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12/52

12:近い未来の抱擁のための重要な確認事項

 


 翌日の昼。

 朝食を終えたマリエラは向かいに座るステファンに「話があるの」と声を掛けた。

 改まった口調。マリエラの表情から真剣な話題だと察したのか、ステファンが窺うように「どうしたんだ?」と尋ね返してきた。銀色の毛で覆われた狼のような彼の耳がピクリと揺れる。


「私、貴方の見た目には慣れたわ。困った時や悩んでいる時の唸り声にも驚かない。だからもう大丈夫だと思っていた。……だけど、一つ、どうしても確認しないといけない事があったの」

「確認……?」

「えぇ、今後の事も考えて、確認すべき事よ。協力してくれる?」

「僕に関する事なんだろう? もちろん協力するよ」


 本題が分からず声にはまだ疑問の色が強いが、それでも賛同するステファンの言葉ははっきりとしている。分からないが、何であれ協力しようと考えてくれているのだろう。

 そんな彼の決意を瞳から感じ取り、マリエラは覚悟を決めるように深く一度頷いた。

 そうしてステファンをじっと見つめ……、


「嗅がせて欲しいの」


 と告げた。


 数秒、室内がシンと静まった気がする。


 妙な沈黙だ。水を打ったようとはまさにこのこと。

 静けさのせいか窓から入る外の風の音までもはっきりと聞こえてきて、その中に楽し気な子供の笑い声が……。


 子供の声?


 なぜこんな森の中で子供の声が聞こえてきたのか。

 そう疑問を抱いてマリエラが窓へと視線をやるも、ほぼ同時に、硬直状態だったステファンが「かぐって……」と呟くように話し出した。

 怪物とまで呼ばれるほどに人間とはかけ離れた容貌。顔の作りは狼のよう。……なのだが、今の彼の顔には疑問の色がこれでもかと浮かんでいる。彼の頭上に、角と同じ紺青色のクエスチョンマークが飛んでいそうだ。


「嗅ぐって……、ぼ、僕のことを?」


 金色の瞳を丸くさせ、それだけでは足りないのかパチパチと数度瞬かせながらステファンが尋ねてくる。

 そんな彼に、マリエラははっきりと頷いて返した。


「えぇ、貴方を嗅がせてほしいの」

「それは……、どうしてだ?」

「失礼なことを言っている自覚はあるわ。貴方が驚くのも無理はないし、もしも怒らせたなら謝るわ。……でも、貴方の姿は私達とは違うから、もしかしたら匂いも違うのかもしれないって思って」


 同じ造りの人間でさえ個人個人で纏う匂いは違う。となれば、全身を銀色の毛で覆われ、尚且つ体の一部は宝石のような質感になっているステファンはいったいどんな匂いをしているのか。動物のような匂い、というのは失礼な話だが、体の構造的には近しいかもしれない。

 そうマリエラが説明すれば――もちろんステファンを傷つけないよう、これ以上の失礼にはならないよう、言葉を選んで話した――、彼も理解してくれたようで「なるほど」と呟いた。先程までの疑問の色は薄れている。


「それで確認したかったのか。……もしかして、今の僕がっ!?」

「ち、違うわ! 今のステファンは特に匂いとかしないわ! ただ今後ステファンに抱きしめてもらうようになったら、そういうことが気になるのかもしれないって思って。だから今のうちに確認しておきたいの」

「……僕が、マリエラを?」

「せっかく貴方の腕の中に居るのに、匂いが気になるなんて嫌だもの。それなら、姿と同じように匂いにも慣れておきたいと思って」


 だから、とマリエラが話せば、納得しかけていたステファンが再び静かになってしまった。


「そうよね、驚いて唖然とするのも当然よね。私だって、突然こんな事を言われたら理解が追い付かないし、失礼だって怒るかもしれないわ。ごめんなさいステファン、もし許してくれるなら今の話は忘れてちょうだい……」

「いや、さすがにこの話を忘れるのは……。じゃなくて、僕は別に構わないから謝らないでくれ」

「構わないって、良いの?」

「あ、あぁ、もちろんだ」


 ステファンの返事に躊躇いの色は殆ど無くなっている。

 言葉の通り、本当に匂いを確認されることを苦とも失礼とも思っていないのだろう。

 マリエラがほっと安堵の息を吐いた。……それとほぼ同時に、


「……いつかきみを抱きしめられるならこれぐらい」


 とステファンが小さく呟いたのだが、あいにくと安堵していたマリエラの耳にまでは届かなかった。

 何か聞こえた気がして「今なにか言った?」と尋ねてもステファンは首を横に振るだけだ。

 それどころか匂いを嗅がれるというのになぜか前向きで、「そうだ」と呟くと着ていた上着を脱ぎ始めた。

 黒に近い濃紺色の上着。その下には濃い灰色のベスト。上着もベストも刺繍や飾りは僅かだが、そのシンプルさが互いの色合いを引き立たせている。

 ステファンはそんな上着を手元で軽く畳み、しばしじっと見つめた後……、


「……これを嗅ぐのはどうだろうか」


 窺うような声色で上着を差し出してきた。

 思い立って上着を脱いだは良いが、実際に嗅ぐのを促すのは気が引けるのだろう。狼のような顔が、それでも分かりやすく困惑の色を浮かべている。普段は雄々しさすら感じさせる耳が若干伏せかけているのはそれほど困っているからか。


 そんなステファンを前に、マリエラは心の中で「とんでもない事を言ってしまったわ」と後悔を抱きつつ、それでも彼から上着を受け取った。

 肌触りの良い布だ。体格の良いステファンに合わせて作られているためか大きく、そして脱いだばかりだからか仄かに温かい。それが妙に生々しく、マリエラは自分の鼓動が早まるのを感じた。


「さすがに直接というのはあれだし……、その上着は朝から着ていたから……、だ、大丈夫だとは思う」

「そ、そうね。直接は駄目ね。私ったら何も考えずに提案しちゃってごめんなさい。でもわざわざありがとう」


 感謝を告げて、マリエラは手に持った上着を軽く撫でた。

 撫でるだけだ。そのうえ上擦った声で「お洒落で素敵な上着ね!」と明後日な事を言ってしまった。

 これに対してステファンもまた上擦った声で同意を示し、今度仕立てる時はマリエラの上着も仕立てようと提案してくれた。


 ……そんな不自然な会話を最後に、再び妙な沈黙が流れる。


 ステファンは気まずそうに他所を向き、マリエラに至っては上着を持ったまま動けずにいた。

 さすがに本人を前にして脱ぎたての上着を嗅ぐことは出来ない。はしたないとか貴族らしからぬとか、もはやそういう話ではないのだ。

 漂う妙な沈黙のせいかマリエラの思考はだいぶ落ち着きを取り戻し、そして落ち着きを取り戻すと同時に自分の言動のおかしさを実感してしまう。

 今更だが、あまりに突拍子の無さ過ぎる話ではないか。よくステファンは怒らずに聞いてくれたものだ。


 だがここまできて断るわけにもいかない。

 だけどステファンを前にして上着を嗅ぐのは……。でもこのままずっと上着を撫でているわけにもいかないし……。


 そうマリエラがどうしていいのか分からずにいると、室内にノックの音が響いた。

 沈黙が漂っていたからかその音は妙に大きく聞こえ、マリエラとステファンの体がほぼ同時に跳ねる。


「ステファン、ちょっと良いかしら。次の買い出しについてなんだけど……」


 話しながら顔を出したのはシエナだ。

 買い出しのメモでも見ているのか、彼女は手元の紙に視線を落としながら部屋に入り、だが返事がないことに気付いて顔を上げた。


「……二人共、変な顔をしてどうしたの?」


 シエナが首を傾げながら尋ねてくる。

 それに対してマリエラとステファンは顔を見合わせ………、


「いや、べつに……、なんでもない」

「そうなの、な、なんでもないの」


 と、上擦った声のまま誤魔化した。

 我ながら、とうてい『なんでもない』とは思えない態度である。




明日以降は12:20/18:20/21:20更新になります。

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