15:子供達の家
「……え?」
近付いてくるものが理解出来ず、マリエラの口から躊躇いの声が漏れた。
対して薄水色のナニカはゆらゆらと軟体らしい動きで近付き、ステファンのもとまで辿り着くとぴったりと彼にくっついた。
例えるならば水だ。水の塊が子供らしいワンピースを纏い、意思を持って動き、そしてステファンの足に寄り添いながら可愛らしい声で彼の名を呼んでいる。
「……ス、ステファン、この……、この子は……?」
「この子はリンジー。ほらリンジー、彼女はマリエラ、僕の奥さんだ。挨拶をしておくれ」
優しい声色でステファンが足元の薄水色の軟体を『リンジー』と呼び、ひょいと抱き上げた。半透明ゆえに彼の腕が僅かにリンジー越しに透けて見え、なんとも不思議な光景ではないか。
抱き上げられたリンジーは嬉しそうな声をあげ、ステファンの首元に巻き付いた。ステファンもまた苦しんでいる様子も恐怖する様子もなく、それどころか頬に擦り寄るリンジーを受け入れて愛おし気に名前を呼んでいる。
銀色の狼を模したような怪物辺境伯と、薄水色の動く軟体の楽し気なやりとり。これではまるで物語に出てくる異種族の交流ではないか。思わずマリエラは翡翠色の瞳を数度瞬かせた。
「リンジー……?」
恐る恐るマリエラが呼べば、ステファンに頬ずりをしていたリンジーがパッとこちらを向いた。
……のだと思う。不思議と、軟体ながらに動きは分かる。
「マリエラ?」
「え、えぇ、そうよ。私はマリエラ。よろしくね、リンジー」
様子を窺いつつ右手を差し出せば、ステファンの首元に巻き付いていた軟体の一部がゆるりと解けてマリエラへと向かってきた。
手を伸ばしてきた、と考えて良いのだろうか。右手にそっと触れてくる軟体は思いのほか暖かく、マリエラはそれを受け入れると共に優しく握った。柔らかく暖かい。握り返してくる手の感覚は幼い子供の手と同じだ。
「わたしリンジー、よろしくねマリエラ」
「ありがとうリンジー、こちらこそよろしくね」
「マリエラはみんなと会った? わたしが一番最初?」
次第にリンジーがはしゃぎだし、ステファンに抱き抱えられながらゆらゆらと揺れ始めた。人間の子供で言うのならば、はしゃいで体を前後させたり足を動かしたりと言ったところか。
そのうえ自分が一番最初に会ったのだと知ると更に興奮し、見兼ねたステファンが床にそっと降ろすとぴょんぴょんと跳ねだした。薄水色の軟体、だが言動は無邪気な子供となんら変わりない。
「わたしがみんなを紹介してあげる! 来て、マリエラ!!」
「みんな……、貴女の他にも子供がいるのね」
それはもしかしたら、リンジーのように、そしてステファンのように、人ならざる姿なのだろうか。
疑問を抱いてマリエラがステファンを見れば、彼は言わんとしている事を察したのかなんとも言えない表情をしていた。狼のような顔の割に彼は感情が顔に出やすいのだ。そしてその表情こそ、マリエラの疑問へのなによりの回答である。
つまり『怪物辺境伯』はステファンただ一人だが、この屋敷には『怪物』のような外見の者達が複数いるということだ。
だけど怖くなんてない。
「行きましょう。リンジー、みんなを紹介して」
そうマリエラは告げて、リンジーの薄水色の手を繋いで歩き出した。
◆◆◆
屋敷と隣接する建物『子供達の家』と呼ばれるそこは二階建ての建物になっており、リンジーを含めて五人の子供達が生活していた。
一階には仕切りもなく大きな部屋が広がっており、低いテーブルセットが並べられている。一角には玩具が置かれており本棚には絵本。幼い子供が這って移動するためだろうか柔らかそうなラグが全面に敷かれており、衛生面のためか靴を脱いであがるようになっている。
中央では子供達が玩具で遊んでおり、テーブルセットに座っている子もいる。中にはラグに寝転がっている子も。
その光景は、たとえるならば『三時のおやつの後のひととき』といったところか。
もっとも、子供達の誰一人として人間の形はしておらず、その光景は微笑ましくもあり異質でもあるのだが。
「『ママ』って呼ばれるのは恥ずかしいんだけど、でも、この子達が嬉しそうに呼ぶから訂正するのも野暮だと思ってね」
気恥ずかしそうに話すのはシエナ。子供達から『ママ先生』と呼ばれているという。
柔らかなラグに腰を下ろす彼女の膝には、一人の子供が親に甘えるように彼女に抱き着いている。
全身が茶色く長い毛で覆われた、まるでぬいぐるみのような子供だ。白いシャツと赤いスカートを履いて首からはポーチを下げている。
そんな子供をシエナはまるで我が子を愛おしむように抱きしめ、茶色く長い毛を指で梳いて撫でていた。
「私にとってはみんな可愛い子供よ。それでも、受け入れてもらえない可能性があることも理解してるわ。だからマリエラが受け入れてくれて良かった。ねえ、ルーニー?」
シエナが優しい声色で問えば、彼女に抱き着いていた茶色の長い毛の子供ルーニーが「うん」と小さく返事をした。
最初にあった薄水色の軟体のリンジーと比べ、どうやらルーニーは少し引っ込み思案な性格のようだ。それもまた子供らしく、姿こそ見慣れないものだがマリエラの目には愛おしく映った。
そっと手を伸ばして頭であろう場所を撫でてやればくすぐったそうな笑い声が聞こえてくる。それもまた可愛らしい。
「私、てっきり屋敷に亡霊が居るのかと思ってたの。だって気配はするのに姿は無いし、時々子供の声や足音がするし」
「亡霊?」
「そうよ。『この屋敷は昔多くの子供達を殺す恐ろしい領主が居て、その領主に殺された子供達の亡霊が彷徨っている』とか『森の中で迷子になって命を落とした子供の亡霊が、生きている者を道ずれにしようとしている』とか……」
想像だけで思わず体を震わせてしまう。
もっとも、これに対してシエナはクスクスと笑うだけだ。彼女に抱き着いているルーニーさえも「マリエラは怖がり」と楽し気に言ってくるではないか。ルーニーが笑うたびに彼女の全身を覆う長い毛がふわふわと揺れている。
「怖がりじゃないわ。想像力が豊かなの。それに、そもそもはステファンが悪いのよ」
「僕が?」
絨毯の一角、複数の子供達に群がれるように抱き着かれているステファンが意外そうな声を上げた。
ステファンの姿はもちろん、彼に抱き着く子供達もまた異形としか言えない姿をしている。だが楽し気に抱き着く子供達は可愛らしく、ステファンもまた嬉しそうに見える。
そんな光景にマリエラは一度目を細め、だが次の瞬間にはわざとらしくツンとすまして見せた。
「そうよ、ステファンのせいよ。貴方がすぐにここに連れて来てくれなかったから、私が恐ろしい想像をしてしまったの。危うく今夜一晩恐怖で震えて過ごすところだったわ」
「僕の部屋に押し入って陽気な音楽で一晩踊り明かすんじゃなかったのか?」
「それは……。時と場合によるわ。それに今は私がどう恐怖の夜を過ごすかじゃなくて、私が恐怖の夜を過ごしかけたってことが重要なの」
わざとらしく責める口調で告げれば、ステファンが困ったように笑った。
もちろん、彼もマリエラが本気で怒っているわけではないと分かっているだろう。だがそれが分かったところで、きっと『怒ったふりをする女性を宥める方法』が分からないのだ。挙げ句、群がる子供達に冷やかされている。
その不器用さが微笑ましくマリエラが目を細めて彼を見つめていると、こちらに近付いてくる足音が聞こえてきた。
「おい、ちびっこども、追加を焼いてきたから食いたいやつはテーブルに……、おぉ、ついに嬢ちゃんもこっちに来たのか」
粗野な言葉遣いと共に現れたのはダヴィト。彼の後ろにはティティもいる。
ダヴィトはクッキーを持った大皿を手にしており、それを見た子供達がキャァと歓喜の声をあげ、中には早々に椅子に座ってクッキーのおかわりを催促しだす子もいる。
はしゃぐ子供達をなだめるためにシエナがテーブルへと向かう。「まずは手を洗ってからよ」と優しく声をかける彼女はまさに母親だ。
「今までみんなでこうやって生活していたのね。……あら、ルーニーは食べにいかないの?」
「……行くけど、でも。マリエラ、パッチンしてくれる?」
「パッチン?」
いったい何かとルーニーを見れば、彼女はポシェットから髪留めを取り出して差し出してきた。
花の飾りがついた子供向けの髪留めだ。淡いピンクの色合いが可愛らしい。
「お手てとお口をパッチンしてほしいの」
「これで……。あぁ、そういうことね。まかせて」
ルーニーの言わんとしていることを察し、マリエラは彼女の手から髪留めを受け取った。
そうして「んーってして」と告げれば、ルーニーが僅かに顔を上げる。……上げたのだと思う。長い毛で覆われた彼女の顔はどこがどうなっているのか分からないが、それでも顔のあたりが動いたのと、実際に聞こえてくる「んーっ!」という可愛らしい声で判断出来る。
ルーニーの頬に触れて口元であろう場所を覆う茶色の毛を掻き分ければ、そこには動物の口らしいものがあった。ステファンの口が狼ならば、ルーニーの口は猫だ。それがきゅっとしまっている。
「可愛いお口ね。手もふわふわで温かい」
食べるのに邪魔にならないように髪留めで茶色の毛を押さえ、続いて手も汚れないようにと髪留めを着けてやる。
準備を整えるとルーニーがマリエラの手を掴んできた。茶色の柔らかな毛がふわりと肌を擽る。
「ありがとう、マリエラ。マリエラも一緒にクッキー食べよう」
「私も良いの?」
「ご飯とおやつはみんなで食べるの。ステファンも」
「僕もかい? そうだな、せっかくだから皆で食べよう」
ステファンもルーニーの誘いに嬉しそうに応じて立ち上がる。
そうしてテーブルへと……、となったところで、マリエラは「ちょっと待って」とステファンを呼び止めた。
彼が不思議そうにこちらを見てくる。金色の瞳には疑問の色が宿っており、マリエラは真剣な顔付きでその瞳を見つめ返した。
「ところでステファン、亡霊も含めて、もう他にこの屋敷には誰も居ないわよね?」
「他にって?」
「そう。他の居住者よ。私、もう亡霊を想像して震えるのは嫌よ」
「黙っていて悪かったよ。大丈夫、もう他には居ない」
苦笑するステファンに、マリエラはふっと表情を和らげ「それなら黙っていたことは許してあげる」と告げて、自分達を呼ぶ子供達の声に応えるべくテーブルへと向かった。