31:元婚約者からの手紙
新しく来た怪物返りの子供の名前も『モニカ』と決まり、五人の大人と六人の子供達で平穏な日常を過ごす。
時折鏡や水面にモニカが見た光景が映し出されて驚きはするものの、今日もモニカが元気な証だと考えると微笑ましくなってくる。むしろ呼ばれている気がして会いに行ってしまうほどだ。
そんな日々の中、買い出しに出ていたティティとダヴィトが何とも言い難い表情で帰ってきた。
「おかえりなさい、二人とも。何かあったの?」
「いや、それが……。嬢ちゃん、悪いんだけど旦那を呼んでくれるか? いや待てよ、これは旦那に伝えて良いのか……」
「ダヴィト?」
「伝えるべきだよな。うん……、でも嬢ちゃん宛なわけだし先に読ませるべきなのか……」
「ダヴィト、ねぇダヴィトってば。……これは駄目だわ。ねぇティティ、どうしたの?」
ダヴィトは考え込んでいて話が進まないと判断し、改めてティティに問う。
彼女もまた難しい表情をしていたものの、あっさりと「手紙を渡された」と返してきた。
「手紙? 私宛なの?」
「マリエラ宛の手紙だよ。差出人はリベリオ・シャレッド」
「……え?」
ティティが口にした名前に、マリエラは信じられないと疑問の声を漏らした。
かつての婚約者リベリオからの手紙。
曰く、買い出しの最中に見知らぬ男からマリエラに渡すように託されたという。それも周囲に紛れ込むように声を掛けてきて、渡すとすぐさま去ってしまったという。男の特徴を聞くにリベリオ本人では無いようだ。
説明と共にティティが白い封筒を渡してくるが、差出人はおろか宛名も無く、シャレッド家の家紋すらも見当たらない。未使用だと思われかねないほどだ。
「リベリオが私に……」
「いくら怪物辺境伯の屋敷だって郵便物はちゃんと届く。それなのにわざわざ私達に渡すあたり、周囲に知られたくない内容なんだろうね。読むのが嫌なら捨てるなり燃やすなりするけど」
「大丈夫、読むわ。ルーニー、ステファンが執務室に居るはずだから呼んできてくれるかしら」
ルーニーに頼めば、彼女は事態の深刻さこそ理解しきれていないものの「分かった」と返して執務室へと向かっていった。
「多分読み終わったら凄く気分が悪くなるから、ダヴィトは何か美味しい物を用意しておいて」
「それなら任せてくれ、パイと紅茶を用意しておいてやるよ」
「ティティはいつでも炎を出せる準備をしておいて。内容次第では読み終わったら即燃やしましょう」
「了解。マリエラが望むなら塵すら残さないほどに燃やしてみせるよ」
読み終えた後は、美味しいパイと紅茶を堪能しつつ手紙が燃える様を眺める。これでどんな内容の手紙であっても大丈夫だ。
そう考え、マリエラは封筒を睨みつけた。
ステファンも合流し、彼に見守られつつ手紙を読む。
封筒に綴られているのは間違いなくリベリオの字だ。もっとも、文字こそ紛れもなく彼のものだが便箋にも名前は書かれていない。
そのうえ、己の正体を薄々察せる程度の内容ではあるが、明確に彼だと断言できる情報は出してこない。リベリオからの手紙ではあるものの、かといってその証明は出来ない。そんな絶妙な文面だ。
あまりに慎重すぎるが、それもそのはず、手紙の内容はマリエラの現状を案じ、そして再会を望んでいるのだ。
日時は三日後の夜、場所はロンストーン家の門の外。自分も一人で行くので、マリエラもステファンに知られないよう一人で外に出てきてくれと書かれている。
「これって秘密の逢瀬のお誘いってこと?」
「そうだろうな……。名乗らないのは仮に知られた場合、自分ではないと白を切るためだろう。この文面ならいざという時に言い逃れができる」
「あの男、どこまで私を馬鹿にすれば気が済むの! こんな手紙すぐに燃やして……、でも、待って」
燃やしてやる! と意気込んだものの、マリエラはすぐさま己を落ち着かせた。ーーちなみに、「燃やしてやる」と言いかけた瞬間、ティティが待ってましたと右手を炎に変え、そしてマリエラが待ったをかけると残念そうに手を戻したーー
「ここの文面『きみを怪物達の根城から救い出したい』って書いてある。怪物達って……」
「僕だけのことを示すなら『怪物の根城』か『怪物辺境伯の根城』と書くだろうな。複数形ということは子供達の事が知られている可能性が高い」
「そんな……。どうして?」
「王族や貴族に関わる医療関係者には、僕が怪物返りの子供を保護する事を伝えてあるんだ。もしも怪物返りが生まれた場合、僕のところに連れて来る手筈になっている」
「だからモニカがうちに来られたのね。でも、それをリベリオが知ってしまった」
「医療関係者も怪物返りを産んだ家も、このことはけして他言しないんだが……」
どの家も、ステファンが怪物返りを保護していると知ってもその話を広めたり利用したりはしない。そもそも怪物返り自体が社交界ではタブーとされているのだ。
話す相手が実は怪物返りを産んでいたかもしれないし、不用意に話したことで自家から怪物返りが生まれたと勘繰られる恐れもある。ゆえに誰もが口にしない。
医者も同様。みだりに話題に出して『口の軽い医者』と思われたら職を失う恐れがある。
ゆえに社交界では『怪物返り』自体が禁句とされており、更に『怪物返りを保護する怪物辺境伯』については、誰も発していないが何より重い緘口令とされていた。
だがシャレッド家だけは別だ。
長い歴史において一人として怪物返りを産んでいない家、そのうえ第三王女との結婚を果たしたことで地位は飛躍した。
それがリベリオを傲慢にし、社交界のタブーを破らせたのだろう。それでいて手紙の文面だけでは己を特定できないようにしているところが姑息だ。
「リベリオの事だから、何か企んでいるはずだわ。そもそも私に会って何をするつもりなのかしら」
「怪物返りについて聞き出すつもりか、もしくは怪物返りの過去を捏造したことをリベリオ・シャレッドも知っていて口止めするつもりか。あるいは、王女との結婚のためとはいえ濡れ衣を着せたことを謝罪」
「無いわね」
ステファンが挙げた可能性をマリエラはあっさりと一刀両断した。最後まで言い切らせぬ食い気味の否定だ。
これには面食らったのだろうステファンも目を丸くさせており、「そこまで否定しなくても……」となぜか若干リベリオに同情めいたことを呟いていた。もっとも、マリエラはこれにも「そこまで否定するわよ!」と反論したのだが。
「王女様との結婚を取るために濡れ衣を着せられたのよ。それを謝罪の可能性を否定するぐらいで許してやってるんだから感謝して欲しいぐらいだわ。本当はもっとけちょんけちょんに言ってやりたいんだから!」
「マリエラの気持ちを考えればそうか」
「そうよ。貴族の夫人がけっして口にしないような暴言だって言ってやりたいわ。でも子供達がどこで聞いてるか分からないから言わないでおくの。あの子達、すぐに言葉を覚えて真似するでしょう」
大人として言葉遣いは気をつけねばならない。だからリベリオに対しての暴言は我慢して、謝罪の可能性を一刀両断するだけに留めるのだ。
そうマリエラが得意げに語れば、ステファンがクツクツと笑みを零した。楽しくて笑いたいが、話題が元婚約者についてなだけに笑ってはいけないとも考えているのだろう。もっとも、笑うのを堪えてはいるものの彼の肩は揺れており、それどころか全身の銀色の毛がふわりふわりと揺れているのだが。
そんなステファンをマリエラは一度じろりと睨みつけた。だがここで指摘をしても話は進まないと考え「それで」と話題を改める。
「思惑の内容は分からないけど、リベリオが何か企んでいるのは明白よね。いっそ会って話を聞き出してみようかしら」
「危なくないか? もしもきみに何かあったら……」
「大丈夫よ。それにリベリオと話すのは私一人だけだけど、ステファンには気付かれないようにそばに居て欲しいの。良いかしら?」
「もちろんだ。何かあれば直ぐに守りに行ける距離に居るよ」
案じてくるステファンの気持ちが嬉しく、マリエラは微笑んで彼に返した。
ステファンが側に居てくれる。彼自身が『守る』と言ってくれた。それなら何も不安は無い。




