21:マリエラと怪物返りと怪物返りじゃない者達
「私、ダヴィトが実は体をパンケーキに変える怪物返りでも驚いたりしないわ」
「ここじゃ三秒と持たずに食い散らかされるだろうな。残念だが、俺はパンケーキの怪物返りじゃねぇよ」
「それならもしかしてピーマンの肉詰めに変わるの? 待って、その場合、ピーマンが本体? それとも肉詰めのお肉の方が本体?」
「真剣に悩んでるところ悪いが、俺はピーマンの肉詰めでも無い。そもそも怪物返りじゃないからな」
はっきりと否定するダヴィトに、マリエラはじっと彼を見つめて「本当に?」と尋ねた。
次いで彼の隣で昼食の準備を手伝っていたシエナへと視線をやる。瞳で問えば、彼女は苦笑交じりに頷いて返してきた。
ダヴィトの話は事実、という事なのだろう。
更にマリエラは向かいに座るステファンに「本当なのよね?」と尋ねた。これに対してステファンも苦笑と共に首肯する。
どうやらダヴィトの話は事実。つまり、彼は怪物返りではないということだ。
ちなみにこのやりとりの最中、ティティがなんとも言えない表情で紅茶を飲んでいるのだが、マリエラが疑い深くなった原因が自分にあると理解しているのだろう。
「そうだったのね……。シエナも怪物返りじゃないのよね。でも、それならどうして二人はここにいるの? そもそも、みんなは」
どうやってこの屋敷に集まったのか。
そう尋ねようとしたマリエラだったが、聞こえてきた音に話を切って厨房の出入り口を見た。
パタパタと駆けてくる足音。それと楽しそうに話す子供達の声。
「みんなここに居た!」
最初に厨房に飛び込んできたのはリンジーだ。彼女に続いて残りの四人も厨房に駆けこんでくる。
どうやら全員で厨房に遊びに来たらしく、何かお菓子は無いかとダヴィトにせがんだり、シエナに抱き着いたり、勝手に棚を漁ったりと途端に厨房が騒がしくなった。なんて賑やかで微笑ましいのだろうか。
もっとも、子供達は誰もが怪物返りゆえ、初見ではぎょっとするような見た目をしている。だが今更驚く者はこの場には居ない。……驚きはしないが、これでは話を続けるのは無理だと察し、顔を見合わせて肩を竦め合った。
「ダヴィト、お腹空いた! クッキー焼いて! クッキー、クッキー!」
「またクッキーかよ、昨日も一昨日も焼いてやっただろ……。分かった、分かった焼いてやるからエプロンの紐を引っ張るなって」
「ママ先生、あのね、昨日しょんぼりしてたお花がさっき見たら元気になってたの。それでね、お花の絵を描きたくってね」
「お花が元気になって良かったわね。それじゃぁお絵描きの道具を持ってお庭に行きましょう」
「ねぇ、僕も屋根に登りたい。ティティ、良いでしょ?」
「シエナが良いって言ったらね。ただ、絶対に私の手を繋いで離さないこと」
子供達の訴えが厨房のあちこちからあがる。我が儘という程でもない、ありふれた子供らしいものだ。
見ればステファンも纏わりつかれており、薄水色の軟体のリンジーが彼の膝に座りぺったりとくっついている。きっと抱き着いているのだろう。
その光景にマリエラが微笑ましさを感じていると、くいと服の裾を引っ張られた。
見れば、全身を茶色の毛で覆われた少女、ルーニーが立っている。
「おはよう、ルーニー。貴女はお腹が空いたの? それともお絵描きがしたい?」
「まだ眠いの」
ルーニーは体中全て茶色の毛で覆われており顔も見えない。
だが声は随分と眠たげである。目元のあたりを擦る仕草も眠そうで、見ているマリエラにも睡魔が近寄ってきそうだ。
そのうえマリエラの腰に抱き着き、体を預けてくるではないか。立ったまま眠ってしまいそうで、それが愛おしくてマリエラはルーニーを抱き上げた。
ズシリとした重さが腕に伝う。首元に抱き着いてくるとくすぐったく、愛おしさが増す。
「ルーニーがまだ眠いみたいだから、家に行って寝かしつけてくるわね」
「重いだろう、僕が行くよ」
「大丈夫よ。ステファンはリンジーと一緒に居てあげて。それと、ダヴィトがクッキーを焼いたらルーニーの分を取っておいてあげてほしいの。起きて自分の分だけクッキーが無かったら可哀想でしょ」
抱き上げたルーニーの背を軽く叩きながらステファンに告げれば、彼が穏やかに微笑んで了承の言葉を返してきた。
そうしてルーニーを抱っこしたまま厨房を離れれば、子供達の楽しそうな声が次第に小さくなっていく。
しばらくすると彼等の声も聞こえなくなり、それに気付いたのか抱き着いていたルーニーがモゾと動いた。茶色の毛がマリエラの頬を擽る。
「マリエラはルーニーが寝たらステファン達のとこに戻っちゃう?」
「どうしたの?」
「……一人で寝るの嫌なの」
ぎゅっと抱きついて側に居てと強請ってくる、この愛おしさと言ったらない。
堪らず強く抱きしめて頬を擦り寄せればルーニーが小さく笑った。彼女が笑うたびに茶色の毛がふわりふわりと揺れる。
「ルーニーが起きるまでずっとそばに居るわ」
「本当?」
「えぇ、本当よ。だから安心して寝て良いからね」
頬を寄せて告げればルーニーが「ん」と小さく返事をし、更に強く抱き着いてきた。
安心して再び眠くなったのだろう、すぐに穏やかな寝息が聞こえてくる。それもまた愛おしく、マリエラは眠る彼女の頬にキスをして「おやすみ」と耳元で囁いた。
頬も耳も全て長い毛で覆われていて正確な場所は分からないが、キスも就寝の言葉も、きっと伝わっているはずだ。
◆◆◆
貴族の屋敷らしく個別の部屋が並んでいる屋敷と違い、子供達の家は一階も二階も一部屋しかない。
一階は普段子供達が生活をするスペース、二階は寝室となっておりベッドが並んでいる。曰く、元々こちらの建物は別荘の使用人たちの寮だったらしいが、子供達が生活できるように改装したのだという。
寝室に入り、そっとルーニーをベッドに寝かせてやる。「んぅ……」と小さな声をあげて布団にもぞもぞと潜り込んでいく様が可愛らしい。
寝入っていることを確認すると、マリエラは音をたてないように立ちあがってベッドの横に椅子を用意した。ついでに棚にあった本を一冊借りる。子供用の童話集だ。
そうして眠るルーニーの隣で本を読み二時間程経っただろうか、扉が小さくノックされ、キィと音を立てて開かれた。
隙間から覗くのは人の顔。……ではなく、銀色の毛で覆われた狼の顔。金色の瞳には黒い瞳孔、獣のような口。女性や子供はおろか成人男性でも恐怖を覚えて悲鳴をあげそうなものだが、マリエラは微笑んで彼を迎えた。
「ステファン、どうしたの?」
小声で声を掛ければ、室内に入ってきた彼が様子を見に来たと教えてくれた。
「他の子達は?」
「今はダヴィトとシエナが焼いたクッキーを食べているよ。もちろんルーニーとマリエラの分は取ってあるから安心してくれ」
ステファンが話しつつ、眠るルーニーを布団の上からそっと撫でた。
銀色の毛で覆われた人とは思えぬ手。成人男性の手よりも一回り近く大きく、指も太く、指先には紺青色の爪。
一見すると恐ろしさを感じさせるものだが、その手の動きは優しく、繊細なガラス細工を扱うかのようにルーニーを撫でている。
「厨房を出てからずっと寝てるのかい?」
「一度も起きてないわ。でもあと一時間ぐらいで起こさないと夜に眠れなくなっちゃうかも。それに屋根には登りたいって言ってたのよね」
「屋根に登るのは午後にするって言っていたから、あと一時間寝てクッキーを食べた後でも間に合うだろう」
「間に合うのは良いけど……、屋根の上って危なくないの? 急に強い風が吹いたりしたら……」
想像し、マリエラは一瞬にして顔色を青ざめさせた。
だが案じるマリエラに対してステファンは落ち着いており、「大丈夫だよ」と宥めてきた。
「僕達怪物返りは頑丈だから滅多なことじゃ病気や怪我はしない。建物の三階ぐらいなら落ちても掠り傷程度だ」
「そうなの? だからティティはいつも屋根から飛び降りてくるのね」
「あぁ。それに屋根もきちんと歩けるようにしてあるし、子供達が行くのは柵のあるところまでだ」
「柵があるの?」
「ある、というよりは僕がつけたというべきかな。あんまりにも子供達がティティを羨むからね」
自分達も屋根に登りたいと散々強請られ、根負けして妥協案として柵を設けたらしい。
屋根に登るときは必ずシエナの許可を得てから。誰か大人と一緒に。柵より先には行かない。必ず手を繋ぐ、走らない、跳ねない……、と約束もした。
怪物返りは頑丈で、仮に屋根から落ちても軽傷で済む。だからといって何でもかんでも許してはいずれ危険な事をしかねない、そう判断して、柵を設けて条件つけをしたのだという。
その話を聞き、マリエラはしばし黙り込み……、
「安心してくれ、ティティに『マリエラも登りたがるだろうから案内してやってくれ』と伝えておいた」
「えっ……!?」
ステファンに図星を突かれてドキリとしてしまった。
咄嗟に顔を隠すように手で覆えば、その反応が面白いのかステファンが苦笑を浮かべる。
「やだ、私ってば顔に出てた?」
「そんな事ない……、と言ってやりたいところだが、はっきりと『羨ましい』と顔に出ていたよ」
「……だって、屋根に登る機会なんて今まで無かったんだもの。危なくないって分かれば誰だって登りたくなるじゃない」
だから自分はおかしくないと訴えればステファンの笑みが強まる。
彼に反応を楽しまれていることが不服で、マリエラは唇を尖らせてステファンを睨み……、ふと思い立って「でも」と話を続けた。
「私の考えを察したみたいだけど、完全には察しきれなかったみたいね」
「完全には? 屋根に登りたいんだろう?」
「えぇ、登りたいわ。でもティティに案内してもらうんじゃなくて、ステファンに連れていって欲しいの。……出来れば、星空が綺麗な夜に。二人きりで」
語り合いながら夜の森を眺めて星空を見上げる。きっと素敵な時間になるはずだ。
駄目かしら? とマリエラが問えば、ステファンが僅かに言葉を詰まらせたのち、普段より幾分焦った口調で「駄目なものか」と返してきた。食い気味な返事、それどころか迫るようにマリエラに身を寄せてくる。
「今日は晴れてるから星も見えるはずだ。今夜、案内するよ」
「本当? 嬉しい!」
ステファンが応じてくれた事、そして今夜にでもと誘ってくれた事が嬉しく、マリエラが歓喜の声を上げる。
だが次の瞬間、「んぅ……」と小さな唸り声が聞こえ、慌てて己の口を手で押さえた。
ルーニーだ。最初は彼女を気遣って小声で話をしていたというのに、いつの間にか普段通りの声量で話し、挙げ句に声をあげてしまった。
「……なぁに? 何かあった?」
「ルーニー、ごめんなさい、起こしちゃったわね。もう煩くしないから寝ていて良いのよ」
「ん、平気……。もう起きる」
目を擦りながらルーニーがもぞもぞと起き上がる。
次いでステファンの方へと向くと「ステファンも居てくれた」と嬉しそうに笑った。すぐさまポスンと彼に抱き着く様は可愛らしいの一言に尽きる。
そんなルーニーの腹部から、クルルルと高い音が鳴った。ステファンに抱き着いていたルーニーがパッと離れて腹部を押さえる。
「……お腹鳴っちゃった」
少し恥ずかしそうなルーニーの声。きっと照れ臭そうにはにかんでいるのだろう、顔は見えないが不思議と分かる。
かと思えば寝起きだというのにベッドから降り、「クッキー食べにいこう!」と元気よく誘ってくる。つい数分前まで熟睡していたのが嘘のような元気さではないか。扉の前でぴょんぴょんと跳ねながら急かしてくる。
その姿の愛らしさにマリエラは表情を和らげ、「行こうか」とステファンに促されて立ち上がった。




