第6話:絶望の向こうに輝く、クリーム色の希望。
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「落ち着いて聞いて欲しいんだ。テイラーさん、アリのお母さんは、もう………亡くなっている」
「ーーぇ? なにを言っているの? お母さんはまだ…」
その言葉に、アリの手から力が抜けたのか、今まで彼女が背負っていたものが、地面に落ちる。
ドサッという、先ほどまで生きていたものが奏でる、無機質な音。
アリの表情が一瞬で変わった。
驚き、戸惑い、恐怖そして、悲しみ。
彼女の目は見開かれ、次第にそのエメラルドのような瞳に涙が浮かんでゆく。
アリの手のひらは血だらけだった。いや、手のひらだけではない。母に触れた全ての部位には、血がべっとりとついていた。
アリが感じた、熱の正体。あれは汗などではなく、母の血であったのだ。
声も出さず、アリはその場に崩れ落ち、テイラーの魂なき体に縋りついた。声にならない嗚咽が彼女の口から漏れ、全身を震わせる。
「…いやだよぉ、お母さん……なんでぇ……えぐっ、ひっう…」
その悲痛な声が、ホークの心にも深い傷を刻む。
(僕はアリに…なにを、言ってあげたらいい…)
母の死を告げたのは、紛れもなくホークだ。しかし、ホークには今のアリにかけてやれる言葉が浮かんでこなかったのだ。
(…教えて泣かせて、野放しになんて…できるものか…)
ホークはアリの背中をそっと撫でながら、その悲しみに寄り添った。
ずっとこうしてあげたい。そんな気持ちが渦巻くが、状況がそれを許さないことを理解している。
「…アリ、今は立ち止まっている場合じゃないんだ」
「…ほーくぅ……お母さんがぁ……」
「テイラーさんは、君を庇ってくれたんだ。…その矢を身を挺して防いでくれていたんだよ。だから…その命を無駄にしてほしくない」
「…うえっ、ひっく……おかあさん…」
「テイラーさんのためにも、アリは安全な場所に…行かないと」
ホークはアリの手を掴み、無理やり立ち上がらせた。
「…テイラーさん、お世話になりました。アリは、僕が守り抜きます。…洞窟に急ごう。ここにいるのは危険だ」
「待って! お母さん…! あぁあぁぁぁあ……」
泣くじゃくるアリの手を引いて走り出す。洞窟までの距離は、100メートルもない。
「…ゲウゲギャッギェギャ!」
後ろの暗闇から、ゴブリンの声が聞こえる。アリの泣き声に釣られてやって来たのか、ほど近いところまで迫っているようだ。
「走れ、アリ! もう追っ手がそこまできてる! 僕の腕力と足の速さだけじゃ間に合わない! このままじゃ、二人まとめてゴブリンの餌だ!」
洞窟は、避難した後に自分たちで石を積んで蓋をしなくてはならない。故に、早急に避難をする必要があるのだ。
(…もうそこまでゴブリンが。もう石を積む時間もないか…? どうすれば、どうすれば……)
そんな時、ホークの中に妙案が浮かぶ。
(…アリを洞窟に避難させてから、僕が囮になってゴブリンを惹きつけられれば、村人たちは洞窟をふさげて、アリも生き残れるじゃないか…)
自己犠牲の精神。
ホークが至った最善策は、我が身を挺して皆をも守る、自己犠牲の精神だった。
(…テイラーさんも、似たような気持ちだったのかな)
未来に漂う死にホークは一瞬だけ躊躇したが、決意を決めた。
その時、洞窟から声が聞こえた。
昼に出会った、あのおじさんの声だ。
「ホーク! アリを投げろ! 絶対に受け止めてやる。だから、早く!」
わかったと頷き、腕を掴まれ、無理やり走らされるアリを見る。
「アリ、僕のいうことを聞いてくれ。…今から君をおじさんの方へ投げるから、大人しくしてほしい。そしてその後、僕が囮になる。……君は洞窟に入ったら、村人たちと協力して石を積んで入り口を塞ぐんだ。絶対に外には出てはいけない。わかった?」
アリはその言葉に驚愕し、未だ涙を浮かべる顔を大きく横に振る。
「…だめ、ホークまでいなくなったら、私」
その様子を見てホークはひどく安心した。
なぜなら、アリがホークを思う気持ちを認識することができたから。
「…アリ、僕の中では、君が生き延びることが一番大事なんだ。テイラーさんも、きっとそう思ってる。だから…僕を信じて。お願いだよ」
ホークはアリをしっかりと抱き寄せ、力を込める。
「ーー待って、ホーク、まって……」
「おじさん! アリを受け取ってくれ!」
「任せろ!」
そして、ホークはアリを投げた。
「…アリ、本当に感謝している。来世では一緒になろう」
「やだやだゃぁぁぁああぁぁ……」
「おじさん! 僕が囮になってゴブリンを引き寄せるから、なんとか洞窟を塞いでくれ!」
そう言って、洞窟とは別の方向、川の上流に向かって走り出す。
アリのことはもう見なかった。
「こっちだゴブリンども! こっちにこい!」
(アリ、頼むから無事でいてくれ)
ホークは草木繁る川の上流に消える。
それを10匹を超えるゴブリンが追っていく姿を、洞窟内から村人たちは見たという。
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ーーホークは持てる全ての力を振り絞り、ゴブリンたちを森の奥へと誘導する。
木々を駆け抜け、時折振り向き、その距離を確認していく。
「ーーっ、はぁ、はぁ」
(…ゴブリンは森の中に住んでいるから、森に適応した体をしているとは聞いていたけどーー)
ゴブリンたちは、木々の間を跳ねるように、縫うように、足の短さといったハンディキャップを一切感じさせない身のこなしで、ホークを追って来ている。
(ーーまさか、こんなに素早いなんて)
ホークの足はすでに限界を迎えており、その距離は縮まる一方である。
(…くそ、まだアリ達からそんなに遠くない。何か、何か手はないか……あれは?)
月明かりがさす森の中、ホークの目に飛び込んできたのは、赤く膨れ上がった、膝丈程まであるキノコだった。
「ーーうっ」
そしてホークがそのキノコの周囲に足を踏み入れた瞬間、目が痛んだ。
(ーーこれは、ミストウィルロートか?)
ミストウィルロート。
森に生える巨大な毒キノコで、その胞子は強い催涙成分を含んでいる。
(使えるかもしれない…)
ホークはミストウィルロートのそばで立ち止まり、目を閉じる。
そして足を後ろに屈曲させーー。
「はぁ、はぁ、これでも、くらえ…」
勢いよくキノコに蹴りを入れた。
蹴り飛ばされたキノコは、もくもくと胞子を巻き上げながらゴブリン達の方へと飛ぶ。
「キキョキェキェキャァ!」
「ギョギョギョゲックケ!」
ゴブリン達は見事に、胞子の霧に包まれた。
胞子による目の痛みに、ゴブリン達は悶え苦しむ。
(今のうちに…逃げたいけど、もう足が疲れて動かない……どこか、僕も隠れられる場所を…)
痙攣する足を叩いて動かす。
もはや身体中の力が抜け、立っているだけでもやっとであった。
その時、前方から木々をかき分け、枝や落ち葉を踏みつける足音のようなものが聞こえた。
と、共に「…ギャゲゲギャッケギョ」という、ゴブリンの鳴き声。
ホークの背筋に冷たいものが走った。
(……まさか、挟まれた)
「えぁ、へぇ…」
全身の痛みと、想像を絶する絶望感から、ホークかその場で崩れ落ちた。
死の恐怖、生への渇望、途方もない無力感に、彼の目からは大粒の涙が溢れ出る。
(…無理だ。逃げ切れっこない)
後方で目を擦るゴブリンも、じきに調子を取り戻してホークを追ってくるだろう。
「……はは、僕は頑張った。しっかり生きようとした…。その結果が、これか…」
振り向けば、目をこすりながら十匹のゴブリンが、怒りと皮肉に歪んだ邪悪な笑みを溢しながらゆっくりと近づいて来ていた。
「ゲギャ、ギャゲゲッグケ!」
「ギャァギャァゲゲゲギュオコ!」
笑っているのだろう。無力な獲物を。
そして、胞子をかけられた鬱憤を存分に晴らさんと、その膨れ上がった腹部に詰まった腑を煮えたぎらせているのだ。
再び前方に視線を戻せば、まるで急くようにこちらへ猛進してくる、いく匹かのゴブリン達。
「…最初から、僕はゴブリンの手のひらで踊らされていたんだな」
ーーせめて、最後は苦しくないように。
そう思って、ホークは膝立ちになり、手を組んで祈りの姿勢をとる。
ーーその横を、前から来たゴブリンが勢いよく通過してく。
まるで、ホークに一切興味がない、もしくはホークが見えていないかのように。
「ぇ」
そして吹き荒れる、クリーム色の疾風。
あまりの出来事に、ホークも追っ手のゴブリンも思わずその光景を目で追う。
そしてその疾風の正体が、髪の毛であったと理解した時ーー。
「……これで108匹。大晦日の除夜の鐘を思い出しますね」
ーーホークの横を通り過ぎていったゴブリンも、ホークを追っていたゴブリンも、全てが首と胴を切断された、暖かさを持った肉の塊へと変貌を遂げていた。
風の正体に、思わず息を呑む。
12歳ほどの華奢な体型で、青い大きな瞳。
クリーム色の長髪は、月明かりに照らされて柔らかな波と光沢ががかかっており、風に揺れるたびに優雅に舞う。
素体を包むローブは髪色にあった淡い色合いながらも、よくみれば細かな刺繍と、高質さを纏う。
その細い腕に持つ刺剣は細身ながらも金属由来の確かな丈夫さとしなりを感じさせる。
そんな、物語の中から突然出てきたような見た目に、思わず口が開く。
「…妖精、ですか…?」
月明かりの下、膝立ちで祈りの姿勢をとりながら固まるホークを見下ろして、少女は言った。
「……えっと、違いますけども」
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・アイテム/【ルウェル麦】
〈説明〉
今は亡き大国ルウェルは巨大な農地を有した、非常に豊かな国であったという。
暖かい気候で大きな穂をつけるその麦は、もはや絶滅した品種であるがどこか遠く、時の止まった夢の中にのみひっそりと、しかしながら強く根を張っており、その夢は黄金の帳がかかったように美しいという。
素材としてポーションなどに使用すると魔力を回復する作用を持つ。
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ルウ「……アルハント・ルウェルで取れる特産品ですね。ルウェル麦のパンは非常にもちもちとしていて美味しいのだとか。…食べたことないので、いつか食べてみたいものですね」




