27:お休み前のひととき
書庫での説明を終えて、再び寝室へと戻る。就寝の準備は既に終えていたのであとは眠るだけだ。
ベッドは大きく、通常の男性よりも体躯の良いステファンが寝転がっても優に余裕がある。そこにマリエラが加わってもまだ一人程度なら入れるだろう。
それでもマリエラがぴったりとくっつけば、ステファンが片腕を貸してくれた。彼の太く逞しい腕に頭を置く。
「おやすみなさい、ステファン」
「あぁ、おやすみ」
就寝の言葉を最後に、室内がシンと静まる。
睡魔が緩やかに訪れるのを感じて、マリエラは目を瞑りながら意識が眠りに溶けていくのを待ち……、
「マリエラ、ありがとう」
小さく呟かれたステファンの声に、閉じていた目をパチと開けた。
「ステファン、どうしたの?」
「あっ……、すまない、起こしてしまったか。もう寝たと思ったんだが」
「寝ようとしてたけど貴方の声が聞こえてから……。どうして私に感謝したの?」
明かりを落とした部屋は真っ暗で、ステファンの顔はぼんやりとしか見えない。
それでも彼の顔をじっと見つめて問えば、彼が「実は」と話し出した。
「シャレッド家については前々から気付いてはいたんだ。だが気付いてはいても行動する気にはなれずにいた」
「どうして? あんな家が一人勝ちなんて腹立つじゃない。私、今目の前にリベリオが居たら引っ叩いちゃうかも」
「憤る気持ちはわかるよ。もちろん、神返りを怪物返りに貶めたシャレッド家を許す気はない。……だけど、誰が僕達の話を信じてくれるのか、公表して世間が事実を知ってどうなるのか、そんな疑問が常にあったんだ」
事実を公表して怪物返りが神返りに戻れたとして、ステファン達の外見が変わるわけではない。
全身を覆う銀色の毛、狼のような顔。頭部には紺青色の角。手は成人男性のものよりも一回り近く大きく、太い指の先には角と同色の爪。衣類を纏って紳士的な振る舞いをしたとしても、その姿は人間とは言い難い。他の子供達も同様だ。
周囲からの評価は変わるかもしれない。だが、どう変わるかは分からない。
「全てを公表して、神返りと呼ばれるようになって、それでも周囲から畏怖の視線で見られたら。むしろ公表して子供達が好奇の目に晒されたら……。処分される怪物返りは減るだろうけど、子供達の能力を奪おうとする者が出るかもしれない。それどころか、能力があると知ったら生まれた怪物返りの子供を売りに出す家が増えるかもしれない」
嫌な予想が渦巻いているのか、次第にステファンの口調が早まっていく。心なしか呼吸も荒い。
彼自身、怪物返りとして生まれたがゆえに両親に売られかけていたのだ。
そんなステファンに対して「考え過ぎ」だの「そんなことあるわけない」だのとは言えない。
抱いている辛さはマリエラでは想像も出来ないもののはずだ。
だけど、と考え、マリエラはそっと彼の胸元に手を添えた。
「私、貴方の辛さに対して『気持ちはわかる』とは言えないわ。どれだけ辛いのか、苦しんできたのか、簡単に想像出来るものじゃないと思ってる……。だけど寄り添うことは出来るって信じてる」
「ありがとう。マリエラのその前向きな性格が僕に勇気をくれるんだ。……実を言うと、きみに結婚を申し込んだのは同じようにシャレッド家に陥れられたからなんだ」
「シャレッド家に……、それって、私がリベリオに婚約を破談にされたから? だから結婚を申し込んできたの?」
「同じような境遇に思えて。だから事情を説明したら、僕達を受け入れてくれるかもしれないと考えたんだ」
神返りから怪物返りに陥れられたように、根も葉もない噂を広められて不貞の女に陥れられた子爵家令嬢。
同じシャレッド家の繁栄のために利用された身。そんな彼女ならば、同じ境遇の自分達を受け入れてくれるかもしれない。
期待というには随分と後ろ向きな考えではないか。
「それで私に結婚の申し出を送ってきたのね。私、ステファンのことは噂でしか知らないからビックリしちゃった」
「驚かせてすまない……。今になってみると、我ながら強引で後ろ向きな考えだと思うよ。だけどマリエラはそんな僕の考えを他所に、僕が事情を話す前に受け入れてくれた」
初めて顔を合わせたあの日、マリエラはステファンの人ならざる姿に驚き、自室に籠ってしまった。
だが籠ってすぐに『三日で部屋から出て向き合う』と約束した。そして実際には二日で部屋から出てきてしまったのだ。
まだ見慣れないステファンの姿に対しても部分的に見慣れていけば良いと提案し、その提案の通り、一月どころか半月足らずで彼の姿に慣れていった。子供達に至っては慣れるどころか出会ってすぐに受け入れている。
「それが凄く嬉しくて、僕に前向きな期待を抱かせた。マリエラのような、僕達を受け入れてくれるひとが他にもいるかもしれない。話を聞いて、僕達のこの姿を正面から見て、話しかけて微笑んでくれる……、そんな人が。その可能性を考えたら行動に移してみようと思えたんだ」
胸の内を語るステファンの口調は落ち着いており、穏やかだがはっきりとした強い意志が感じられる。
そうして最後に「きみのおかげだ」と改めてマリエラに感謝を告げてきた。部屋が暗くて見えないがきっと微笑んでいるのだろう。触れている手から、彼の纏う空気から、柔らかな彼の笑みが想像できる。
その温かさに当てられ、マリエラもまた微笑んで返した。もとより彼の体に寄り添っていたが、それだけでは足りないと更に身を寄せる。
「私以外にもステファンを受け入れてくれるひとは絶対に居るわ。だって、ステファンはこんなに素敵なんだもの」
「マリエラ……」
「あっ! でも皆がステファンが素敵だって事に気付いて、私から奪おうとしたらどうしよう!」
そっちの可能性があった! とマリエラは焦りを抱いて慌てて身を起こした。
確かにステファンは『怪物辺境伯』と呼ばれて恐れられる外見をしている。彼の事を知らぬ者からしたら、人とも獣とも言えぬ姿は恐怖でしかない。
だがステファンの事を深く知ればその魅力に気付くはずだ。優しさや実直さ、奥手ながらに想いを伝えてくる情熱さ。博識で真面目で、それでいて時には冗談を言うユーモアな一面も持ち合わせている。それらに惹かれないわけがない。
そして彼の魅力的な内面を知れば、同時に、人ならざる外見も魅力的に見えてくるのだ。
狼のような横顔は凛として麗しく、意外と表情は豊かだ。紺青色のツノは光を浴びると輝いて王冠を彷彿とさせる。
強固な爪を持つ大きな手は一見すると狂暴そうに見えるが、実際には狂暴どころかガラス細工を扱うかのように丁寧に触れてくれる。そのくすぐったさと言ったらない。
「ステファンの魅力を知ったらみんな貴方と結婚したがるわ。この屋敷に未婚の令嬢が殺到するかも……。でも私、負けない!」
「落ち着いてくれマリエラ、興奮すると眠れなくなるだろう」
まるで寝ない子供を宥めるかのようなステファンの言葉に、拳を握って闘志を燃やしかけていたマリエラははたと我に返った。
「やだ、興奮しちゃった」と誤魔化しつつ再びベッドに身を横たえる。ステファンの腕にポスンと頭を置けば、大きな手がそっと髪を掬って宥めてくれた。
「興奮しちゃったけど、でも私、本気で心配なのよ? それぐらいステファンが魅力的ってことよ」
「それを言うなら僕だって心配だ。シャレッド家の悪事を暴けばマリエラの悪評が撤回される。きっと多くの男達がきみと結婚すれば良かったと後悔するだろう。中には奪いに来る者もいるかもしれない」
深刻な声色でステファンが話し、更には「もちろん誰にも奪わせたりしない」と断言した。
先程のマリエラの発言と同じだ。意気込んで起き上がり拳を握りこそしないものの、それと同等の決意が口調と声から伝わってくる。
ステファンの話に、マリエラはほぅと吐息を漏らして小さく彼の名を呟き……、
そして次の瞬間、耐え切れないと笑い出した。
ほぼ同じタイミングでステファンも我慢の限界がきたのが声をあげて笑う。
「ステファンってば、何を言ってるの」
「何って、きみが言い出したんだぞ」
「だからって、こんなに笑ったら眠れなくなっちゃうわ。明日は朝から皆でぬいぐるみを洗濯するのに」
笑いながらマリエラが涙ぐんだ目尻をそっと指で拭った。
「もうこの話は終わりにしよう。そろそろ寝ないと、子供達の夜更かしを怒れなくなる」
「そうね。今夜は楽しい夢を見れそう。おやすみ、ステファン」
改めて就寝の挨拶を告げる。
それに対してステファンもまた言葉を返してくれた。……マリエラの額にキスをしながら。
なんて甘くて心地良いのだろうか。まさに夢心地といった感覚に酔いしれながら、マリエラはゆっくりと目を瞑った。
もしもステファンの魅力が知れ渡って彼を狙う女性が現れても、誰にも渡したりしない。
もしも自分の無実が知れ渡って狙う男性が現れても、誰にも奪われたりなんかしない。
そう考えれば『お似合い』という単語が頭に浮かび、マリエラは眠りに落ちる直前に一度小さく笑みを零した。




