23:元婚約者の結婚
いくら森の中の屋敷に籠っているとはいえ、外部との接触を一切遮断して生きていくのは不可能だ。
特に食材や生活品の調達。畑はあるとはいえ自給自足できるほどのものではないし、衣類や生活必需品、それに子供達の遊具や勉強道具は外に行かなければ手に入らない。
つまり買い出し。これはダヴィトとティティが担っている。
数日に一度、彼等は森を抜けてしばらく進んだ先にある街まで買いに行く。元々大人四人のところにマリエラが加わり、更に子供が五人ともなれば食材も生活品もかなりの量だ。台車を引いていくか、時には馬を借りることもあるという。
「マリエラも興味があるなら行ってみると良い」
そう告げられたのは、買い出しの日の昼過ぎ。
子供達は家の二階でお昼寝をしており、シエナがそれを見守っている。寝かしつけまで手伝っていたマリエラは休憩がてらステファンの執務室で本を読んでいた。
彼は仕事中で真剣な顔付きで書類を眺めている。だが時々ふと顔を上げてマリエラを見つめてくるし、マリエラもまた読書の途中で声を掛けるでもなくステファンを見つめていた。偶然タイミングが合って視線が合うと互いに微笑み合う、穏やかな時間だ。
そんな最中に他愛もない会話が始まり、先程のステファンの言葉である。
「街と言っても大きくはないし店も少ないが、気晴らしにはなるはずだ」
「気晴らし……」
「距離があるから馬車を呼んだ方が良いかな。喫茶店もあるらしいから、ティティとお茶をしてきても良いかもしれない」
ステファンの話に、マリエラは「そうねぇ」としばし考え込んだ。
買物は好きだ。ミゼラ家に居た時はよく侍女を連れて街へと買い物に行ったし、両親と旅行に行った時は景色よりもその土地のお店を見て回る方が楽しかった。
華やかなショーウィンドウ、目まぐるしく変わる新商品、土地に根付いた物産品。それらを眺めて歩いているとあっという間に時間が過ぎてしまう。逆にドレスやアクセサリーの仕立屋が家に来ることもあり、自分だけの一着に胸を弾ませたのも覚えている。
もちろん喫茶店でお茶をするのも大好きだった。
だけど……、
「確かに買物は好きだけど、今は屋敷に居る方が好きだから良いの」
マリエラがはっきりと返せば、ステファンが金色の瞳を丸くさせた。
意外だと言いたげな表情だ。相変わらず、狼のような顔立ちの割には感情が分かりやすい。
「あまり面白いところじゃないと思うが」
「そんなこと無いわ。子供達と遊ぶのは楽しいし、本も読み切れないほどあるじゃない。なにより、ステファンと一緒に居たいの」
穏やかに微笑んで告げれば、ステファンが僅かに言葉を詰まらせ……、そして穏やかに「そうか」と返してきた。
嬉しそうな声。表情も分かりやすいが、声はより分かりやすい。優しくて誠実で少し照れ屋で不器用、そんな性格が隠しようもないほどに口調や声色から伝わってくる。いったいどうして、そんな彼が怪物辺境伯などと呼ばれて恐れられていたのだろうか。
「それなら、せっかくだしお茶にしようか。僕が淹れるよ」
手にしていた書類を机に置いてステファンが立ち上がる。
それに合わせて、マリエラは「私も淹れるわ!」と彼に倣うように立ちあがった。
ステファンと並んで彼の執務室を出る。そんな事すらも彼と一緒なら嬉しいのだ。歩幅を合わせてくれる優しさ、そっと触れてくる手の暖かさ。握り返すと照れ臭そうに笑う不器用なところ、何もかもが愛おしい。
だから、買い出しから帰ってきたダヴィトが伝えてきた話には悲しまなかった。
「……リベリオが、ビアンカ王女と結婚?」
流石に驚きはしたけれど。
◆◆◆
リベリオ・シャレッドとは幼少時から結婚が決まっていた。まだ恋愛のれの字も知らぬ頃からだ。
マリエラの生家であるミゼラ家とシャレッド家は昔から懇意にしており、互いに年頃の男女が居たらと考えていたらしい。
リベリオはシャレッド家の嫡男であり、マリエラはミゼラ家の三女。年齢はリベリオの方が四つ年上。幼い頃から頻繁に顔を合わせていた為、関係も悪くはなかった。少なくともマリエラはそう考えていた。
そんなリベリオが先日結婚したという。
相手はビアンカ・ミルトレイ、我が国の第三王女だ。子爵家からしたらこれ以上ない程の縁談である。
「でも、ビアンカ王女は七歳になったばかりでしょう?」
信じられないと言いたげにマリエラが疑問を口にすれば、話をもってきたダヴィトが頷いて返してきた。
ティティは知らなかったようで「七歳!?」とぎょっとしており、ステファンとシエナは何とも言い難い表情で顔を見合わせている。
だがマリエラが口にした通り、ビアンカ・ミルトレイは七歳になったばかりの幼い少女だ。
対してリベリオは今年で二十二歳になる。二人の年齢差は十五歳、ビアンカの年齢の倍以上だ。
政略結婚が蔓延る社交界において年齢差のある結婚は珍しくはないが、さすがにこの差は世間も首を傾げるだろう。
「話によると、ビアンカ王女がリベリオ・シャレッドに相当惚れ込んでいるらしい。噂では昔から『王子様』なんて呼んでいたらしいぜ」
「王子様……」
リベリオ・シャレッドは見目が良く、確かに『王子様』といった風貌の男である。
金色の髪はサラリと風に揺れ、温厚そうな目元には空色の瞳。目鼻立ちも整っており、爽やかさが漂う。彼のような顔立ちを甘いマスクと呼ぶのだろう。バランスの取れた高身長で、凛とした勇ましさはあるもののさりとて男臭さは無い。物語に出てくる王子様、まさにそれだ。
どうやら幼いビアンカはそんなリベリオに想いを寄せていたらしい。その結果、見事想いが報われて結婚に至る。
あの突然の婚約破棄から既に半年以上が経っており、時期を考えれば別段おかしな話ではない。
おかしな話ではないが……。
「なんだか、そのために婚約を破談にされたみたい」
「マリエラ……」
マリエラが思惑を口にすれば、ステファンが気遣うように声を掛けてきた。
宥めたいのだろう。だが話題が話題なだけにどんな言葉を選んで良いのか分からないのだ。それでも何かせねばと考えたのか、マリエラの肩にそっと手を置いてきた。温かく大きな手。ゆっくりと温めるように擦ってくれる。
「大丈夫よ、ステファン。私べつに気にしてないわ」
「だが、こんな話を突きつけられて傷ついただろう」
「傷付く……、いえ、まったく傷付いてないわね。むしろ合点がいったって気持ちだわ」
リベリオは王家との良縁を取るため、マリエラとの婚約を破談にしたのだ。
それも、あくまでリベリオを始めシャレッド家には非が発生しないように。やむを得ない破談の流れになるように、リベリオが被害者になるように……。つまり、マリエラとミゼラ家に全ての非がいくように。
「それであんな嘘を……。許せないわ! 絶対に痛い目を見せてやる!」
突然の話に驚き、合点がいったと納得し、次いで湧き上がるのは怒りだ。
王家との良縁のためとはいえあまりに一方的過ぎる。怒りのままにカップに入っていた紅茶をグイと一気に飲み、「私、このまま大人しく結婚を祝ってなんてやらないから!」と宣言する。
だが宣言したものの、すぐさまマリエラは深く溜息を吐いた。飲み干したばかりのカップをコトンとテーブルに戻す。
「でも、許せないといってもどうしようもないのよね。ミゼラ家の悪評は既に広まっちゃってるし、シャレッド家の方が格上、そのうえ王女と婚約したとなれば、私が誰にどう言ったって信じてもらえないわ」
「リベリオ・シャレッドは証人が居ると言っていたんだろう? 金で雇ったか、脅して従わせたか……、どちらにせよ『偽りの証人がいるデマ』を暴くのは難しいはずだ」
「かといってこのままリベリオの一人勝ちなんてさせられないわ。せめてミゼラ家の悪評だけは撤回させないと、お姉様や親戚にも迷惑がかかっちゃう」
「……その件なんだが、僕に預けて貰えないだろうか」
「預ける?」
突然のステファンの提案に、マリエラは疑問を抱いて彼を見た。
考えを巡らせる真剣な顔付き。マリエラの視線に気付いても表情を和らげる事はない。普段は仕事中に真剣な顔をしていてもマリエラと視線が合うと柔らかく微笑んでくれるのに。
「ステファン、何をするつもりなの?」
「それは……。すまない、突然の話すぎてどう説明すれば良いのか分からない。まだ確証もない話で……、でも悪いようにはしないと約束する。もちろん、近いうちには必ず説明する。だからそれまで待ってくれないだろうか」
頼んでくるステファンの声色には戸惑いの色が有る。
彼自身、今回の件が突然過ぎて話の整理がついていないのだろう。だからこそどう説明して良いのか分からず、待ってくれとマリエラに頼んでいるのだ。
すぐに説明出来ないぐらいには不器用で、それを真っすぐに伝えてくるほどに真摯。
ステファンらしいと考え、マリエラは彼の手を取って「分かったわ」と答えた。
「リベリオの件はステファンに任せるわ。何をするのかも、何を考えているのかも、貴方が落ち着いた時に説明してくれればいいから」
何をするのかも、彼が何を考えているのかも、自分に何を説明しようとしているのかも。今のマリエラには何一つ分からない。
だがステファンのことは信じられる。だから今回の件を預けるのだと話せば、深刻な顔付きをしていた彼がようやく表情を和らげた。
真剣な顔も精悍で格好良いと思うが、マリエラにとってはこの柔らかな微笑みの方が馴染み深い。つられるようにマリエラも自分の表情が和らぐのを感じた。
今回の件をステファンに任せる。そう決めるや否や、リベリオ・シャレッドが結婚した事への衝撃も、それどころか過去の彼から受けた非道への怒りも、すっかりと消え去ってしまっていた。




