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10:辺境伯邸の料理番

 

 ステファンと共に訪れた調理場は、屋敷の規模に見合った随分と立派なものだった。

 十人程度ならば働けるであろう広さ。調理台も広く、立派な食器棚が並んでいる。調理台の他に長めのテーブルが幾つか置いてあるあたり、元々は使用人たちの食堂を兼ねて設計されたのかもしれない。

 とうてい四人分の食事を作る場とは思えない規模だが、かつてこの屋敷が貴族の屋敷として使われていた名残とも言える。

 そんな調理場に一人の男性の姿を見つけ、ステファンが声を掛けた。


「ダヴィト、マリエラを連れてきたから時間を作ってくれ」


 ステファンの言葉に、背を向けていた男性がぱっとこちらを向いた。

 彼が『ダヴィト』なのだろう。料理人らしく白い腰エプロンを着けている。

 歳は三十歳前後ぐらいか。マリエラよりも年上だが、シエナよりは下。勇ましさを感じさせる顔立ちで、一見すると粗暴な印象さえ与えかねない威圧感がある。「もうこんな時間か」と時計を見上げて話す声も低く、年若い少女ならば対峙するのに臆しかねない雰囲気だ。


「悪いな、昼めしの準備をしてたらつい時間を忘れた」


 エプロンで手を拭きながらダヴィトがこちらに近付いてくる。

 その口調や言葉遣いはとうてい貴族に仕える料理人のものとは思えない。ましてや、今は雇い主であるステファン(主人)を前にしているのだから、普通ならば畏まって一礼してもおかしくないのに。

 シエナもティティも敬語を使わないと話していたが、ダヴィトも同じなのだろうか。


「ミゼラ子爵家のお嬢さんだったか」

「え、えぇ。私のことを知ってるの?」

「昔はそこそこに情報通でな。しかし旦那と結婚するとは、意外と豪胆な性格のお嬢さんだな」


 ダヴィトの視線がマリエラに注がれる。

 値踏みというほどではないが、それでも好奇心を隠さぬ視線だ。楽しそうな色さえある。

 そんなダヴィトをステファンが咎めるように制した。「そこまでにしておけ」というステファンの声は普段よりも低く、獣のような金色の瞳がギロリと厳しくダヴィトを睨みつける。


「マリエラは屋敷に来たばかりだ。あまり彼女を困らせるな」


 咎めるだけでは足りないのか、ステファンから低く唸る声が聞こえてきた。

 それを聞くや、飄々とした態度を取っていたダヴィトが慌てた様子で両手を軽く上げた。


「待ってくれ旦那、冗談だよ、冗談! 本気で怒らないでくれ!」


 降参のポーズと詫びの言葉。次いで彼は話題を変えるためにマリエラへと視線を向けてきた。もちろん今度は楽しむような視線ではない。

「ところでお嬢さん」と呼びかける声は若干上擦っているのだが、きっといまだ続いているステファンの唸り声が怖いのだろう。


「貴族のご令嬢なら今まで上等なもんばっか食ってきたんだろうが、あいにくと俺はそんなもん作れないからな。口に合わなかったら遠慮なく言ってくれて良い」

「そんな、今日まで出してもらった料理どれも美味しかったわ」

「そう言ってもらえると作ったかいがあるな。もし食いたいもんがあれば言ってくれ、出来る限り応じるつもりだ。知らない料理でもレシピがあればある程度は作れると思う」


 相変わらずダヴィトの言葉遣いは粗暴な印象を与えるが、話の内容や口調からは友好的な気持ちが伝わってくる。現にマリエラが微笑んで感謝の言葉を告げれば、彼もまた笑って返してくれた。


「ところで、ダヴィトはここでステファン達の料理を作ってくれているのよね?」


 問いつつ、マリエラは調理場を見渡した。

 広い調理場。道具も揃っている。食器棚の殆どは空だが、一つには皿や器がしまわれている。

 貴族の屋敷の調理場と考えれば随分とこざっぱりとしていて物が少ない。これでは来賓を持て成したり茶会を開くことは出来ないだろう。だが四人しかいない生活の、それも外部から人が来ることのない静かな生活なら十分だ。

 ……いや、十分すぎないだろうか。


「四人にしては、お皿が多いように見えるけど……。それに、お鍋も多いし大きくない?」

「それは……」

「あのお鍋で作ったら四人の倍以上にならないかしら。それに野菜やフルーツの量も多いし」


 調理場の一角には手付かずの野菜やフルーツが置かれている。街に出るのに時間が掛かるので材料を買い置きしているのだろう。

 それは分かるが、それにしては多すぎるように思える。

 ステファンとシエナとは食事を共にしており、彼等の食事量が平均的なことは既に分かっている。仮にダヴィトが平均以上に食べるとしても、あの鍋は大きすぎる。作り置きかとも思えたが、ここ数日同じ料理が続いたことは無かった。

 そうマリエラが首を傾げながら尋ねれば、ステファンとダヴィトが顔を見合わせた。次いで口を開いたのはダヴィトだ。


「それは……、ティティが……、そう、あいつがよく食うんだ」

「ティティ? そんな風には見えなかったけど」

「いや、ああ見えて大食らいなんだ。俺もよく食うし、俺とティティだけで四人分は平らげるからな。なぁ旦那」


 ダヴィトが同意を求めれば、ステファンがコクコクと頷いた。同意を示しているのだ。

 だが彼等の表情や仕草から焦りの色が見られる気がして、マリエラはまだ疑問が残ると首を傾げたまま再び調理場に視線をやった。

 仮に彼等の話が事実だとして、ダヴィトとティティで四人分、それとステファンとシエナで計六人分。それでも鍋は大きい気がするし、野菜もフルーツも多すぎる気が……。

 そんな疑問をマリエラが抱くも、問うより先にステファンがマリエラを呼んだ。


「マリエラ、次へ行こう。出来れば今日中に屋敷の中を案内したい」

「そう、分かった。ダヴィトも昼食の準備中だったものね。わざわざ時間を作ってくれてありがとう。これからよろしくね」


 疑問はあるものの、かといって長引かせて言及するほどのものでもない。

 そう判断し、マリエラはステファンに促されて調理場を後にした。



 去り際にダヴィトがほっと安堵し、ステファンが彼と横目で目配せをする。

 だがあいにくとマリエラはそれに気付かなかった。



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