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元公爵令嬢の回顧 7

 公爵家の柱だったマーカスがいなくなって、古くからの使用人たちは残されるマーガレットを気にしながらも、一人、二人と辞めて行った。いつも美味しい食事とお菓子を作ってくれていたシェフのロブも、故郷に帰ることを決めてしまった。


「俺はね、親父と折り合いが悪くて飛び出しましてね、もう故郷には十年以上も帰っていません。でも弟が手紙で親父の具合が悪いって知らせて来ましてね、ここんとこずっと迷っていたんですよ。あんな頑固親父でも親ですから、長男としては死に水くらい取ってやらんといかんでしょう。うちの実家はアドラム王国でそこそこ大きな商家でしてね、もし何かあったらいつでも頼ってください」


 公爵家を去る前日に挨拶に来たロブはそんな風に、辞めるのはラウレンツのせいではないように言ってくれたけれど、父が連れて来た新しい料理人に厨房を乗っ取られ、ろくに料理をさせてもらえなくなったことをマーガレットは知っていた。


「本当に頼ってくださいよ、必ず力になりますから」


 そう言ってロブが手渡してくれた小さな紙切れには、アドラム王国メレディスのウィッカム商会と記されていた。

 ロブも去ってしまった後でマーガレットは、図書室でアドラム王国について調べてみた。西の大国であるアドラム王国は、調べれば調べるほど魅力的な国だった。

 まず地図で、街の名前であろうメレディスを探した。広大な国土のほぼ真ん中に位置する王都のすぐ北にその名を見つけ、王都と同じくらい大きな街であることに驚いた。他に何かメレディスに関してわからないかと本を探してみると、こちらもすぐに見つかる。


 学術都市、メレディス。アドラム王国が誇る知の都。


 ファーニヴァル王国では、学校といえば貴族が通う王立学園と騎士になりたい者が通う騎士学校くらいしかなく、平民が学ぶには教会学校と呼ばれる、神父が教師となって読み書きや簡単な算数を教える教会に通うしかない。

 教会自体はかなり小さな村にもあるが、教会学校が開かれているのはそれなりに大きな街だけだ。なのでファーニヴァル王国の識字率は地方に行くほど低くなり、村人の誰一人も字が読めないために書類が作成できず納税が滞るなどということもよくあるのだ。

 だけどアドラム王国は、教会学校は小さな村にもあるようだし、その教会学校で優秀だった者がさらに学ぶための寮を備えた学校が数多くある。

 その大学と呼ばれる学校は、十歳以上なら試験にさえ通れば誰でも通えて、もちろん授業料は必要だが奨学金制度もあるので、努力する覚悟さえあれば貧しい平民でも学ぶことが可能だ。

 大学は、それぞれ専門分野に分かれている。文官を目指す者が政治や組織の運営方法などを学べる学校、商人を目指す者が経済や流通を学べる学校、医者を目指す者が医学を学べる学校、教師を目指す者が教育を学べる学校、技術者を目指す物が様々な技術を学べる学校。もちろん騎士学校もあるし、音楽や美術などの芸術が学べる学校すらある。

 そして大学のさらに上の組織、研究所と呼ばれる物もたくさんあるらしい。

 それらの大学や研究所が多く集まる地が、ロブの実家であるウィッカム商会のあるメレディスなのだ。


「すごい」


 教育制度ひとつとっても、マーガレットが思わず呟いてしまうくらいにアドラム王国は先進的だった。国土の広さが違えば国力が違うのは当たり前だが、それにしてもファーニヴァル王国が小さく思える。

 教育制度の他にも、貧民の救済措置や上下水道や街道の整備など、見習いたいところがいくらでもある。もしマーガレットがロードリックと結婚して王妃となったなら、この中の一つでもファーニヴァル王国に導入することが出来るだろうか。


「勉強しなくては」


 使用人たちのように住み込みではなく通いだったのが良かったのか、幸いなことに母が生前につけてくれていた家庭教師たちがマーガレットの元を去ることはなく、針のむしろに座っているような公爵家での生活を送りながらマーガレットは意欲的に学び続けた。やがて、ロードリックとのお茶会の再開と共に城での王妃教育も始まり、ただ一人残ってくれたサラの助けも借りて、ますますマーガレットは自分を磨いた。


 そうして、月日は巡る。

 十五歳になり王立学園への入学を目前に控えた頃、王家から一通の書状が届いた。

 本格的な王妃教育を始めるにあたり、王宮に部屋を与えるので準備が整い次第、城に居を移すよう王の名の元に記されている。

 その書状を胸に抱いてマーガレットは、全身が安堵に包まれるのを感じた。

 この家を出て行けることは嬉しい、本当に涙が出るくらい嬉しい。だけどそれ以上に嬉しいのは、やっとサラを解放してあげられることだった。

 昔からの使用人たちが次々と辞めて行く中で、サラだけは一人頑張り続けてくれた。マーガレットがもういいから辞めてちょうだいと頼んでも、サラは笑うばかりでどうしてもマーガレットの侍女を辞めようとはしなかったのだ。

 だけど、マーガレットは知っていた。

 マーガレットが登城するのにいつもついて来てくれていたサラは、いつしか城で下級文官として働いている人と知り合い、恋に落ちたことを。

 恋人に結婚しようと言われたのに、マーガレットのためにうなずかなかったことも。マーガレットが幸せになるまで侍女を辞められないと言うサラに、恋人がいつまでも待つよと言ってくれたことも。

 知っていた、何もかも。

 城の明るくおしゃべりなメイドたちが教えてくれる罪のない噂話に耳を澄ませて、顔には笑顔をはりつけたままでマーガレットは心の中だけで涙を流していた。

 サラに申し訳なくて、だけどサラがいなければマーガレットは公爵家で暮らして行けなくて。

 だけどそれも、もう終わる。ようやくサラを解放してあげられる。


「お嬢様、私を王宮にお連れください」

「サラ、それはだめよ」

「何故ですか、どうしてだめなんですか」

「あなたは、もうそろそろ幸せにならなくてはならないの」

「私の幸せは、お嬢様にお仕えすることです」

「ありがとう……サラ、大好きよ。だから、サラには幸せになって欲しいのよ」

「お嬢様……」


 サラだってわかっているのだ、今を逃したらもう恋人と一緒になることができなくなることぐらいは。いつまでも待つよと言ってもらえたとしても、だからと言って本当にいつまでも待たせるわけにはいかないということも。

 貴族令嬢の専属侍女ともなれば、ほとんど毎日つきっきりだ。休みはもらえるけれど、何かあればそのたまの休みだって簡単に取り消しになる。子供が独立したあとの熟年夫婦ならいざ知らず、新婚の夫婦がそんなに離れて暮らすなどありえないことだった。


「結婚式が決まったら知らせてね、行けるよう頑張るわ」

「お、じょう……さまぁ」

「ほら、そんなに泣かないの」


 ポロポロと大粒の涙をこぼして泣きじゃくるサラにマーガレットは、まるで子供に言い聞かせるかのように宥めた。涙が出そうになるけれど、なんとか堪える。ここでマーガレットが泣いてしまえば、サラは絶対にマーガレットの傍を離れないだろうと思ったからだ。


「お願いサラ、幸せになって。あなたの幸せが私の幸せなのよ」


 私は好きな人と結ばれることはないけれどあなたは違うのだからと、心の中だけで続けてマーガレットは腕を伸ばしてサラの体を抱きしめた。


「大好き、本当に大好きよ、サラ」


 お嬢様、お嬢様と泣き続けるサラの髪をゆっくりと撫でながらマーガレットは、目を閉じた。この温もりをいつだって絶対に忘れないようにしようと思った。

 たとえそばにいなくても、サラが幸せに暮らしていると知っているだけでマーガレットは一人でも歩いて行ける気がしていた。



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