33:王子様と怪物辺境伯
「ステファン!」
自分を引き寄せた相手の名を呼んで見上げれば、ステファンが見たこともない険しい表情でリベリオを睨みつけていた。
狼のような顔、金色の瞳、低く聞こえる唸り声。まるで銀色の狼が今まさに食い殺さんとしているかのような迫力だ。更には彼の頭部にある紺青色のツノが月明かりを受けて光り、その迫力を増させている。狼よりも恐ろしく、神聖な生き物のように。
その迫力に気圧されたのか、リベリオが「ひっ」と小さく声をあげてすぐさまマリエラの腕を離した。それだけでは足りないと後退る。
先程までは整った顔に怒りの色を濃くさせていたというのに、今のリベリオの顔は恐怖で青ざめていた。
「か、怪物……!」
「リベリオ・シャレッド。僕の妻に触れないでくれないか」
「来るな、この化け物!」
「来るなも何も、貴殿が勝手に我が家に来たんだろう。マリエラ、もう話は終わっただろう、屋敷に戻ろう」
リベリオに対しては酷く冷めた声色だというのに、マリエラに話しかけるステファンの声は一転して穏やかで優しい。風邪をひきかねないほどの温度差だ。
だがその温度差こそステファンが理性的な証だ。対して、恐怖を露わに顔を青ざめさせるリベリオの情けない事と言ったらない。自ら『怪物辺境伯』の屋敷に来ておいてなんて醜態だろうか。
マリエラは呆れを込めて――そして侮蔑も込めて――リベリオを睨みつけると溜息を吐いた。
次いですぐさまステファンへと向き直るのは、もうリベリオに対して掛ける言葉も無いと態度で訴えるためだ。
「戻りましょうステファン。夜風に当たっていたら少し冷えてきちゃったわ」
「それなら暖かい飲み物を用意するよ。さぁ行こう」
肩に手を置いてステファンが促してくる。優しさと落ち着きのある紳士的な態度だ。
それでいてマリエラの肩を抱くことでマリエラが己の妻である事をリベリオに見せつけている。同時にマリエラもまた彼に寄り添うことで自分がステファンの妻である事を示す。
つまりリベリオに対して『お前が割って入る隙は無い』と二人して訴えているのだ。
顔色を青ざめさせていたリベリオもそれを察したのか、恐怖で歪ませていた顔を今度は怒りで歪ませた。
「俺よりそんな怪物の方が良いって言うのか!? 怪物共に洗脳されたのか!」
「怪物共……?」
リベリオの罵倒はまさに負け犬の遠吠えだ。
だが彼の言葉の一つに引っかかりを覚えてマリエラは足を止めた。『怪物共』と複数形で告げてくる意味は……。
「ステファン、今……」
と隣に居るステファンを見上げようとするも、マリエラの視界に映ったのは彼の背中だった。
まるで風が吹き抜けるかのような早さではないか。隣に居たはずのステファンは瞬きの間に移動してしまい、リベリオに迫るとその勢いのままに彼の胸倉を掴み上げた。
「何を知っている!」
「ひっ……、や、やめ、放せ……!」
「言え! 何を企んでいる! マリエラや僕達に近付いてみろ、ただじゃおかないからな!」
リベリオを問い詰めるステファンの声は唸り声を超えて吠えているかのようだ。
低く怒りを漂わせ、嘘も偽りも、沈黙すらも許さぬと圧を掛けている。マリエラの位置からは見えないが、きっと眼光も鋭く険しい表情をしているのだろう。元より狼のような顔が、今はきっと獣以上の威圧感を醸し出しているはずだ。
そのうえ、ステファンは容赦なくリベリオの胸元を掴んで迫っている。リベリオも高身長の部類に入るのだがステファンには敵わず、哀れ彼は辛うじて爪先だけで地面に立っているような状態だ。それも心許なく爪先は時折地面を掠り、苦しいのだろう次第にリベリオの顔が赤くなっている。
「ス、ステファン! それ以上は駄目よ!」
慌ててステファンの名を呼び、駆け寄ると同時に彼の腕を掴んだ。
もっとも、逞しい腕はマリエラが押さえたところでピクリともしない。
それでも必死になってしがみつくようにして押さえれば、我に返ったのかステファンが小さく息を呑み、リベリオの胸倉を掴んでいた手を放した。自由になったリベリオはドサと音をたててその場に尻もちをつき、首元を押さえて咳き込んでいる。
彼のシャツの襟元が無惨に破けているのは、それほどステファンが強く掴んだからか、あるいは、彼の紺青色の爪が引き裂いたか。
「怒るのは分かるわ、でも落ち着いて」
「マリエラ……」
「冷静になって。ここでリベリオに怪我でもさせたら逆にこっちが不利になるわ」
どれだけ性根が腐っていようが、リベリオは第三王女の夫。それもうまいこと性根を隠して世間では素敵な王子様で通っている。
対してこちらは誰もが恐れる怪物辺境伯と、不正と不貞の果てに王都を追われた夫人だ。
どちらの立場が優位かなど考えずとも分かる。ゆえにここで暴力沙汰にするわけにはいかない。
「私だって引っ叩いて蹴っ飛ばしてやりたい。でも迂闊な行動はつけ入る隙を与えてしまうから駄目よ。『怪物返りが王女の夫君を傷付けた』なんて言い触らされたら子供達も危険にさらされるかもしれないでしょ」
「……そうだな。マリエラの言う通りだ」
どうやらステファンも落ち着きを取り戻してくれたようで、己の胸の内を鎮めるために目を瞑り一度深く息を吐いた。次いで激昂してしまったことを「すまない」と詫びてくる。もちろん詫びの相手はリベリオではなくマリエラなのは言うまでもない。
それに安堵の息を吐き、マリエラはリベリオへと向き直った。彼はいまだ尻もちをついたまま呆然としていたが、マリエラの視線に気付くと慌てて立ち上がった。
青ざめさせた顔を更に引きつらせて、そのうえマリエラが一歩近付くとビクリと肩を震わせ後退る。かなりの怯えようだがそれほどまでに先程のステファンが恐ろしかったのだろう。
「今のステファンの無礼は、貴方が私に対して無礼で恥知らずで厚顔無恥な誘いをした事と相殺しましょう」
「そ、相殺だと……?」
「そうよ。リベリオだって今夜のことを言い触らされたら困るでしょう? たとえ貴方が周囲に都合良く話して誤魔化したとしても、必ずしも全員が信じるとは限らない。貴方がビアンカ王女と結婚した事を羨んで足を引っ張ろうとするひとがいるかもしれないわ」
表面だけ見れば社交界は誰もが上品に振る舞う煌びやかな世界だ。だが蓋を開けば恨み妬みが渦巻いている。
それが第三王女と結婚した子爵家子息となれば猶更だ。
ビアンカ王女はまだ七歳で、同年代の息子を持つ貴族や他国の王族の中には彼女との結婚を狙っていた者も多かったはず。そこを一回り以上離れたリベリオが突如現れて結婚してしまったのだから、横から掻っ攫われたと考える者もいるだろう。
「リベリオを引きずり落として、ビアンカ王女と自分の息子が結婚する。……そんなことを画策する人がいるかもしれないわ。世の中には、王女と結婚するために婚約者を家ごと引きずり落とす男だって居るんだもの」
「それは……」
他でもない自分がマリエラの不貞をでっちあげて婚約を破棄したのだ。「そんなわけがない」とは言い切れず、リベリオの瞳に困惑の色が強く浮かび始める。
それを見て取り、マリエラは「だから」と話を進めた。
「今夜の一件は無かった事にするの。貴方は私に手紙を出さなかった、私達は会わなかった、話をしなかった。もう二度と関わらない。そういうわけだからこれでお終いにしましょう」
リベリオの返事を聞く気もない。もちろん別れの言葉を交わす必要もない。
そう考え、そしてそれを示すように、マリエラは話し終えると踵を返してリベリオに背を向けて歩き出した。もちろんステファンの腕を取りながら。
◆◆◆
屋敷に戻り、扉を閉める。
その瞬間に隣に立つステファンが深く息を吐いたのを聞いて、マリエラはそっと彼の腕を擦った。
「ステファン、大丈夫……?」
「あ、あぁ、大丈夫だ。あんな風に誰かに怒りをぶつける事が今まで無かったから、終わった今もなんだか落ち着かなくて」
話すステファンの声は僅かだが上擦っている。
彼は『怪物辺境伯』とまで呼ばれて恐れられる外見をしているが、根は優しく常に冷静さを失わぬ人格者だ。怒りを抱くことはおろか不満を口にすることも無い。子供達を叱る時でさえ穏やかに諭し、子供達が理解を示すと直ぐに微笑んで頭を撫でてやるような優しさで溢れている。
そんな彼が、リベリオに対して声を荒らげ、そのうえ胸倉を掴んだのだ。慣れない荒事に胸中が落ち着かずにいるのも仕方ない。
「すまない、きみの目の前で暴力をふるってしまった。怖かっただろう?」
「ステファンは私や子供達のために怒ってくれたじゃない。怖くなんてなかったわ」
確かに彼はリベリオを怒鳴りつけて胸倉を掴んだ。それは紛れもなく暴力と言えるだろう。
だが理由もなく暴力をふるったわけではない。リベリオがマリエラに無礼を働き、そして隠していた子供達の存在を匂わせたからだ。
いったいどうしてそれを恐れたりなどするのか。そうマリエラが訴えればステファンが見て分かるほどに安堵した。
「ステファン、もう遅いし寝ましょう。今夜は私が抱きしめてあげる。もしまだ落ち着かないなら子守歌を歌ってあげるわ」
両腕を広げて抱きしめるアピールをすれば、ステファンが穏やかに笑みを零した。
誘われるままにマリエラの腕の中に身を寄せてくる。もっとも、ステファンはマリエラよりも比べるまでもなく背が高く体躯も良い。抱きしめたところで、どちらかと言うとマリエラがしがみついているような体制だ。
それでも身を屈ませて腕の中に収まろうとするステファンが愛おしく、マリエラは彼の頬にそっとキスをしてやった。




