ある護衛騎士の暗躍 2
虚ろな表情でふらふらと彷徨い歩くロードリックの後にマティアスは黙ってついて行った。前から歩いて来たメイドがロードリックに気づくと、ヒッと短く悲鳴をあげてすぐに踵を返して逃げて行く。
「マーガレット……マーガレットはどこに……」
「そりゃあ、エドモンズ博士の研究所とかでしょうよ。今頃はもう、バラバラでしょうけど」
マティアスの意地の悪い返しにロードリックがぴたりと足を止めたので、それでようやく耳がその役割を思い出したかとマティアスは思ったのだが、残念なことに今度は耳どころか全身が仕事を放棄したらしい。
廊下の真ん中で彫像のように硬直したロードリックにマティアスは、さすがにこんな王太子の姿をいつまでも晒しているのは不味いだろうと思った。先ほどのメイドが仲間に何を言うのか、考えただけで頭が痛い。
部屋に帰りましょうと後ろから声をかけてみたがやはり聞こえないようで、これは無理矢理に引っ張るしかないかとマティアスが腕を伸ばした時だった、突然ものすごい勢いでロードリックが走り出した。
「ちょっ、殿下!」
「エドモンズ博士だ、博士はどこにいる!?」
「知りませんよ、落ち着いてください」
「解剖なんてしては駄目だ、マーガレット、マーガレット」
「今頃なにを仰ってるんですか。落ち着いてくださいって、博士なら呼びに行かせますから」
滅茶苦茶に走るロードリックに何とか追いつき取り押さえ、もう本当に色々と面倒になってしまったマティアスは、ロードリックをひょいっと肩に担ぎあげてしまった。
「ギブス、何をする!?」
「このままお部屋に戻りましょうね」
「ギブス!」
ロードリックは手足をばたつかせて抵抗したが、騎士として鍛え上げているギブスにはどうということはない。
目撃者がでるのはもう諦めることにする。ロードリックの私室より執務室の方が近かったのでそこまで歩き、ドサッと椅子に下ろしてから何事かと駆けつけてきた侍従にエドモンズ博士を呼ぶように指示して、ついでにメイドにお茶を淹れさせた。
まったく、とんだ重労働だ。特別手当を請求しなければ、割に合わない。
青ざめたメイドがカタカタと震える手で運んで来たお茶を受け取り、それを押しつけるように渡すと、喉が渇いていたのかロードリックは意外と素直に口をつけた。
まあ、あれだけ泣いたり叫んだり硬直したりすれば喉くらい乾くだろうと、幼い子供に返ってしまったようにお茶を飲む王太子を見下ろしている間に侍従がエドモンズ博士を連れて来た。出かけようとしているところを捕まったのか、博士は黒い大きな鞄をさげている。
「博士、マーガレットは!?」
博士の姿を見るなり、残っていた中身が飛び散るのもかまわずティーカップをガシャンと叩きつけるようにテーブルに置いて、ロードリックは立ち上がった。数歩で博士までの距離をつめ、縋るような口調で尋ねる。
「ラウレンツ公爵令嬢のご遺体でしたら解剖が終わりました。いやあ、素晴らしく健康な状態でしたよ」
にっこりと笑って答えたエドモンズ博士にマティアスは思わず吹き出しそうになったが、そこは堪えた。
「脳と心臓は取り出してアルコール漬けにしましてね、骨格標本も作ろうと思っているのですがこちらは時間がかかります。きっと素晴らしい物が出来ると思うのですが、出来上がりましたら殿下もご覧になられますか」
またもや彫像と化したロードリックに深々と頭をさげてから、老医師は飄々と帰って行く。その背中をマティアスは、尊敬の念を込めて見送った。
今頃マーガレット嬢は、あの若い医者の腕の中で幸せそうに微笑んでいるだろう。配下の者にエドモンズ博士の隠れ家だという邸宅を見張らせているが、今のところ緊急の報告がないので大丈夫な筈だ。
「殿下」
低めの声で呼んでみたが、ロードリックは立ったままで気を失ってしまったようで反応がなかった。体ばかりが成長して心が子供のままでは、自分が浅慮にも引き起こしたこの事態を受け止めきれず彫像になってしまうようだ。
その姿があまりに惰弱でマティアスは、またもやいらついて来た。
あれほど前向きで、か弱い令嬢の身でありながらも心はしなやかに強かったマーガレットがこんな王子に処刑されてしまうのだから、権力とは恐ろしいものだ。少なくとも、こんなお子様に持たせていいものではない。
しかし、ロードリックはこの国唯一の王子なのだ。次の王はロードリックであり、他はあり得ない。
愚か者だからと廃嫡するわけにはいかない、だったらロードリック自身に変わってもらうしかない。何かある度に彫像化する王など戴いたら、すぐに国が滅びそうだ。
マティアスは、俺の柄じゃないんだけどなと小さくぼやいてから殿下と、今度は腹の底から声を出した。
「な、なんだ」
いつも軽い雰囲気のマティアスがこんな声を出したのをロードリックは初めて耳にしただろう。急に覚醒して自分でも驚いたのか、目をパチパチと瞬かせている。
「殿下はよく、思ったことは何でも遠慮なく言って欲しいと仰いますが、それは本当でしょうか」
「は?」
「殿下はよく思ったことは何でも遠慮なく……」
「いや、それは本当だが、どうして今」
「では、遠慮なく言わせていただきたいと思います」
「は?」
自分が殺したと言っても過言ではない令嬢の遺体がどうなったか知った衝撃で気を失って、覚醒するなりこんな質問をぶつけられてロードリックは後ろによろめいた。ロードリックがさがるとその分だけ、マティアスが前に出る。
「殿下は、あまりに視野が狭すぎます。今回のことは、殿下が物事の表面しか見なかったために引き起こされた悲劇と言えるでしょう。殿下はリリアナ様の言うことを鵜呑みにしてマーガレット様を処刑されましたが、どうして少しもリリアナ様の言うことを疑わなかったのでしょうか。少しでも疑い、調べさせればマーガレット様は今でも元気だったでしょうね。大体、殿下は婚約者だったマーガレット様のどこをご覧になっておられたのですか。マーガレット様は王妃となるべく、必死で努力されておりました。殿下の執務を手伝い、書類片手に王宮中を走り回っていたのをご存知ないはずありませんよね。マーガレット様は、城外への視察も希望されておりました。例えば王都の外れを流れる川の汚染がひどくて異臭を放っているという嘆願書をご覧になって、実際に見て見なければわからないと仰って視察の手配をされておりました。その視察は実現しませんでしたが、どうして実現しなかったのかは殿下がよくご存じでしょう。リリアナ様のことだってそうです、捕縛を命じながらどうして様子を見に行かなかったのですか。真実がどうであったのか、殿下は知る必要がある」
怒涛の勢いで叩きつけられる言葉の雨にロードリックは、またもや彫像と化した。もっとも先ほどとは違って、気は失っていない。アイスブルーの目をこれでもかと見開いて、普段とはまるで違う様子の護衛騎士を凝視している。
「殿下は王太子です、力をお持ちです。殿下の命令でどういうことが起こりうるか、少しでも考えたことがおありですか。物事には表と裏がございます。王となられる殿下は、命じる前に普通の何倍も頭を働かせて物事の裏の裏の裏まで読まなければならないのです。もっと目を凝らして、周りをご覧ください。人を容易に信じてはなりません、耳に心地よい言葉を吐く者こそ疑わねばならぬのです」
「そ、そんなこと」
「なんです?」
「そんなこと、帝王学の教師は言っていなかった!」
「当たり前です、教えるまでもない常識ですから」
「なっ」
ようやく口を挟んだものの軽くいなされて、ロードリックは言葉を失った。目の前に立っている黒髪の騎士を得体が知れない者のように見つめる。
「……ギブス、お前はそんな性格だったか」
「違いますね」
「だったら、何故」
「マーガレット様は、とても愛らしい令嬢でした」
「もしかしてお前、マーガレットを愛していたのか?」
「さあ、どうでしょう」
マティアスはマーガレットを好ましく思っていたが、それは男が女へ向ける愛情ではなかった。どちらかと言えば、年の離れた妹を見守っているような気持ちが近い。
しかし、そんなことはどうだっていいのだ。
ここまで言われてなおそんな幼稚な発想しか出てこないロードリックをどう導くべきか。今、マティアスがすべきことはロードリックを狂わせないことだろう。狂気に逃げる道を塞いで正気を保たせ、その上で苦しみの地獄に叩き落すことだ。
苦しみが王を育てる。
そのためには、考えさせなければならないだろう。
ただマーガレットの死を嘆くのではなく、闇雲に己を責めるだけでなく、どうしてこうなったのか、どうすればよかったのか、そしてこれからどうすればいいのか。
この国唯一の王子として、ロードリックは考えなければならない。
「ギブス……すまなかった」
「それは、私が受け取るべき言葉ではありません」
「そう、だな……」
よろよろと自分の席に戻って、全身の力が抜けたように手足をだらんと垂らしたロードリックにギブスは、軽く頭をさげてから部屋を出た。
時間が必要だろう、あの王太子はあれで地頭は悪くないのだ。マティアスが言った言葉はじわじわと染みていく筈だ。
目隠しは取ってやった、あとは自分の足で立ち上がるしかない。
「やっぱ、特別手当を請求してやる」
小さく呟いて、ギブスは歩き出した。
このまま宿舎に帰って一眠りしたいところだったが、残念なことにその日の勤務時間はまだたっぷりと残っていたのだった。
マティアスが七日前のことを思い出しながら残っていたエールを喉に流し込み、グラスを置いた瞬間にまた店主がすっと入って来た。からになったグラスを回収し、お代わりのエールを二杯置く。そしてその横に香草をまぶして焼いた鶏肉の皿を置いてから、また黙って出て行く。
いつものことながら見張っているのではないかと思うような絶妙なタイミングなのだが、最初の頃はしきりに不思議がっていたロイも今では慣れたもので気にもしていない。
実はあの店主はギブス家の配下で、若い頃は腕利きの影だったと言えばロイは驚くだろうか。
いや、驚かないだろうなと思いながらマティアスは、熱い鶏肉を口に放り込む。
「あー、あのマーガレット嬢がもうこの世にいないのか。今でも信じられん」
ぼやくようにそう言って、ロイはマティアスをちらりと見た。この悪友は頭がいいからとっくに色々と察しているだろうが、頭がいいから気づいていないふりをしているのだ。
秘書官である自分がマティアスに利用され、王太子のことや執務室の様子を吐かされていることでさえ気づいているのだろうに、それでも誘われたらこうして出て来てマティアスと差し向いで酒を飲むのだから豪胆なことこの上ない。
もう少しすれば弟を秘書官として送り込める筈だが、それまではこの悪友につき合っていただくつもりだ。昨今は、影も人手不足なのだ。
「それで、あれは働いてるのか?」
悪友がわかっていることをわかった上でこう訊けば、ロイも鶏肉に手を伸ばした。
「それが、鬼気迫る勢いで働いてるんだよ。げっそりと痩せて、目の下に隈をこしらえてな、今にも倒れそうなのに休みなく書類と格闘してらっしゃる」
「そりゃあ重畳てなもんだろ」
「これまでは自分の席で署名するだけだったのに、書類を持って各部署を自分の足で回ってる。もっとも王太子に直接来られる各部署にとっちゃ、迷惑以外の何物でもないだろうけどな」
「違いない」
食事が喉を通らず、夜も眠れなくてじっとしていられず、働くしかないのだろう。麗しい王子様だったロードリックは、この数日ですっかり様変わりしてしまった。自信に満ち溢れていた正義の王太子のやつれ果てた姿は、一種の迫力を醸している。
王立学園は、卒業までまだ少しあるのだがもう行けないだろう。卒業に必要な成績は十分に足りているだろうから問題ないだろうが、卒業式にさえ出ないなら色々と詮索されるのは致し方ない。
ちょっと追い詰めすぎてしまっただろうか、精神と体力の限界が同時に来た時は危ないかもしれない。
「ロイ、あれは自死を選びそうに見えるか?」
「いや、それはないだろう。あれで責任感は強い」
「自分の負った物の重さくらいは、理解しているか」
「そうだろうと思うぞ」
それならば、なおさら辛いだろう。
婚約者の妹と恋仲になった王太子が罪のないマーガレット嬢を処刑したというのは、細かい事情まではわからないにしても今では城中の者が知っていることだ。そのあとのリリアナ嬢の死は広まっていないが、それでもすぐに発表されると思われていた婚約が発表されないのだから何かあったと皆が勘ぐっている。
そんな中で、あの中身お子様な王太子が必死で働いている。
いっそ死を賜ったり、廃嫡されて幽閉にでもなった方がよっぽど楽になれるはずだ。しかし、王国でただ一人きりの王子には、そんな楽な道は選べない。
三人もの人間が自分のせいで死んだ今、王子が眠れるようになるまで如何ほどの時間がかかるのだろうか。
今夜あたり、主のところに行くか。
そう思いながらマティアスは、エールを呷った。喉を滑り落ちて行く心地よい刺激を楽しみながら、頭の中で報告する内容を整理していた。
次は、王様視点のお話です。