26:『神返り』から『怪物返り』へ
「僕達のような『怪物返り』はかつては『神返り』と呼ばれていたらしい」
「そんな、怪物と神様じゃ全然違うじゃない。それにどの本にも怪物返り、いえ、神返りは神聖なものだって書いてある」
記述によれば、怪物返り改め神返りは神聖な存在であり、国や土地に繁栄をもたらすのだという。
枯れた土地には雨を降らし、飢えた土地には田畑の恵みを与え、雪に覆われ凍える土地は炎で温める。救いの手とさえ言える能力を持つその存在に対して、敬意と感謝を込めて名付けたのが『神返り』だ。
神返りが生まれると、その家系はもちろん、誰もが諸手を挙げて喜んでいた。
だが今はどうだ?
『神返り』の名は廃れ『怪物返り』と悪名に変わり、神聖視どころか忌み嫌われる。
挙げ句、生まれた直後に命を奪われ存在すら消されているのだ。かつてとはいえ神を絡めて呼んだ者達への扱いとは思えない。
「どうして今はこんな事になってるの? なにがあったの? これじゃあ真逆じゃない」
「落ち着いてくれマリエラ。実際に『何かがあった』というわけじゃない。はっきりした確証はまだ掴めていないんだが……、数百年の長い時間をかけて『神返り』は『怪物返り』に変えられたんだと僕は考えている」
「時間を掛けてって、でもなんで? 誰がそんなことを」
「……シャレッド家だ」
唸るような声色で、ステファンが覚えのある家の名を口にした。
シャレッド家。リベリオ・シャレッドの生家。歴史ある子爵家であり、過去一度として怪物返りを出していない唯一の血筋だ。
それはつまり、長い歴史において一度として『繁栄をもたらす神返り』を産んでいないという事になる。
「歴史書によると、『神返り』と呼ばれていた時代では『神返り』が生まれた家は賞賛されていた。名誉的なものだったのだろう。実際、生まれた神返りが国の危機を救い、それにより権威を与えられた家もあるという」
「この本には神返りが国家規模に発展しかねない飢饉を救い、王家から名誉ある称号を与えられたって書いてあるわ。田畑に恵みを与える……、ルーニーも同じことができるわね」
ルーニーは土いじりが好きで、庭や畑の手入れをよく手伝っている。
晴れた日には花壇の縁に座ってのんびりと過ごし、庭や花壇に水をやる際には草花に話しかけている。
「以前に、枯れかけた花をルーニーが世話したら翌日には綺麗に咲いてたの。似たようなことが何度かあったし、畑の手伝いも、ルーニーが植えたところは特に野菜が実ってた」
てっきりルーニーが小まめに世話をしていたからだと思っていたが、どうやら神返りの能力だったらしい。
いまでこそ規模は屋敷の敷地内だけに留まっているが、ルーニーが大人になれば効果は強くなり、広大な土地を豊かにする事も可能になるのだという。
かつて彼女と同じ能力を持った者は、その能力と貢献を高く評価されていたのだろう。
……かつての、まだ『神返り』とされていた頃の話だが。
「他所の家は神返りが生まれて賞賛を得ているのに、自分の家には一人として生まれない。シャレッド家からしたら面白くない話だろう」
「だから神返りを怪物返りに変えたの? でも、そんなこと……」
「呆れてしまうが、あの家系が昔から情報操作に長けているのは事実だ。強い伝手があるのか、代々その方法を受け継いでいるのかは分からないが、怪物返りの能力より厄介だ。……マリエラ、きみも覚えがあるだろう」
ステファンに問われ、マリエラは一瞬だが言葉を詰まらせた。
「あ、」と掠れた声が自分の口から漏れる。それと同時に、あの忌々しい婚約破棄の日の記憶が一気に蘇った。
『マリエラ、きみとの婚約は破棄させてもらう』
一方的な言葉から続く、覚えのない悪事の羅列。
違法に領民から税を取り立て、そのうえマリエラは領内の男性と不貞を働いている……と。覚えがないと訴えたがリベリオは話を聞かず、挙げ句に証人として呼ばれた男は、リベリオの言いなりのようにマリエラの不貞を証言していた。
悪評はあっという間に社交界中に広がり、マリエラや両親が無実を訴えても信じて貰えない。結局、今日に至るまで撤回できずにいる。
幸い、両親は縁のある田舎に住まいを移して穏やかに生活出来ているらしいが、それだって王都では散々な言われようだ。
「神返りを怪物返りに変えたシャレッド家なら、ミゼラ家の悪評を広めるぐらい造作ないことだろう」
「そんな……。でもどうして、きちんと説明してくれれば破談にする事も出来たのに」
マリエラとリベリオは幼少時から結婚が決まっており、順当に婚約まで進めていた。正式な結婚まであと僅か、世間からしたら円満な二人だった。ー―今となっては「あんな男と結婚しなくて良かった!危なかったわ!」と喜ぶところだが、それはさておき――
だがけして二人の間に恋愛感情があったわけではない。少なくともマリエラはリベリオの微笑みを前に胸をときめかせることも無ければ、彼の隣に座って微睡むような心地良さを覚えたこともない。
ステファンと出会ったからこそ、リベリオとの関係が恋愛ではなかったとはっきりと断言できる。
だからこそ、仮にリベリオを始めシャレッド家の者達が正式に婚約解消を申し込んでくれば応じていただろう。相手が王女だというのなら尚更だ。良縁を得られて良かったと祝福さえしたかもしれない。
そうマリエラが話すも、ステファンは何とも言い難い表情でゆっくりと首を横に振った。
「それだときっと体裁が悪いと考えたんだろう。長く懇意にしていた家との婚約を蹴って、王女との縁談を取った。周囲も納得はするだろうが誰だって陰口の一つや二つは叩く。それよりも被害者側に回った方が世間体が良い」
「……そのために、ミゼラ家が加害者側に仕立てられたのね。情報を操って、評価を反転させて……。神返りが一度も生まれないシャレッド家が、怪物返りを一度として産んでいないシャレッド家になるみたいに」
嫌悪を込めてマリエラが語ればステファンの表情が渋くなった。
人ではない顔立ち。それでも彼の顔に嫌悪と怒りが宿っているのが分かる。全身を覆う銀色の毛がサァと微かに逆立ったのが空気で分かった。
「過去も今も、シャレッド家が行ったという証拠はまだ掴めていない。だが必ず掴むと約束する。だからもう少しだけ待っていてほしい」
「ステファン……」
彼の言葉には強い意志が感じられる。口にして宣言することで己を奮い立たせてもいるのだろう。
ならばとマリエラは彼の手を掴み、「分かったわ」とはっきりと返した。
「私、ステファンを信じてる」
真っすぐに彼を見つめて告げれば、ステファンの金色の瞳が嬉しそうに細められた。




