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ある護衛騎士の暗躍 1

護衛騎士ギブス視点です。

 馴染みの店の扉を開けると、狭い店内はすでに陽気な酔っ払いたちで満席だった。王太子付き護衛騎士マティアス・ギブスは、カウンターの向こうに立っている店主に軽く手をあげて見せてから、体を横にして椅子と椅子の隙間を進み始めた。

 一番奥まで行くと、従業員以外立ち入り禁止と書かれた札が下がっている扉がある。マティアスは躊躇いなくその扉を開け、食材保管庫になっている小部屋に入った。そしてそのまま、両側に野菜が入った木箱や酒瓶が並んでいる棚の間を通り抜ける。

 食材保管庫を抜けた先には、小部屋が三室ほど並んでいる。手前の扉には休憩室と書かれた札が、真ん中の扉には事務室と書かれた札がさがっている。マティアスの行先は、何の札も下がっていない一番奥の部屋だ。

 常連のための特別室というわりにたいして綺麗な部屋ではないが、人の耳を気にせず話せるのでマティアスは気に入っている。


「先にやってるぞ」


 マティアスが扉を開けた途端に、エールのグラスを高く掲げた学園時代からの悪友、ロイ・アンヴィルの声がかかった。


「お疲れさん」

「おう」


 濃い茶色の髪と薄い茶色の瞳の、見慣れた顔の向かいにドサッと体重を投げ出すように座るとほぼ同時に先ほどカウンターの中にいた店主が現れ、マティアスの前に黙ってエールのグラスを置いて行く。

 この主人が喋らないのはいつものことだ、あれで別に不機嫌なわけではない。

 店主の足音が聞こえなくなってから、ロイが口を開いた。エールのグラスを手に持ったままで、にやにやと笑っている。


「マティアス、あれを相当いじめただろう」

「へこんでたか?」

「へこむとかいう次元じゃねえよ。とりあえず息はしてるという状態、いい男が台無し」


 ロイが言う『あれ』とは、王太子ロードリックのことだ。いくら個室とはいえ堂々と悪口を言う以上は、さすがにそこは濁す。もっとも濁すのはそこだけで、あとは言いたい放題なわけだが。


「いい男、ねえ」

「顔はいいだろ」

「俺の好みじゃない」

「お前の好みはどうでもいい、つーか男が男の好みを語るな」

「ちなみにお前の顔は、割といける」

「いくなよ、どこにいくんだよ!」


 仕様もない軽口をポンポンとやり取りしながらマティアスは、取っ手がついたエールのグラスを持ち上げた。


「エイデンが辞表を出した、アレンビーとリードもまともに仕事してない」


 ばれない程度に上手く手を抜いてると続いたロイの言葉にうなずき、勢いよくエールを喉に流し込む。一気に大きなグラスの半分ほどを消費してから、黒胡椒が効いた揚げ芋に手を伸ばした。もう冷めているが、腹が減っていると何でも美味いものだ。


「エイデンは嫡男だから辞めて爵位を継げばいいだろうけど、アレンビーとリードは跡取りじゃなかったろ?」

「ああ、アレンビーは次男だし、リードは長男だが外腹だから家は弟が継ぐ。せっかく王太子つきの秘書官になれたんだ、辞める訳にはいかないから余計に腐ってんだよ」


 トマス・エイデン、ブルーノ・アレンビー、ロナルド・リード。それにロイを加えた四人が、王太子執務室つきの秘書官なのだ。あとは執務官のランドルフ・ダックワースが王太子執務室にいつもいる顔ぶれとなる。

 王太子執務室付きとなった時点で、文官としての将来は約束されたようなものだ。特に執務官は、王太子の右腕だ。ランドルフ・ダックワースは今の宰相の息子であるからことからも、将来の宰相の最有力候補なのだ。


「あいつら三人そろって、マーガレット嬢に惚れてたからなぁ。ダックワースは嫁さんにベタ惚れだからそんな目では見てなかったみたいだけど、それでもマーガレット嬢の優秀さは認めてたぞ。他の女とはろくに喋らないのに、マーガレット嬢には丁寧に業務を教えたりしてな」

「まあ、あれだけ愛らしい令嬢ならそれも仕方ないだろ」

「お、マティアスが女を愛らしいなんて言うの初めて聞いたぞ」

「そう言うお前は、マーガレット嬢を可愛いと思っていなかったのか?」

「思ってたに決まってるだろ。あんな可愛い上におっぱいでかくて、頭が良くて頑張り屋でおっぱいでかい令嬢があれの嫁になるのかと思う度に俺は、世の不条理を噛みしめてたね」

「おっぱいでかいを二度言ったな」

「大事なことだからな」


 執務を覚えたいのだと自ら進んで王太子の仕事を手伝って、王宮内を駆け回っていたマーガレットの護衛によくついていたマティアス自身も、何にでも前向きで躊躇なく飛び込んでいくその姿を好ましく思っていた。

 もっとも、秘書官たちのように惚れはしなかったが。

 王太子の婚約者である時点で惚れても無駄な令嬢であったし、それ以上に彼女には心から愛する男が別にいたのだ。

 書類を手にあちらこちらの部署を巡るマーガレットは誰に対しても常に笑顔だったが、その笑顔がひときわ輝く瞬間があることをマティアスは気づいていた。


 レイナルド・エドモンズ。


 マティアスとは王立学園で同学年だったが、クラスが違ったので親しくはない。何かの時に何度か喋ったことはあるが、その程度では知り合いと呼べるのかさえあやしい。

 友人を名乗れるほどの関りはなかったし、あちらがマティアスを覚えているかどうかもわからない。現に同じ王宮に勤めていても声を掛け合うこともない。

 そのレイナルド・エドモンズにばったりと会った途端にマーガレットから喜びが溢れ出すのを、護衛として付き従っていたマティアスは何度も目撃した。いつだって可愛らしい令嬢だが、好きな男を前にした時のあのとろけるような笑顔は、女性への興味がいささか枯れている自覚のあるマティアスでさえ見惚れてしまうものだったのだ。


「今頃あの三人、どっかで飲んで泣いてるぞ。マーガレット嬢が処刑されてから毎晩だ」

「最近ずっと揃って青い顔してるなと思ったら、二日酔いかよ」

「飲まなきゃやってられないんだろうよ。エイデンがあれに殴り掛かろうとするのを、アレンビーとリードが二人が掛かりで抑えてたこともあるしな」

「殴ればさすがに、本人だけでなく家まで罰せられるだろう」

「下手をすればエイデン伯爵家の存亡の危機だ」

「あんな馬鹿のために家を潰すとか、それこそ馬鹿の所業だ」

「違いない」


 マーガレット・ラウレンツ公爵令嬢が無実の罪で処刑されてから、すでに七日が経過している。そして、姉を王太子の婚約者の座から引きずり下ろすために処刑にまで追い込んだ妹の方が、父親による無理心中に巻き込まれて命を落としたのが四日前だ。

 おおっぴらに処刑されたマーガレットとは違い、こちらの親子心中は内々に処理された上に関わった者には箝口令が敷かれたので、知れ渡ってはいない。そのうち、病死したとでも発表になるのだろう。

 わずか数日のうちに当主と令嬢二人が亡くなり、由緒正しきラウレンツ公爵家はあっけなく潰えた。

 夫人だけは生き延びて、爵位を失い平民となって修道院に入ったそうだ。贅沢な生活に慣れている元公爵夫人が果たして清貧な修道院の生活に耐えられるのかどうか、いっそ家族と一緒に命を落とした方が幸せだったのかもしれない。


「マティアス、お前があれを地下牢まで連れて行ったんだって?」

「ああ、命令するだけで自分は動かないのがどうにもむかついて、ついな。あの馬鹿、マーガレット嬢の尋問の時も一度も見に行かなかったらしい。自分の命令一つでどういうことになるかくらい、いい加減にわからなきゃならんだろ」


 マーガレットの処刑直後のことだ、マティアスはマーガレットの部屋に残されていた数少ない遺品を木箱に詰めて王太子の執務室に持って行った。そして、わざとマーガレットに同情しているようにふるまってみたのだが、王太子の表情に変化はなかったのだ。

 しかし、マティアスが執務室を出たあとで何がどうなったのか、その日のうちにラウレンツ公爵家の次女、リリアナが捕縛された。


 婚約者を死刑にした僅か数時間後に、今度は恋人を投獄させたとの知らせにマティアスは慌てて執務室に戻ったが、そこにロードリックの姿はなかった。そこでマティアスが次に向かったのは、南翼にあるロードリックの私室だった。

 王族の部屋がある南翼には限られた者しか入れないが、護衛騎士であるマティアスは勿論、その限られた者の一人だ。

 扉を叩いて声をかけても返事がなかったが、構わず中に入った。入ってすぐの部屋は居間で、その奥にある扉の先が寝室となる。

 寝室の扉も躊躇なく開ければ、ロードリックは寝台に横向きに寝転んで、何も見ていないような生気のない目からただ静かに涙を流していた。

 十八歳にもなった大の男、しかも将来はこの国の頂点に立つ王太子だ。あまりに情けないその姿にさすがのマティアスも、腹の底を弱火で炙られるようないらつきを感じた。


 マティアスの実家であるギブス家は、一見はごく普通の領地持ちの伯爵家なのだが、その実は王家の影と呼ばれる配下を数多く抱える、諜報をつかさどる一族なのだ。その特殊な立ち位置のため、ギブス家に生まれた子供は幼い頃より特殊な訓練を受けさせられる。

 感情をコントロールするなど三歳で覚えさせられた基本中の基本で、普段のマティアスならどんな場面でも感情を揺らすことはないし、もし揺らしたとしても抑えることなど造作もない。

 だけど、この時ばかりは感情的に動いた方がいいような気がした。


 何をなさっているのですか行きますよとロードリックの腕をつかみ、騎士の腕力を発揮してほとんど釣り上げるように無理矢理立たせた。そしてそのまま、引きずって歩き出す。

 それだけで不敬罪に問われてもおかしくない暴挙なわけだが、何をする、どこに行くんだと騒ぐロードリックには一言も答えないままずんずんと歩き続け、階段もどんどんと降りて地下牢まで来たが、マティアスが助け出すまでマーガレットが囚われていた汚い一般牢にリリアナはいなかった。

 近くにいた騎士に訊くと、貴族牢に入れたと言う。すぐに引っ張って来てマーガレット嬢と同じように尋問しろと怒鳴りつければ、ぴょんっと一度飛び上がってからあたふたと走って行く。

 騎士の惰弱化は図られたことではあるけれど、さすがにこれは情けない。マティアスは軽く息を吐いてから、まだ引きずっていた王太子の腕をようやく放した。


「ギブス、これは一体どういうつもりだ!」

「どういうつもりも何もないでしょう。リリアナ様を捕縛させたなら、どうして殿下は見届けないのです。為政者としても、恋人としても、それくらいは最低限の義務ですよ」

「そ、そうか」


 掴まれていた手首をさすりながら一旦は嚙みついたロードリックだが、マティアスが発する圧に押されてすぐにおとなしくなる。

 そのうち、ギャーっという魔物でも入り込んだかと思うような金切り声が聞こえてきた。地下は音が響くから、一気に異様な雰囲気が広がった。


「痛いわよ、どこ触ってんのよ!」

「お静かに願います……ちょ、暴れないでください」

「放しなさいよ、私を誰だと思っているの!?」


 屈強な騎士が二人がかりで、華奢な令嬢一人に悪戦苦闘しながら階段を下りて来る。何とか地下まで来ると、リリアナの目は呆然と突っ立っていたロードリックをすぐに見つけた。


「ロードリック様!嬉しい、私を迎えに来てくださったのですね」

「あ、いや」


 王太子に飛びつこうとしたリリアナを騎士がやはり二人がかりで押さえる。椅子を用意しろ、早く縛れと声が飛び交った。


「どうして縛るのだ、か弱い令嬢だぞ」


 椅子が用意され、騎士が縄を持ち出しきてようやく我に返ったのか、ロードリックが慌てたように口を開いた。そのあまりに愚鈍な台詞に、マティアスの瞼が勝手におりて半眼になる。


「どうしてって、リリアナ様の場合は暴れるからというのもあるでしょうが、おとなしくしていたマーガレット様だって縛られていましたよ」

「まさか!」


 椅子に押さえつける者と、手を胴体ごと後ろで縛る者と足首を縛る者、今度は三人がかりで拘束されていくリリアナをロードリックは目をこれ以上は無理というくらいに見開いて凝視していた。


「ほら、早く尋問を始めろ。いいか、マーガレット様の時と同じようにしろよ」


 マティアスが声を張ると、近衛騎士の命令に地下牢担当の下っ端な騎士たちが面白いほど飛び上がる。そして、すぐに尋問が始まった。


 毒はどこで手に入れた、誰に飲ませるつもりだった。


 リリアナの場合はマーガレットを陥れるために毒を手に入れたのだから誰かに飲ませるのが目的ではなかっただろうが、マーガレットの時と同じように尋問しろとマティアスが言ったからだろう、ギャーギャーと叫ぶリリアナの声に交じって同じ台詞が何度も何度も繰り返される。


「何だこれは、一体……」

「だから、尋問ですよ。マーガレット様の時は、これが丸一日以上、休みなく続いたそうです」

「そんな馬鹿な!」

「馬鹿なも何も、事実です。最後にはマーガレット様が倒れて、その倒れる時に頷いたように見えたってことで、自白したとなったそうですよ。殿下には、すぐに自白したという報告が行った筈ですが」

「確かに来た……倒れた時に頷いたように見えたとは何だ?私は、自白したとしか聞いていないぞ」

「だから、自白したことにされたんですよ。殿下が絶対に自白させろと命じた騎士たちによってね」

「何だそれは……嘘だろう?」

「嘘じゃないことぐらい、これを見たらわかるでしょう」


 尋問は続いている。リリアナの口から発せられる令嬢とは思えない騎士たちを罵る汚い言葉の方が大きくて切れ切れにしか聞こえないが、同じ質問が同じ調子で何度も繰り返されている。


「まさか、そんなまさか、マーガレット……そんな」

「自分が休暇中でなかったら止めていたんですがね、残念です」


 とうとうロードリックの膝が崩れた。冷たい石床に四つ這いでうずくまり、まさか、そんなと繰り返している。


「助けてよ、ロードリック、何をしているのよ。この人たちおかしいのよ、ロードリック」


 王太子を堂々と呼び捨てにするリリアナに騎士たちは戸惑っているが、当のロードリックは聞いていない。冷たい石床に蹲ってその唇が紡ぐのは、幼い頃からの婚約者の名前だ。

 ポタポタと落ちる雫が、床に丸い染みを作る。


「マーガレット……すまない、マーガレット」


 マティアスがマーガレットの遺品を木箱に入れて王太子執務室に行ったのは、正午を少し過ぎたあたりだった。あの時点では、目の前でロードリックの名を叫んでいる令嬢は大切な恋人だったであろうに、わずか数時間で声さえ聞こえなくなるとは、この王子の心の未熟さはどうしたものか。

 これではまるで子供だ、恋愛をするには早すぎたのだろう。いや、恋情というもの自体を理解していなかったのか。

 ただ、恋をしている自分に酔っていただけの王子様だ。


「殿下、ロードリック殿下」


 何度か呼びかけてみたが、どうやらマティアスの声も聞こえていないようだ。

 どれくらいそうしていただろうか、叫び続けたリリアナの声がさすがに掠れてきた頃にロードリックはふらりと立ち上がり、ふらふらと歩き出した。

 そのあとにマティアスは、黙ってついて行く。

 どこに行くのよとリリアナが必死に声を絞り出していたけれど、それも耳に入っていないようだった。


 まるで夢遊病者だ。


 もしこんなのが夜中に城内を歩いていたら悲鳴があがるだろうなと、ふらふらと歩くロードリックの姿にマティアスは苦笑いした。


後編もあとで投下します。

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