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元公爵令嬢の回顧 6

 マーガレットの父、モーリス・ラウレンツ公爵が、ワインレッドのドレスで派手に着飾った女性とマーガレットより少し年下に見える少女を伴って公爵家に帰って来たのは、母の葬儀から十日ほど後のことだった。父は居丈高に声を張り上げてマーガレットと使用人たちを広間に集めると、ワインレッドのドレスの女性をこの家の新しい女主人のイザベラだと紹介し、金色の巻き毛と青い瞳が愛らしい少女を娘のリリアナだと言って後ろからその肩を抱いた。

 マーカスとサラに挟まれて立っていたマーガレットは、使用人たちと一緒に何とも自慢げな父の声を聞いた。そしてマーガレットが新しく家族になったらしい二人に紹介されることもなく、では仕事に戻れという父の言葉で動き出した使用人たちと共にマーガレットも動き出し、サラを伴って自室に戻った。


「何なんです、旦那様は一体なにをお考えなんです!?」

「サラ、声が大きいわよ」

「お嬢様!」


 いつもは朗らかで優しいサラが珍しく声を荒げるので、反対にマーガレットは落ち着いていることが出来た。それどころか先ほどの、マーガレットがこれまでに一度も聞いたことがない甘い声でリリアナ、リリアナと娘を呼んでいた父の顔がてかてかと光っていたのが何だかおかしくて、怒りよりも笑いが込み上げて来る。


「お嬢様は、私がお守りします」


 だから、拳をぐっと握ってそんな誓いを立てるサラに大袈裟よと笑ったけれど、現実はマーガレットの甘さを嘲笑うように厳しかったのだ。


 夕食の準備が整いましたと呼び来たマーカスに、まさか自分が晩餐に呼ばれるとは思っていなかったマーガレットは一瞬考え込んでしまった。呼ばれると思っていなかっただけに、今のマーガレットは普段着だ。晩餐となれば着換えなければならないが、着換えに要する時間が父を怒らせてしまいそうだ。それにあの三人の一家団欒を見ながらでは料理の味がしなさそうだと思い、私は部屋で食べますと答えた。

 すると、それからいくらも経たないうちにいきなり部屋の扉が叩きつけるような勢いで開いて、窓辺に椅子を置いて本を読んでいたマーガレットの元まで父がつかつかと来たかと思うと、勢いよく頬を叩かれた。

 体を鍛えていないとはいえ、大の男が加減もせずに十二歳の少女を叩いたのだ。当然マーガレットは椅子から吹き飛ばされて、絨毯が敷かれた床の上をざっと滑った。


「お嬢様!」


 マーカスが運んで来てくれるであろう夕食のために、少し離れた位置でテーブルの準備をしていたサラが慌てて駆け寄って来る。お嬢様、お嬢様とサラが何度も呼ぶが、叩かれた頬の痛みと、床に投げ出された時に打ちつけた背中の痛みで喉が詰まって返事が出来ない。


「あいつに似て、本当に生意気だな」


 憎々し気にそう吐き捨てると、マーガレットの父である筈の男は足音を高くたてながら出て行った。続けて聞こえた足音は、マーカスのものだった。普段は廊下を走るなんてありえない老執事が血相を変えて飛び込んで来る。


「サラ、エドモンズ博士に使いを」

「はい!」


 走り出そうとしたサラのスカートの裾をマーガレットは、咄嗟に掴んだ。お願い止めてと言いたいのに声がちゃんと出ない。


「……めて、おねが……い」

「お嬢様……」


 ラウレンツ公爵家の主治医であるアラン・エドモンズを呼べば、助手の彼も一緒に来るだろう。頬を腫らしたこんな情けない姿を見られたくなかった。


「しばらく休めば……平気、だから」


 マーガレットがどうして嫌がるのか察したマーカスとサラが、悔しそうな悲しそうな心配そうな、色々な感情が混ざってしまってどうしようもない顔で大切な令嬢を見つめる。


「マーカス、私を寝室に運んで……」

「はい、マーガレット様」


 マーカスが壊れ物を扱うように慎重にマーガレットを抱き上げて、隣の寝室まで運んだ。生まれてこのかた暴力にさらされたことなどない深窓の令嬢だ、叩かれたショックで寝台に横たわるのとほとんど同時に意識を手放した。


 これは、とんでもない事になってしまったのかもしれない。


 夜中に何度も目を開けて、その度にサラがお医者様を呼びましょう、エドモンズ博士とは別のお医者様をお願いしますからと言うのに首を横に振って、また眠った。

 繰り返される浅い眠りの中でマーガレットは、これからどうなってしまうのだろうとぼんやりと考えていた。ただひとつだけはっきりしていたのは、ミルクティー色の髪の優しいあの人に、可哀想な子だと思われるのだけは嫌だという思いだった。


 そんな風に幕開けた日々は、マーガレットにとって試練の連続だった。特に妹になったリリアナのマーガレットに対する仕打ちは、父のただ怒りをぶつけるだけのものとは違い、どこか常軌を逸していた。わずか十歳の少女なのに、その底意地の悪さと狂暴性は、異常な域に達している。

 まずは、言葉による攻撃から始まった。それでなくても自身の容姿に自信のないマーガレットにリリアナは、自分の美しい金髪や青い瞳をひけらかしつつ「汚らしい髪」だとか、「陰気な目」などと嘲笑って、「こんな醜い女が王太子殿下の婚約者だなんて、なんてお可哀想なのかしら」と、顔を合わせるごとに繰り返し言い募ったのだ。

 それでもまだ、言葉だけで済んでいた最初の頃はましだった。リリアナの嫌がらせがもっとずっと直接的なものになるまで、然程の時間を要しなかったのだから。

 背中を押されたり、足を引っかけられたりは毎日のことで、一度などは階段の上で背を押されて咄嗟に手すりを掴んで難を逃れたが、下手をすれば下まで転がり落ちるところだった。

 すぐにサラが厳戒態勢を取り、リリアナの姿を見つけるとマーガレットを避難させるようになった。それでマーガレットが転ぶことは減ったのだが、するとリリアナはその矛先をマーガレットに優しくしてくれる使用人たちに向けた。

 公爵家に来てまだ一年にも満たなかった若いメイドのマリーとキャロルは、サラが教育係だったこともあってマーガレットのお気に入りだったせいでリリアナの標的にされたらしく、ちょっとしたミスからリリアナに暴力と言う名の叱責を受けて動けないほどの怪我を負ってしまった。

 すぐにマーカスが親元に連絡し、口止め料を含むかなり多額の見舞金を受け取って実家に帰って行ったのだ。

 マリーとキャロル、二人がそれぞれに公爵家を去る時にマーガレットは、マーカスが止めるのも聞かずに見送りに出た。リリアナに箒の柄で執拗に殴られたというマリーは迎えに来た父親に抱きかかえられて、裏口に横付けされた馬車に乗って帰って行った。逃げようとして階段を数段転げ落ち、足を挫いて動けないところをやはり箒の柄で滅多打ちにされたキャロルは母親と姉に両側から支えてもらって、足を引きずりながら馬車に乗り込んだ。

 ごめんなさい、ごめんなさいと何度も頭をさげるマーガレットにマリーは目に涙を浮かべながらも笑ってくれて、キャロルは「私の方こそおそばを離れて申し訳ありません」と、声をあげて盛大に泣いた。


 母を喪い、良くしてくれたメイドを二人も失い、その次にマーガレットが失ったのは、マーガレットをずっと支えてくれた老執事、マーカスだった。サラが少し離れた隙にリリアナがマーガレットを突き飛ばしたのを目撃したマーカスが、さすがに我慢の緒が切れてしまったのかリリアナの腕をつかみ、いい加減になさいませと叱ったのだ。

 リリアナはプイっと顔をそむけると同時に、靴の裏でマーカスの膝のあたりを蹴りつけてから走って逃げた。リリアナが逃げて僅か数分後、イザベラが自室から出て来て淡々とした声でマーカスに解雇を言い渡したのだ。


「お嬢様に申し開きもございません。こんな形でおそばを離れなければならないこと、どうぞ愚か者とお叱りください」


 最後の日、マーガレットの部屋に挨拶に来たマーカスは、一気にいくつも年を取ってしまったように見えた。そんなマーカスの手を取ってマーガレットは、込み上げて来た涙を無理矢理おさえ込んで笑顔を作った。


「私は大丈夫、心配しないで。それよりマーカスは、次の勤め先は見つかりそう?私に紹介状が書ければいいのだけれど……」


 公爵家を解雇された執事を雇う貴族家は、たぶんないだろう。紹介状も書いてもらえなかったとなれば、何か問題を起こしたと思われるからだ。しかも、マーカスは高齢だ。これから新しい職場を探すのは、かなり絶望的だと言わざるを得ない。

 それでもマーカスは、最後まで穏やかな笑顔を絶やさなかった。それはマーガレットにとって、とても安心できる笑顔だった。


「いえ、どうせもう引退する年なのです。私は何とでもなりますから、どうぞ心配なさらないでください」


 使用人の節度を守り、必要な時以外は決してマーガレットに触れようとしなかったマーカスが、最後にマーガレットの頭を撫でた。まるで本当の孫娘を撫ぜるような、優しい手つきだった。


「必ずまた会いに来ます」


 マーガレットがこれまで心から頼りにしてきた老執事とは、こうして離れ離れになってしまった。

 必ずまた会いに来ますという約束の言葉を胸に、マーガレットはぐっと拳を握った。


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