01:マリエラ・ミゼラの突然の婚約破棄
「マリエラ、きみとの婚約は破棄させてもらう」
婚約者からの一方的すぎる言葉に、マリエラ・ミゼラは言葉を失ってしまった。
返事をしなくては、理由を聞かなくては、なぜと尋ねて拒否をして……。
そんな考えが矢継ぎ早に浮かんでくるが、浮かぶだけで優先順位も何もなく、考えはぐるぐると回るだけだ。混乱している事は分かるのに頭の中は落ち着いてくれない。
「リベリオ、何を言ってるの……」
「ミゼラ家は領民に違法の税を取り立てて不正に資金を得ているらしいじゃないか。それに、きみは領地の男と仲良くしているんだろう」
冷たい声色でまるで罪人を裁くかのように告げてくる婚約者――リベリオ・シャレッドの言葉に、マリエラは更にわけが分からないと言いたげに彼を見つめた。
数日前までは微笑んで話しかけてくれたのに、今の彼の顔には厳しさしかない。鋭い眼光でマリエラを睨みつけてくる。金色の髪と空色の瞳、麗しいと周囲からもてはやされる彼の相貌が、今は明確に嫌悪を示している。
「不正な資金? そんなの知らないわ。領地の男性と不貞なんて、そんなことを私がするわけないじゃない」
「白を切るつもりか? 呆れたな……。こっちには証人もいるんだぞ」
「証人? ねぇリベリオ、いったい貴方は何の話をしているの?」
わけがわからず、心臓がドクリドクリと嫌な早鐘を打つ。
それでもとマリエラがリベリオに近付こうとするも、それを拒否するようにリベリオが一歩下がった。
彼との間に割って入ってくるのはシャレッド家の警備。まるでマリエラが今まさに掴みかからんとしているかのように、リベリオを護るために彼の前に立った。
その光景にもマリエラはショックを受け、次いで自分に注がれる視線に気付くとはっと息を呑んで周囲を見回した。
シャレッド伯爵家の屋敷、その広間。
居るのはマリエラと、リベリオを始めとするシャレッド家の者達。それとこの話に眉をしかめる貴族達。
誰もがマリエラに対して冷ややかな視線を向けている。まるで不貞を働いた痴れ者を見るかのように……。集められた貴族達はリベリオの取り巻きやシャレッド家と懇意にしている者達ばかりなのだが、今のマリエラにはそれに気付く余裕は無い。
「私そんなことしていないわ。きっと何かの間違いよ。ねぇリベリオ、もう一度調べ直して」
「俺が間違えているって言いたいのか? 往生際が悪い。それに証人がいると言っただろう」
「それならきっとその人が見間違いか何かをしたのよ。誓って私はやましい事なんてしてないわ」
「ここまできて白を切るのか。呆れた女だな。……連れて来てくれ」
リベリオがちらと背後に視線をやる。視線を受け、使いが一人頭を下げて部屋から出て行った。
だがすぐさま部屋に戻ってくる。……一人の男を連れて。
話の流れから彼が証人であることは分かるが、マリエラには見覚えの無い男だ。身形は貴族らしからぬ質朴なものを纏っており、この状況が居心地悪いのか気まずそうに周囲を見ている。
それでもリベリオから呼ばれると慌てたように彼のもとへと駆け寄っていった。
「きみは幼少時にミゼラ家の領地に住んでいたんだったな」
「は、はい。幼少時に祖父母と共に生活し、祖父母亡きあとはここ王都に住まいを移して暮らしております。それで、以前に墓参りに戻った際に……」
「マリエラが領地の男と不貞を働いているのを見た、ということだな。それも何度も」
「……はい」
リベリオが厳しい口調で言及すれば、男がその圧に気圧されながらもはっきりと肯定の言葉を口にした。
瞬間、室内のざわつきが一気に増した。
誰もがマリエラに対して非難の言葉を囁き合う。直接告げるのではなく、それでいてマリエラの耳に届く程度に。侮蔑の視線はより鋭さを増し、囁き声も視線も、まるでマリエラを貫かんとするほどに容赦がない。
「なにかの見間違いよ。私、不貞なんてしていないわ!」
「最後くらいは潔く非を認めるかと思ったが……。もう良い、お前のような女とは話をする気にもならない」
「そんな……! 待ってリベリオ、ちゃんと話をさせて!!」
「誰かこの女を連れて行ってくれ。まさか、俺達の関係がこんな形で終わらせられるとはな」
嫌悪を込めた深い溜息を吐き、リベリオが吐き捨てるように言い切った。酷く冷めた声で、その中に僅かながらに裏切られた者の悲哀が込められている。
周囲で話を聞いていた者達がそれを見て、さっとリベリオを囲み、「お労しい」だの「気を落とさず」だのと慰めだすではないか。挙げ句、「あんな女と結婚まで進めずに済んだと思って」とまで言い出す者さえいる。
対してマリエラはいまだわけがわからず、だがこのままでは不貞の女の烙印を押されたままだと理解し、「リベリオ!」とかつての婚約者の名を呼び彼に近付こうとした。
だが一歩進んだ瞬間、両腕を屈強な男達に強引に掴まれてしまった。シャレッド家の警備達だ。以前であればマリエラに対して敬意をもって接してくれた彼等が、今は険しい顔で睨みつけてくる。腕を掴む力にも容赦がなく、マリエラは思わず痛みに小さな声をあげた。
「これ以上リベリオ様に近付かせるわけにはいきません。マリエラ様、お引き取りください」
「嫌よ。離して。私リベリオと話をしないと、こんな一方的に言われて」
「我々も貴女に暴力を振るいたくはありません。どうかお引き取りください」
「……っ」
警備の言葉に、マリエラは息を呑んだ。
『暴力を振るいたくない』ということはつまり、これ以上マリエラが抵抗するなら暴力を振るってでも追い出すということだ。それを理解した途端に腕を掴まれていることが怖くなり、マリエラは己の体が強張るのを感じた。
荒れていた頭の中が途端に冷えていく。まるで冷水を頭から掛けられたように体も頭の中も全てが冷える。……もっとも、胸中はいまだ落ち着いていないので冷静になれたわけではないが。
「門までお見送りを致します」
「……え、えぇ、分かったわ。リベリオ、今日は帰るけど、今度きちんと話し合いましょう。そうすれば誤解だって分かるはずだから」
最後にせめてとマリエラが声を掛ける。
婚約者に別れの言葉を告げるというよりはまるで乞うような声色になってしまうのは、それほどマリエラに余裕がないからだ。
だがそんなマリエラの言葉にすらリベリオは何も返さず、それどころか顔をこちらにさえ向けない。取り巻きに囲まれ、ただ横目で冷ややかに見据えるだけだ。
「リベリオ……、どうして……」
マリエラが切なげにリベリオの名を呼び、警備達に腕を取られて部屋を後にした。
最後までリベリオはこちらを向くことなく、ただ彼の取り巻きたちだけが冷ややかに非難の視線を向けてくるだけだった。
新連載です!
次話は15:20更新予定です。
皆様どうぞよろしくお願いします。