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03:怪物辺境伯の屋敷へ

 


 緩やかに走る馬車の中で、マリエラは流れていく窓の外の景色を一人眺めていた。


 背の高い建物や豪華な屋敷は殆どなく、平屋や二階建ての一般的な家屋が並び、家と家との距離が広く間に田畑や農場が挟まる。牛や羊と言った動物の姿もちらほらと見られ、浅い川を通りがかった時には小さな子供達が下着同然の姿で楽し気に水をかけあっていた。

 長閑で美しい、まさに『田舎』と言える景色だ。建物も人もひしめきあい目まぐるしかった王都の面影は既に無いない。


 王都にあるミゼラ家の屋敷を出て、馬車に揺られること数日。

 両親とは途中まで一緒に馬車に乗っていたが、今朝方ついに別々の馬車に乗って別れてしまった。客車にはマリエラが一人だけ、それが妙に静けさを感じさせる。

 仕方ないとはいえ寂しさはあり、無意識にマリエラの口から深い溜息が漏れた。


「ステファン・ロンストーン様……」


 ポツリと呟き、手にしていた手紙に視線を落とす。

 マリエラへの結婚の申し込み。それを見て、マリエラが勢いのままに了承したのが二カ月ほど前。

 その結果、両親が住まいを移すのと同じタイミングでマリエラもステファンのもとへ向かうことになり今に至る。

 己で決めた事とは言え、あっという間では無いか。今更だが勢いに任せ過ぎた気もしてくる。


「自棄とも言えるかしら。でもこういうのって勢いが大事よね。このタイミングで手紙を貰ったっていうのも考えようによっては運命とも言えるかもしれないし。……でも相手は怪物辺境伯」


 一瞬前向きになりつつも、すぐさまマリエラは眉根を寄せて手紙を見つめた。

 書かれているのは間違いなく『ステファン・ロンストーン』の名前。……そして、その名は世間では『怪物辺境伯』とも呼ばれている。



『怪物辺境伯』こと、ステファン・ロンストーン。

 ロンストーン伯爵家の出でありながらも家族や親族とは一切交流せず、たった一人国境の森の中に住んでいるという。そもそも『辺境伯』と呼ばれているのはステファンだけで、他のロンストーン家の者達は一伯爵家であり、辺境の地にも居ない。

 親族はおろか他家の者とも、それどころか領地の者達とも交流を持たないというのだから謎多き人物だ。誰も彼のことを詳しく、どころか、浅くすらも知らない。


 噂によると、ステファンの出生は公表されておらず、彼のことを知る者はロンストーン家の一部の者達のみだったという。

 それがどういうわけか、今からちょうど十年前、ステファンが十二歳の時に彼は自ら世間に名乗りを上げ、かと思えば国境にある森の中に屋敷を構え、そこで外部との繋がりを遮断してひっそりと暮らし始めたのだという。

 自ら存在を公表した割には世間との繋がりを遮断しているのも不思議な話だが、そこまでしておいて己の姿をひた隠しにしているというのもまた不思議な話だ。

 だがロンストーン家の者達が認めたのだから、ステファンの存在自体は真実である。


「嫁ぐと決めた身でこういうのもなんだけど、分からないことばっかりね。どんなひとなのかしら、……怖い人じゃないと良いんだけれど」


 領地の管理をしてはいるらしいが、領民でさえステファンの姿を見た者が居ないというのだから怪談めいた恐ろしさすら感じてしまう。

 噂では『強く狂暴ゆえに辺境の地に追いやられた』だの『森の中に根城を構えて獣たちを従わせている』だのと言われており、彼の姿をたまたま見てしまった者はその恐ろしさに震え上がり悲鳴をあげたという……。

 そこからついた異名が『怪物辺境伯』である。


 今まで聞いてきた噂話を思い出し、マリエラはふるりと体を震わせた。思い返せばどれも謎に満ちた恐ろしくものばかりではないか……。

 いまからそんな人物に会いに、それどころか結婚しに行くのだ。やはり早まった決断だったかもしれない。


「……で、でも、手紙は紳士的だったのよね」


 気を取り直すように便箋を開けば、そこには綺麗な文字が綴られている。文面も礼節を重んじており、些か堅苦しさを感じてしまうが書き手の真摯な人格が見えてきそうだ。

 突然の手紙を詫び、今回の件とマリエラの境遇を労わり、そして結婚を願い出る。そこに格下の子爵家に対するような威圧感は無く、むしろ丁寧過ぎるぐらいだった。

 そこからは怪物めいた印象は感じられず、マリエラは文面に後押しされ「これも縁だわ」と結婚に応じる旨の返答を出したのだ。


「縁……。そうよ、これはきっと良縁よ。それに『怪物辺境伯』って言っても、どうせただ人見知りなだけで、見た目もちょっと厳つかったり強面なだけに決まってるわ」


『姿を隠して生活している』と言われているが、きっとステファンは内向的な性格で、社交の場に出ることを嫌っている程度だろう。もしかしたら辺境伯としての仕事が多忙で、たんに社交の場に出る暇が無いだけかもしれない。

 その姿だって『恐ろしい』だの『悍ましい』だの噂されているが、偶然彼を見た者が過剰に騒いだだけに違いない。大袈裟な話に尾鰭がつき、面白おかしく、もとい、恐ろしく悍ましく脚色され、怪物とまで言われるようになったのだ。

 異名なんてそんなものだ。


「見た目はちょっと怖いかもしれないけど、手紙は知的で紳士的だわ。素敵なギャップじゃない。きっと大丈夫よ!」


 そう自分に言い聞かせ、マリエラは不安が解消されていくのを感じながら窓の外を眺めた。

 遠くに鬱蒼と生い茂る森が見えてくる。そこが『怪物辺境伯』ことステファンの住まいだ。



 ◆◆◆


 馬車は森の中を進み、ロンストーン家の門の前で停まった。

 御者が到着を告げ、扉を開けるとマリエラに馬車から降りるように促してくる。


「昨晩は雨が降ったようで、地面が少しぬかるんでおります。どうかお気をつけて」

「え、えぇ……。本当に森の中なのね」


 外に出て足を地面につけた瞬間、靴越しに伝わってくるのは水を吸った土の緩さ。王都の舗装された道が足に馴染んでいたマリエラにとっては慣れぬ感触だ。

 いや、慣れぬのは地面の感触だけではない。見渡す限り、それどころか空すらも覆うほどに生い茂った木々も、昨晩の雨の名残りか妙にひやりとした冷たい森の空気も、草木の香りも、なにもかもが慣れない。それらすべてに『森の中にいる』と実感させられる。

 背後を振り返れば荘厳な門が構えている。その奥には広い庭と一軒の屋敷。森の中に似合った厳かな造りである。


「以前はロンストーン家の別荘として使っていたそうです。だから森の中なのでしょう」

「そうね……。すぐには慣れないかもしれないけど、自然に囲まれる生活もきっと悪くないわ」


 マリエラが明るい声で返せば、御者も微笑んで返してくれた。……もっとも、その笑みは弱々しく、無理して取り繕ったのが分かる痛々しいものなのだが。

 御者は元々ミゼラ家に仕えている壮年の男性で、幼少時からマリエラのことを可愛がってくれていた。彼にとって、娘のように成長を見守っていたマリエラが不貞の疑惑を掛けられた事、そしてよりにもよって『怪物辺境伯』に嫁ぐ事が悲しくて仕方ないのだろう。


「マリエラお嬢様、なにも出来ず申し訳ありません……。ミゼラ家には長くお世話になっているのに、あんな根も葉もない噂を払拭することも出来ず。己が不甲斐ないばかりです」

「そんな、謝らないで。お父様とお母様と一緒に住まいを移してくれるんでしょう? それだけで充分よ。二人のことをよろしくね」

「もちろんお任せください。お嬢様も、なにかありましたら直ぐにご連絡ください。なにがあろうと必ずお迎えに参ります」

「ありがとう。あんな噂、すぐに払拭されてお父様達も王都に戻って来られるはずよ。そうしたら正々堂々、王都中を馬車で回って噂を信じていた人たちの鼻を明かしてやりましょう」


 マリエラが冗談めかして告げれば御者も苦笑を浮かべた。「シャレッド家の周りを何周もしてやりましょう」と冗談に乗って返してくれるあたり、少しは彼の気持ちも晴れただろうか。

 もちろんマリエラの胸にだって御者と別れる寂しさはある。とりわけここが森の中なので置いていかれるような気分だ。

 だがそれを表に出してはいけない。そう自分に言い聞かせて、名残惜しそうに馬車を走らせて去っていく御者を見送った。




次話は21:20更新予定です。

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