第19話:夢の中の少女。
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side:アリ
パチパチという音が聞こえる。
どこか安心する、炎の音だ。
(…お母さんが焼いたクッキーを食べたい)
木の実を砕いて水と混ぜて焼いた、素朴で香ばしい母のクッキー。アリが幼少期、よく食べていたものだ。
そういえば、ここ数年は食べていなかったな、と懐かしむ気持ちと共に、もう食べられないのだという悲壮感が全身を包む。
母は泣き虫だったアリをよく抱きしめてくれた。その暖かい感覚は今もアリは覚えている。
(…そういえば、暖かい…?)
心地よい暖かさがアリを包んでいる。
なぜ火の音と暖かさを感じるのだろうか。
そんな疑問が、アリの意識をゆっくりと浮上させ始める。
音と温もりに導かれ、重いまぶたを持ち上げ、少しずつ目を開けた。
「…ん…んむ」
まず見えたのは、オレンジ色に輝く焚き火の炎。揺らぐ火が周囲の影を踊らせる。
アリはその見事な焚き火に、ぼーっと見惚れていたが、次第に自分の置かれている状況を理解し始めた。
「…ここは?」
アリは小さく呟き、周囲を見渡す。
火を起こした記憶も、森の中で眠った記憶もない。あるのはーー。
「…ゴブリンに、追われてたんだ……」
気を失う直前まで刻み込まれた、恐ろしいゴブリンの記憶。
一気に不安が押し寄せる。もしやここはゴブリンの棲家なのではないだろうか。
焚き火の灯りを頼りに、もっと周囲の情報を得よう。そう思い再び焚き火に目をやれば、焚き火の横にしゃがみ込む存在が目に入る。
12歳ほどの華奢な体型で、青い大きな瞳。
クリーム色の長髪は、炎の光に照らされて柔らかな波と光沢がかかっており、炎が揺れるたびに艶やかな陰影を残す。
素体を包むローブは髪色にあった淡い、薄紫の色合いながらも、よくみれば細かな刺繍と、高質さを纏う。
そんな少女は、ゆらめく炎に照らされた顔をアリに向けーー優しい目。まるで慈愛に満ちたような、深い青い瞳ーー口を開いた。
「…目が覚めたんですね。…安心してください。ここに、ゴブリンはいませんので」
その声は穏やかで、アリの心に安らぎを与える。
アリはしばらく、その言葉の意味を理解するのに時間がかかったが、次第に状況と照らし合わせ、意味が浮かんでくる。
そう、アリは助けられたのだ。
「…えっと、ありがとうございます」
声が掠れる。それほどまでに長い時間、アリは気を失っていたのだろう。その証拠に焚き火にも灰が深く積もっている。
その間も、この少女はアリを守り続けてくれたのだ。
(綺麗な子…。顔も髪も、服だって、この世のものとは思えない。…まるで、妖精さん)
無口そうで、不思議な雰囲気の少女。
アリが少女に見惚れていると、少女は困ったように見つめ返す。
「あのー…。ルウさんの顔、何かついてます…?」
「あ、いや。あの…妖精さんみたいだなって」
アリが率直な感想を口にすると、少女は「ふふ」と小さく笑う。
第一印象から、あまり感情の出さない人だと思っていたのだが、その笑顔は子供のそれであり、年相応の可愛らしさを感じさせる。
アリはその光景を微笑ましく見ていると、少女は慌てて破顔した顔を正すように咳払いをした。
「…ごほん。すいませんね。…その、以前にも同じようなことを言われたのを思い出してしまいまして…」
照れ隠しをするように、焚き火に木の枝をくべながら言う。
そんな様子を見ていると、本当にこの少女がゴブリンの群れからアリを助けた恩人なのかと疑わしくなる。というか、そもそもこの少女は何者なのだろうか。
(この子も、この夢に閉じ込められてるのかな…?)
そんな疑問がアリに浮かぶ。
「聞いてもいい…? あなた、何者で…どうしてここにいるの?」
少女は少しきょとんとした後、気がついたように答える。
「…そういえば、自己紹介はまだでしたね」
少女立ち上がり、は優美な仕草でローブを持ち上げ、膝を曲げた。
「…ルウさんは、ルウ・ブランといいます。見ての通り…剣士をしております」
まるで舞踏会の舞姫のように優雅で、クリーム色の髪が炎の光に揺れる様に、アリは見惚れてしまった。
そんなアリを脇に置いて、ルウは言葉を続ける。
「…ルウさんは、アリさん。あなたを助けに来たんですよ。……アリさん、聞いてます?」
「…あぇ?」
吸い込まれそうなほど綺麗な青い瞳に見つめられ、変な声が出る。
どうやら、完全に見入ってしまっていたらしい。
「…まだ、起きて早々ですもんね。混乱しているのも仕方ないと思います」
まるで全てをわかっているかのような表情でアリに話しかけてくる、ルウ・ブランという少女。
(まって、そういえば、どうして私の名前を知っているの…。初めましてだよね…?)
ふと浮かぶ疑問。
その様子を見ていたルウ・ブランは、また口を開く。
「…アリさんのことは、現世で長い時間見てきたので。それに、ホークさんからも色々聞いているので、ある程度のことならわかりますよ」
その言葉に、アリの表情が驚きに変わる。
「…まって、ホーク? ホークが生きているの?」
アリの幼馴染にして、命の恩人、ホーク。彼はゴブリンに追われたのち、あの洞穴に帰ってこなかった。
「もしかしてホークもこの世界にいるの…?」
「…いえ、この世界にホークさんはきていません」
「でも、ホークは生きているのね……よかった…」
ルウ・ブランは静かに頷いた。
「…ルウさんは、ホークさんからあなたのことを聞いて、この世界にやってきたんですよ。…彼、めちゃめちゃ心配していましたよ」
「…ホークが、私のことを……」
「…はい。彼はアリさんを助けたいと願っていました。だから、ルウさんはこの世界にきて、あなたを助けにきたんです」
「…ここは、夢の中なのよね…? そうなると、現世では私はどうなっているの…?」
「…長い間の、寝たきり状態ですかね。息はしているけど、それだけです」
「…そうだったのね」
「…です。けれど、もう大丈夫です。必ず、帰れますから」
力強くそう言い放つルウ・ブラン。
不意に、アリの瞳から大粒の涙が溢れた。
長い間、得体の知れぬ場所で止まない恐怖に怯える生活からの極度の緊張。
ホークが死んだという想像から生まれる比類なき無力感と悲壮感。
そんな、アリを絶望に至らしめる感情は、ルウ・ブランの言葉で溶解した。心の重荷が軽くなり、感情が抑えきれず、アリは涙を流したのだ。
「…大丈夫です。もう怖いことはありませんよ…」
鈴の音のような声が響いたかと思えば、次の瞬間、柔らかな花のような香りと共にアリの肩に何かが覆い被さる感覚。
「…ルウさんはここにいますから」
ルウ・ブランはアリを、そっと優しく抱きしめた。
「…一緒に安全な場所まで行きましょう。今までアリさんが過ごしていた場所まで、案内してくださいませんか?」
穏やかな声で少女はそう囁いた。どこか安心する声。アリは泣きながらも頷いた。
ルウ・ブランはアリの手を引っ張るようにして立ち上がらせた。
(…細い腕。でも、こんなにも頼もしい)
アリの隠れていた洞窟までの道のりで、アリとルウ・ブランは色々なことを話した。
最初は、アリが苦労してこの世界で生き延びてきたことや母が亡くなったことを。
そこから話は広がり、村の復興はどの程度終わったか、ホークの昔話など、洞窟に着く頃にはアリの顔に少し笑顔が戻っていた。
「…ここは、村はずれの洞窟ですか。なるほど、確かに避難といえば真っ先にここですよね」
入り口の大部分を石を積み、覆った形の洞窟。
村がデーモンに襲われた際にも使用した、あの洞窟である。
「…でもね、ルウさん。この場所はゴブリンに見つかっていて。…また、奴らがやってくるかも知れないの」
アリのルウ・ブランの呼び方は、ルウさんに変わっていた。
「…ふむふむ。なら、ちょっとアレを試して見ますかね」
ルウは静かに呟いた。
アリは、このルウ・ブランという少女の実力がどれほどのものか分かっていない。
一体何をするのか、そんな好奇心がアリの心を踊らせた。
「…アリさん。今から〈バク〉を召喚します。…ちょっとびっくりするかもですね」
「…びっくりって、何をする気で……」
アリによぎる不安をよそに、ルウは目を閉じ、口の中で何かを唱え始めた。そして、口を動かしながら地面に手をかざす。
「……〈ドリームゴーレム〉うつつを辿りて、目覚めてください。…あなたの力が、必要です」
その声に呼応するように、ルウの手から紐状の淡い光が地面に流れ込み、設計図を書くかのように、幾つもの円を模った魔法陣を形成する。
「…すごい」
アリは眼下の光景に目を見張る。
魔法陣が淡い色から、水色へ、黄色へ、色を変えながら徐々に濃く、光を増す。それにつれて地面がわずかに震え、アリは思わず息を呑んだ。
(なに、なにが起こるの…?)
次の瞬間、強い光が魔法陣の中心から噴水のように吹き上がり、空中で渦を巻いて停滞する。
大気を照らす光は強さを増し、何か巨大なものの輪郭を形成した。
徐々に光が収束し、輪郭が完全に形をなすとそこには、クリスタルのような素材で体が構成された、二足立ちをするクマの様なものがあった。
大きさは大人2人分ーー3メートル強ーーの全体的に丸いフォルムで、体は月明かりに透かされて澄んだ青色をしている。体の中央、人間で言うところの横隔膜のあたりには、星の輝きを内包したような、目まぐるしく色を変える小さな宝石球が埋め込まれているのが見える。
顔と思しき場所には、目なのか口なのか不明の、大きな穴が一つだけ空いており、表情と呼べるものはない。
腕はクマの様な剛腕で、クリスタルの硬質さがただあるのみ。
体表からは、体内の宝石球と同様、目まぐるしく色を変える火の粉の様なものがうっすらと立ち昇っていた。
アリはその圧倒的な存在感に腰が抜けた。
「…ルウさん、これ、魔物…?」
アリがおっかなびっくりそう言うと、ルウは眉を寄せて口を開く。
「…む、失敬な。この子は〈ドリームゴーレム〉の、タコヤキ君です。ルウさんの…ペット?みたいなものなんですよ。…魔物と一緒にしないでください」
ルウの言葉に便乗すように“タコヤキ”と呼ばれたクリスタルの塊の頭の穴が、アリを覗き込む。
直感的に理解した。あれは、目だ。
アリは一人と一匹? もしくは一個に迫られ、壊れたように首を上下にブンブンと振った。
「…このタコヤキ君が、アリさんを守ってくれます。ここにいる間、彼があなたの盾となるでしょう」
アリの頭に「彼とは言っているものの、果たしてクリスタルに性別があるのか」と言う疑問が浮かぶが、ルウが彼と呼ぶのなら、彼は男性なのだろう。
「ひゃ、ひゃぃ…」
アリは未だにこちらを覗き込むドリームゴーレムを見上げた。
ーー目があった。
そうアリが感じたと同時に、ゴーレムの核の様な場所が笑ったように光をこぼした。いや、感情などないのだろうが。
「…ではタコヤキ君。アリさんを守ってあげていてくださいね」
ゴーレムはルウの方に頭だけを向けて、力強く頷いた。
「…待ってルウさん、どこかに行くの?」
まるで彼女の言動は、アリを安全なところに匿わせ、自分はどこかへ行くと言っている様なものだった。
「…あー、エクソって言ってわかりますかね…? ここは悪夢の世界で、アリさんを助けるためには、そのエクソっていうちょっと強い魔物を倒さないといけないんですよ。なので、エクソを探しに行こうかなと」
「それって…」
見上げるほどの巨躯を持った、顔の溶けた騎士。あのバケモノのことなのではないだろうか。
あれを倒す? 笑止千万である。
「ルウさん…危険だよ! 敵いっこないって…」
「……エクソを見たんでしたね、そういえば」
この洞窟まで歩く道中で、バケモノから命からがら逃げたという話をした。それがどうしたというのだろうか。
「…エクソに目をつけられたら、逃げられないんですよ。悪夢はエクソの庭。多分、アリさんがここにいることだってあっちには分かっているはずです」
「そんな…」
アリはあのバケモノの姿を連想し、一瞬で背筋が凍る。
「…ですけど、エクソは性質上、悪夢を端から食べ進めて、メインディッシュのアリさんは最後にとっておくはず…。なので、まだ猶予はあると考えています」
「…まだ私のところには来ないっていうこと…?」
「…はい。ですけど、残された時間がどの程度のものか、予想がつかないのでささっと倒してしまいたいわけです」
だから探しに行くのか、とアリは納得する。
しかしーー。
「…どうやって倒すの…?」
あのバケモノはそこらのゴブリンを一掃できる程度では到底倒すことはできない。そう直感が教えてくれる。
ルウは一瞬眉を寄せたが、すぐに微笑みを浮かべた。
「…大丈夫です。ルウさんは結構強いので」
今さっき出会ったばかりの少女。
なぜか、強く願ってしまう。
ここにいて欲しいと。
行かないで欲しいと。
アリは必死に止めようと、ルウの手を取る。
「危険だと、無謀だと気づいて…。私のためだけに、どうしてそんなに…命を張れるの」
すると、ルウはアリの手を優しく握り返した。
「…救われる人がいるんです。その人には、お世話になったので」
その人、とはホークのことなのだろう。
ルウの表情を見れば、すでに決意は固まっているといった表情をしており、アリはなにも口に出せず、ただルウを見つめることしかできなかった。
「…まあ、多分すぐに倒すのは無理だと思うので、一旦様子見をするだけでしょうかね」
ルウは微笑む。とても安心する、優しい笑みだ。握られた手が離れ、温もりが残る。
「…戻ってきたら、もっとホークさんの話、聞かせてくださいね。それまでタコヤキ君と洞窟で待っていてください」
ゴーレムが頷き、その場でアリを守るようにたち憚る。
ルウも頷き「…ではまた」と言って森の方へと消えてゆく。
アリは暗闇に小さくなる少女の背中を見送った。
「…ルウさん。気をつけて」
アリは小さく呟いた。
そして、ゴーレムと共に洞窟へ入る。
無事であることを祈りながら、少女が帰ってくるの待つのだった。
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・アイテム/【レストアエッセンス】
〈説明〉
夢の中でごくありふれた、回復の効能を持つ薬。
安らかな良い香りを嗅げば、たちまち体の傷は癒えるという。
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ルウ「……最初の頃、自己回復手段が限られていたため大量に買い込んでいましたけれども、今では完全に倉庫の肥やしですね……」




