18:翌朝のふたり
「はぁ!? それで同じベッドに入って何もせずに寝たって!?」
「何もって、だからマリエラの子供の頃の話を聞いたって言っただろう。幼い頃に旅行に行った話、誕生日のプレゼント、初めて刺繍をした日のこと……。どれも暖かく微笑ましい思い出話だ」
「いや旦那、そうじゃなくてだな」
昨夜のマリエラの思い出話を微笑まし気に話すステファンに、対して向かいでクリームを泡立てながらのダヴィトは信じられないと言いたげな顔をしている。否、実際に「信じらんねぇ」と呟いた。
場所は厨房。朝食を作るダヴィトに次の買い出しの話をしている最中、たまたま昨夜の話になったのだ。
ちなみにマリエラはティティと一緒に野菜の下処理中である。
今まで貴族の令嬢として生きてきたので野菜の下処理は初めてだ。最初こそ上手く出来るかと不安だったが、ピーマンの種を取っているのか握り潰しているのか定かではないティティを前にして不安は一気に消し飛んだ。
「なんだかステファンを一人にしたくなかったのよ……。ティティなら分かるでしょう?」
「申し訳ないけどあんまり分からないかな。でも、ダヴィトが野暮なことを言っていることと、ステファンの堪忍袋の緒があと一分ぐらいしかもたないことは分かる」
「私もそれは分かるわ。……あら」
マリエラが小さく声を漏らしたのは、ステファンが徐に立ち上がったからだ。
そのままダヴィトの目の前に立つ。ダヴィトも背は高い方だが、ステファンは彼よりも比べるまでもなく背が高い。その高さから怒りの空気を纏って鋭く睨みつければ相当な迫力なのだろう、ダヴィトの顔色が一瞬にして青くなった。
ステファンの迫力に慄いて後退る……、が、一歩も下がることが出来ずに背を流し場にぶつけてしまった。つまり退路無しだ。
「だ、旦那、悪かった。ちょっと言いすぎた」
「その粗暴な性格を直せといつも言っているだろう」
「分かった、な、直す……、極力直すからそんなに睨まないでくれよ……!」
ダヴィトの謝罪の言葉は命乞いめいた色さえあり、些か情けない。
ステファンも毒気を抜かれたのか、まったくと言いたげに深く息を吐き。再びテーブルへと戻ると椅子に座った。普段よりも座り方が雑なのは怒りの表れだろうか。グルルと微かに聞こえてくるこの音は不満の唸り声だ。
「マリエラ、すまない。ダヴィトはどうにも言動と思考が粗暴なところがあるんだ。きみに失礼な話を聞かせてしまった」
「良いのよ、気にしないで。……私も、他意は無いとはいえ大胆な提案をしちゃった自覚はあるから」
今更ながらに恥ずかしさが勝り、思わずマリエラは自分の頬を手で押さえた。ほんのりと熱いあたり、きっと赤くなっているだろう。
昨夜、怪物返りについて話すステファンを一人にしたくなくて共に寝ようと言い出した。もちろん他意は一切無い。現に一つの布団に入っても、ただ彼を抱きしめて昔の話を聞かせ、そして共に眠りに着いただけだ。
少しでも気持ちを和らげさせてあげたかった。彼の心の傷を癒してあげたかった。一人にしたくなかった。それだけである。
……だが世間的にはそうは取られないだろう。
なにせステファンとマリエラは既に結婚しているのだ。
そういう事になってもおかしくはなかったし、おかしな話でもない。
「わ、私、考えるとそれでいっぱいになっちゃう時があるの。まず行動しちゃうというか……。驚かせてごめんなさい」
「謝らないでくれ。マリエラの思い出話を聞けて嬉しかったし、僕を恐れずに眠ってくれるのが嬉しかった。あれほど穏やかに眠れた夜はない」
「本当? そう言ってもらえると私も嬉しいわ……。そ、それなら、時々一緒に眠る?」
「あぁ、きみさえ良ければ。あ、でもダヴィトが言うような疚しい気持ちは無いから安心してくれ」
ステファンが慌ててフォローを入れてきた。
彼は狼のような顔立ちをしており、ゆえにどれだけ羞恥心が募っても頬が赤くなることはない。銀色の毛は変わらず銀色だ。だがその仕草や口調から恥ずかしがっているのがひしひしと伝わってくる。
つられてマリエラも羞恥心が高まり、己の頬が更に赤くなるのを感じた。
だけど、彼と一つのベッドで眠ることは嫌ではない。むしろ彼が「穏やかに眠れた」と言ってくれた事が嬉しい。
それにマリエラもまた、ステファンと共に眠った昨夜は今までにないほど心地よかったのだ。
そうして恥ずかしがりながらも共に眠る約束をマリエラとステファンが交わす。
その横で……、
「あらあら、賑やかで楽しそうね。なにがあったの? お昼ご飯の準備は進んだ?」
と微笑まし気に厨房に入ってきたのはシエナだ。
彼女の問いに、ダヴィトとティティが顔を見合わせた。
「夫婦喧嘩は犬も食わないって言うが、新婚夫婦の惚気だって食えたもんじゃねぇな」
ダヴィトの結論にティティが肩を竦めて同意を示した。