中にあり、なおかつ『怪物辺境伯の屋敷』だけあって誰も好んで近付こうとしない。
だが決して危険な場所にあるわけでもなければ高い壁に囲まれているわけでもない。元々はロンストーン家の別荘だったのだ、行き来に関しては不便ではあるものの苦ではない。
現に領地の経営を任している者は定期的に屋敷を訪ねてくるし、先日は怪物返りのモニカを連れてどこかの家の侍女が来た。そもそもマリエラだって来ている。
辺境の地ではあるものの、来ようと思えば来られない場所ではない。ゆえにかつてのダヴィトは敷地内に忍び込んだのだ。
「俺としては旦那の……、いや、『怪物辺境伯』って言った方が良いかな。その後ろ姿でも見れたら良かったんだ。全貌が見えなくても怪物辺境伯の姿を見たってだけで話になる。『悍ましい後ろ姿だった』だの『恐ろしくて足が震えて追いかけられなかった』とでも好きに言えるからな」
「そんな、酷い!」
「今なら俺もそう思うよ。でもまぁ、当時の俺はそんなこと碌に考えずに敷地に忍び込んだんだ。庭に居るリンジーを見つけて『これは金になる』って喜びまでした。だが運の悪いことに、同じタイミングで同業者が忍び込んでたんだ」
当時のダヴィトはリンジーの存在を知るだけで満足だった。
『恐ろしい怪物辺境伯の屋敷には異形の子供が居る』
それだけで金持ち連中は興味を抱き、しばらく引っ張りだこになるだろう。今まで誰も知らずに居た存在を掴んだのだから当分は話のネタに困らずにいられる。そう考え、敷地を後にしようとした。
だが同時に侵入していた同業者達は違っていたらしい。
「金に目が眩んで欲を出したか、リンジーを捕まえて詳しく聞き出そうとしたらしい。何があったかまでは知らされてないが、強く詰められたか、もしかしたら暴力も……」
「リンジーに!? 許せない! そいつらはどこの居るの!! 引っ叩いてやるわ!!」
「待て、落ち着け。もう何年も前の話だしそいつらは旦那とティティが捕まえてる。それで、俺も運悪く掴まってグルだと思われたんだ」
件の情報屋は男女の二人組だったという。そこに同じ目的でダヴィトが敷地に忍び込んでいたのだから、捕まえた場所やタイミングが多少違えども元より三人組だったと考えるのが当然だ。
ゆえにステファンとティティはダヴィトを彼等の仲間と判断し、リンジーに暴力を振るったと疑いをかけて怒りのままに詰め寄ったという。
「想像してみてくれ。銀色の毛を逆立てて怒る怪物辺境伯と、全身を炎に変えて敵意を向けてくる女……」
「かなりの迫力ね」
「だろう? で、俺は必死に単独で行動していた事や無実である事を訴えた」
「それは災難。……いえ、待って、不法侵入した時点で無実とは言い切れない気がするんだけど」
「そこはまぁそうなんだが。とにかく、ここで大事なのは、リンジーが危険な目に遇わされて旦那とティティがぶちぎれてたって事だ。そんな二人を前にしてビビるなってのが無理な話だろ」
はっきりとダヴィトが断言する。その力強い断言はどうかと思えるが、それでもマリエラは「そう言われると……」と考えを巡らせた。
確かにステファンは見た目だけなら恐ろしいと言えるだろう。
全身を銀色の毛で覆われており、体躯は並みの男性よりも優れている。顔は狼のような造りをしていて金色の瞳に黒い瞳孔、更に頭部には人にも狼にも無い紺青色の角が生えているのだ。爪も同様、きちんと手入れをしているものの紺青色の硬く大きな爪は一見すると狂暴な印象を与える。
『怪物』と呼ばれてしまう外見だ。この件に関して、マリエラは「そんな事ないわ」だの「ひとと少し違うだけ」だのと言うつもりはない。
ティティも同様。
平常時ではその異質さは見えないが、シャツで隠した胸元にはぽっかりと穴が空いて炎が揺らめている。そして全身を炎に変えることも出来るのだ。
これもまた「普通」だの「他の人と変わらない」だのとは言えない。
「そんなステファンとティティが……。確かに怖いかもしれないわね」
「嬢ちゃんもそう思うよな。だから俺がビビったのは仕方ない。だがけっして漏らしていない。分かったか、ティティ!」
最後のティティに向けてだけ妙に語気を強めているのは、これ以上の誤解を招かないためだろう。
そのかいあってかティティも納得したようでうんうんと頷いている。それを見てダヴィトがまったくと言いたげに息を吐いた。
「それでダヴィトはここで働くようになったのね」
「最初は料理番としてじゃなくて、ただ怪物返りを知っちまったからここで住むことになったんだ。旦那に『知ったからには帰すわけにはいかない』って言われた時は殺されると思って本気で命乞いしたな……」
瞬間、ダヴィトの視線が虚空へと向けられた。遠い目とはまさに今の彼の瞳である。
それほど怖かったということだ。なるほどどうりで、ダヴィトは時折ステファンに睨まれると慌てた様子で謝罪する事が有る。あれはきっと過去の恐怖心が蘇っての事なのだろう。……もっとも、睨まれる原因はダヴィト本人の言動にあるのだが。
「とにかく、そういうわけで俺は確かに旦那の事はビビったが、けっして漏らしてはいない。その点だけは間違えないでくれ」
「随分と念を押すのね」
「子供達に誤解されるのだけは避けなきゃなんねぇだろ。あいつらに知られたら笑われるどころじゃねぇ、俺の言う事を聞かなくなる」
その光景を想像しているのかダヴィトの声色は渋い。
元々粗暴な印象を受ける彼が眉根を寄せると威圧感が漂う、……のだが、話題が話題なだけに今だけは迫力は皆無だ。
そのギャップが面白く、マリエラはクスクスと笑いながら「分かったわ」と返した。さすがにここまで説明されたら誤解はしない。
「面白い話をありがとう」
「面白かったか? 自分の夫が飯の種にされてるなんて気分の悪い話だろ」
「そうね、その点は気分が悪いわ。それにリンジーを脅したっていう情報屋達はいくら過去の事とはいえ許せない。でもダヴィトについて知れたのは嬉しいわ」
「そう言ってもらえると恥を忍んで話したかいがあったな。お礼に今夜の夕飯は嬢ちゃんの好きなもんを作ってやるよ」
話を聞いて貰った礼と、そして過去ステファンの噂話で稼いでいた罪滅ぼしもあるのだろう。それが夕食のメニュー決定権という点がダヴィトらしい。
この提案にもマリエラは笑みを零し、彼が作る食事で一番好きなビーフシチューを注文しておいた。
便乗してティティまでもデザートにアップルパイを注文している。これに対してダヴィトが「図々しいやつめ」と不満を言うも、林檎の在庫を確認するあたり作る気はあるようだ。
おまけに紅茶のおかわりまで用意し、クッキーの残りがあったはずだと棚を探しだす。
その姿はすっかりと厨房に馴染んでおり『ひとの噂話で日銭を稼ぐ情報屋』の面影はなく、マリエラは微笑みながら料理番が淹れてくれる紅茶のお代わりを受け取った。




