35:料理番のとても不本意な疑惑
リベリオが接触してきたあの夜から二ヵ月。幸い二通目の手紙は届いていない。
「シャレッド家が動いている様子は無いし、リベリオも大人しくビアンカ王女の夫をやってるみたいだ」
「そうなのね、良かった」
「旦那が脅したのが効いたんだろうな。まぁ通常時でさえおっかない旦那にすごまれたんだ、貴族のおぼっちゃまにはたまらないだろ。ビビッて漏らさなかっただけ立派なもんだ」
ケラケラと笑いながら話すダヴィトに、マリエラは応えに迷って肩を竦めるだけに留めた。
場所は厨房。
買い出しから帰ってきたダヴィトとティティを出迎え、彼等と共に食材の整理をしている最中に先程の話を聞かされたのだ。
ダヴィトがリベリオやシャレッド家の動向について調べてくれるのは有難いが、この言葉遣いは問題だ。だが「子供達が真似しちゃう」と改善を訴えるも彼は笑いながら軽く謝罪するだけである。
そんなやりとりの中、静かに野菜の下ごしらえをしていたティティが不意に「ビビって漏らす……」と呟いた。
「ほら、ダヴィトの言葉遣いが悪いからティティが真似しちゃったじゃない! やっぱり教育に悪いわ!」
まったく! とマリエラがふんと怒りを露わにする。
それに対してティティがなんとも言えない表情を浮かべた。
「私は別に真似したわけじゃないけど……」
「あ、そ、そうよね! ごめんなさいね、ティティ。ついうっかりしちゃったわ。でも真似したわけじゃないなら突然どうしたの?」
「どうしたと言うか、ビビって漏らすって聞いて昔のことを思い出して」
「昔?」
いったい昔に何があったのか。
そうマリエラが疑問を抱いて首を傾げれば、ティティの言わんとしている事を察してかダヴィトがはっと息を呑んだ。
それとほぼ同時にティティが彼を見ながら口を開く。
「あの時、ダヴィトはビビって漏らしてたのかなと」
「あの時は確かにビビったが漏らしてはいねぇよ!」
ティティの言葉に、食い気味の勢いでダヴィトが否定する。
その勢いと彼等の会話にマリエラは理解が追い付かず、きょとんと目を丸くさせるしかない。パチパチと数度目を瞬かせ、次いで「えーっと……」と呟いてダヴィトとティティを交互に見る。
「……そういうことなの?」
「俺は漏らしてねぇ」
「……ティティ?」
「あの怖がりようから考えるに、可能性としては有り得なくもない」
真剣な声色のティティの返答に、マリエラは再びダヴィトへと視線をやった。
疑惑を掛けられていることが不服で堪らないのだろう、彼は歯ぎしりせんばかりの表情でティティを睨みつけている。
だがマリエラの視線に気付くと盛大に溜息を吐き、一脚に腰を掛けた。どうやら説明をする気になったようだ。
「嬢ちゃん、話をするからちょっと付き合ってくれ」
「……えぇ、構わないけど」
「あんまり面白くねぇ話だがこのまま変な疑いを掛けられるよりマシだ。ティティ、お前は茶を淹れろ」
「なんで私が」
「俺に変な疑惑を掛けたからだよ!」
ダヴィトが喚けば、ティティが肩を竦めて了承を返した。
それを見てダヴィトが再び盛大な溜息を吐き、それでもと話を始めた。
ロンストーン家の料理番になる前、ダヴィトは『情報屋』として働いていたという。
この話にマリエラは「情報屋?」と首を傾げてしまった。世には色々な職業があるのは知っているが、『情報屋』なんて職業は聞いたことがない。
もしかして国を渡って情報のやりとりをしたり、国からの密命を受けて暗躍する存在なのでは……。とマリエラが問うも、ダヴィトは慌てた様子で否定してきた。
「そんな立派なもんじゃねぇよ。国とは一切関係無い。むしろ立派とは口が裂けても言えないような仕事だ」
「それならどんなことをするの?」
「ゴシップ情報や噂話を掴んで、それを金持ち相手に面白おかしく話すんだよ。そんなのを生業にしてた俺が言う資格は無いが、金持ちってのは悪趣味が多い。金払ってもこういう話を聞きたがるんだ」
特定出来るか否かにぼかした人物の不貞、とある夫婦の離縁の真相、誉れ高い貴族の若かりし頃の火遊びについて。
そんな話を仰々しく語り、金持ち達を喜ばせては報酬を貰っていたのだ。二、三人の太客を掴めば日々の暮らしには困らない。
「受けの良い話は色々とあるが、『怪物辺境伯』の話は特別だったな。貴族の連中はこの話を妙に毛嫌いするが、若い子息令嬢の中には大人に黙って聞き出そうとするやつもいる。逆に商会なんかの金持ち達はこぞって怪物辺境伯の話を聞こうとしてた」
「それって……」
「旦那から怪物返りの話を聞かされて合点がいったよ。貴族の連中からしたらいつ身内から怪物返りが出るか分からないし、面白おかしくは聞けないんだろう。それを知らない若い奴等は禁止されればされるほど興味をそそられる。商会の金持ち共はそもそも怪物返りとは無縁だ」
淡々と話をしてはいるものの、ダヴィトの口調や声色は溜息交じりだ。
ステファンや子供達と共に暮らしている今の彼にとっては、この話を面白おかしく聞く者達や提供する過去の自分に憤りを感じているのだろう。「悪趣味だよな」と吐き捨てるように告げてくる声色には自虐の色が強い。
「悪趣味な仕事だが呆れちまうことに同業者が結構いたんだ。だからもっと面白い話を、誰より早く金になる話を……、とせこい競争になる。その果てに、馬鹿な俺はこの敷地に忍び込んだ」




