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元公爵の後悔 2

残酷な描写があります。

苦手な方は、離脱してください。


 赤黒いシミがついていて、洗濯しても取れないのですと広げられた可愛らしいクリーム色の子供用ドレス。スカートの裾にはぐるりと花の刺繍が施されているが、その刺繍が何か所も汚れている。

 私が猫に餌をやったから寄って来るようになってしまって、その猫たちがと……、そこまで言ってメイドは声を詰まらせた。

 それはリリアナのお気に入りの侍女ではなく、洗濯や掃除などをする屋敷で一番下層のメイドだった。どうやら猫好きの使用人とは、このメイドのことらしい。リリアナのドレスを握りしめた荒れた手が小刻みに震えていた。

 モーリスは、このことは誰にも言うなとくぎを刺してメイドを帰した。残った執事には、他に汚れたドレスや靴があったら処分するよう言いつける。そしてモーリスはその足で、街の本屋に向かった。


 子供は時に残酷なものだと書かれていた本は、何だっただろうか。どこでいつ読んだのか思い出せずにそれらしい本を片っ端から書棚から抜いてみるが一向に見つからない。

 育児書かと思ったが、考えてみればリリアナが生まれるまでのモーリスが育児書など手に取るわけがない。そして、リリアナが生まれてからのモーリスは読書する時間があればリリアナと遊んでいた。だったら違う本だろうか、学生時代はどんな本をよく読んだのだったか。

 娯楽小説の類は読まなかった。経済学の本や、政治の本は領地経営の助けになるかと思ってよく読んだ。あとは心理学の本などは、ちょっと興味があったので読んだことがある。


 そうか、心理学か。

 もしかしたらリリアナは、心の病なのか?


 子供が小動物を殺す、その心理。専門家ではないモーリスにはわからない心の病があるのかもしれない。

 結局、本はいくら探しても見つからなかった。あと出来ることとなれば、医者に相談することぐらいしか思いつかなかった。

 医者といってすぐに浮かんだのは、ラウレンツ公爵家の主治医である有名な医学博士の名前だった。あの博士ならモーリスの疑問に答えをくれる可能性は高いだろう。しかし王宮侍医である医者にそんな相談をしてもし誰かに漏れでもしたら大変なことになると気づき、リリアナの将来を思うとここは慎重に動くべきだと気を引き締めた。

 結局、惜しみなく金を使って心の病を専門に研究している医師にひそかに連絡を取り、他言無用の約束を取り付けてリリアナを診察してもらうことが出来たのはそれから二年も経ってからだった。


 暴力症。


 暴力の衝動を抑えられず、また暴力に対する忌避感が著しく低い心の症状をそういうらしい。普通の人間は血を見たがらないものだが、暴力症の患者は血を見れば興奮するのだとか。

 モーリスは、小鳥の雛を踏み潰したリリアナの白い靴を思い出した。血で汚れても、リリアナは嫌がっていなかった。

 今のところ治療法は確立されておらず、なるべく心を乱さず静かに暮らすしかないと言われてどう答えたらいいのかわからない。

 もっとも子供のうちは多かれ少なかれ暴力症を持っているものなので、まだ幼い令嬢ですのでたっぷりと愛情をかけて育てればそのうち治まるでしょうという医者の言葉をよすがにモーリスは、リリアナをしっかりと抱きしめて馬車に揺られて帰った。


 ちょうどその頃にラウレンツの本家からフローレンスが病に倒れたとの知らせと、一度帰るようにと何度も使いが来たがそれどころではなかったので全て無視していた。


 これまでも出来る限りの愛情を注いできたつもりだが、これからはもっと愛さなければならない。

 モーリスは一日の大半をリリアナのそばで過ごし、命の大切さや人を傷つけてはいけないのだということを根気よく教えた。

 その甲斐があってか猫が死ぬことはなくなったし、リリアナのせいで怪我をする使用人も出なくなった。


 そして、フローレンスの死の知らせを受けてモーリスは、ラウレンツ本邸にその居を移した。


 今にして思えば、あの転居が失敗だったのだろう。兄の恋人だった女と一緒に暮らしたくなくて別邸を構えていたが、フローレンスが死んだならあの広大な屋敷で暮らそうかと思っただけだったのだが、もしもあのまま別邸で暮らしていればリリアナがここまで狂うことはなかったのだ。


 生まれて初めて会った、半分血の繋がった姉。

 マーガレットを見た時のリリアナは、その可愛らしい顔にはっきりと嫌悪を浮かべていた。


 モーリスはマーガレットの父親が本当は死んだ兄だということをリリアナにはもちろん、イザベラにも話していなかった。フローレンスが話したとは思えないから、多分マーガレットも知らないだろう。

 マーガレットはモーリスの娘とし、本当の父のことは誰にも話さないというのがモーリスが公爵位を継ぐ条件だった。貴族の義務として王家に提出したマーガレットの出生届にも父親はモーリスとなっている。前ラウレンツ公爵とフローレンスが亡くなった今ではそんな条件は無効になったようなものだが、虚偽の届けは罪になるし、なによりもマーガレットが王太子の婚約者になった以上は墓場まで持って行くしかない秘密になってしまった。


 しかし、その王太子の婚約者という点が、リリアナには許せなかったらしい。

 父がよくみすぼらしい娘だと蔑んでいた姉が、よりによって未来の王妃なのだ。


 その怒りが、一時は治まっていたリリアナの暴力症を起こしてしまった。

 しかも、成長したリリアナは自分の行いが人の目にどう映っているかもう学習していたので、巧妙に隠したり誤魔化したりするすべも手に入れていた。

 本邸に移ったことで、これまで放りっぱなしだった公爵家の仕事をいくらかこなすようになったモーリスが見ていない時だけリリアナはマーガレットや、マーガレットが可愛がっていた使用人を虐めた。

 もっともそれらの出来事は全て執事のマーカスによってモーリスに逐一報告されていたのだが、リリアナの標的があの可愛げのないマーガレットということで、モーリスは積極的に止めようとはしなかった。


 あれからさらに暴力症について調べたモーリスは、抑えつけるだけでなくある程度の発散をさせてやることも効果があるということを知ったのだ。そういう意味でマーガレットは、ちょうどいい生贄だった。


 もしもマーガレットが大怪我を負うようなことになったとしても、それを理由に王太子の婚約者をおりられるかもしれない。それならそれで都合がいいと、モーリスは思っていた。王妃を出す栄誉など、モーリスには関心のないことだったのだ。

 やがてマーカスがイザベラの独断で辞めさせられると、古くからの使用人たちは一人、二人と辞めて行った。使用人の質が落ち、歴史あるラウレンツ公爵邸は徐々にくすんでいったけれど、リリアナしか見ないモーリスはそんな変化にも気づかなかった。


 十五歳になったマーガレットが王妃教育のために王宮に移ると、別邸で暮らしていた頃と同じ親子三人の毎日が戻って来た。もうレディーと呼んでも差し支えない美しく成長したリリアナは、数人のお気に入りの侍女たちを侍らせて穏やかに暮らしているようにモーリスの目には見えていた。

 猫が庭で死んでいたという報告は来ないし、リリアナが使用人に暴力を振るっている様子もない。マーガレットを虐めたことでちょうどよく発散できたのだろうと、モーリスは安心していたのだ。


 天使のように美しい娘との穏やかな暮らし、モーリスはこの幸福がずっと続くのだと思っていた。


 やがて、リリアナが王立学園に入学した。

 リリアナは何を着ても似合うが、王立学園の制服は特に似合った。美しいリリアナが学園で受け入れられない筈もなく、楽しそうに登校する愛娘をモーリスは毎朝見送った。


 そう、モーリスは知らなかったのだ。リリアナが学園で何をしていたのかを。

 まさか姉の婚約者をたらしこみ、奪っていたなどと本当にモーリスは知らなかった。


 マーガレットが投獄されたと知らせが来た時、モーリスは何かの間違いだろうと思った。あの娘は容姿に恵まれなかった代わりに頭は良いようだから、投獄されるようなへまをするとは思えなかった。

 しかし、間違いだろうと思いつつもとりあえず赴いた王宮には何故かリリアナがいて、王太子の腕の中で泣いていたのだ。

 モーリスが来たことに気づいたリリアナは、王太子の腕を脱け出して、今度はモーリスの腕に飛び込んで来た。恐かったのお父様と言って、モーリスを見上げたリリアナはニタリと笑っていた。その顔を見た途端、氷の塊が背中を滑り落ちた気がした。

 マーガレットが毒を手に入れてリリアナを殺そうとしたので捕縛した、今は尋問の最中だと説明してくれた王太子の声がひどく遠く聞こえた。リリアナと一緒に事情を聞きたいのだがかまわないだろうかと言われれば、頷くしかない。

 王太子の秘書官らしき金髪の男が記録係を務め、何人かの騎士たちが見守る前でリリアナは、これまでいかにマーガレットから虐められていたかを涙を流しながら語った。そして最後にマーガレットの部屋のクローゼットから毒の瓶を見つけて、恐くなって王太子に相談したのだと結んだ。

 最初から最後まで本当のことなどひとつもなかったが、秘書官によって記録されてしまった以上は、今さら嘘ですなんて言える訳がない。

 リリアナをゆっくり休ませてやってくれと言う王太子の慈愛に満ちた眼差しに見送られて公爵家に帰って来た後でリリアナに問いただせば、だってお姉様が王妃になるなんておかしいものと答える。そこに罪悪感の欠片も感じられず、モーリスはその場に座り込んでしまった。

 毒はどうやって手に入れたか訊けば、下働きの男に頼んだら買って来てくれたわよと笑う。

 下働きの男と聞いて、すぐに浮かぶ顔があった。庭の隅にある作業部屋で寝泊まりしている二十代半ばの大柄な男は公爵家に勤められるような生まれではないが、以前、リリアナのせいで足を悪くして引退した庭師の紹介で仕方なく雇い入れた。その男が時折、リリアナが庭を散歩してるとじっと見ているのが気にはなっていたのだ。だけどリリアナの周りにはいつも侍女がいるから間違いは起こらないだろうと油断していたのだが、まさか国で厳しく取り締まっている毒を手に入れるほどリリアナの言いなりになっていたとは。


 そんな風にモーリスが知った時には、もうどうしたって取り返しのつかないところまで来てしまっていたのだった。

 その翌日にはまた王宮に呼ばれ、今度は王や大臣達が並ぶ前で証言を求められたが、昨日と同じことをまた涙を流しながら語るリリアナを止めることは出来なかった。


 一体、どこで間違えてしまったのだろう。

 やはり本邸に移ったことが間違いだったのか、それともリリアナの暴力症がわかった時点で一緒に死んでやればよかったのだろうか。


 とにかく巻き添えを食らわないよう、処刑が確定したマーガレットは離縁して、ラウレンツ公爵家とは関係のない娘だと言い張れるようにした。しかし、そんなことをしても何の助けにもならないことは、モーリス自身が一番よく知っていた。


 後悔しても、もう遅い。

 破滅の足音は、すぐそこまで迫っていた。


 王宮に部屋を賜ったから屋敷を出ると言うリリアナを必死で止めたけれど、リリアナはもうモーリスの言うことなど聞きはしなかった。どうしても行くと言うなら一人で行け、公爵家の侍女を連れて行くことは許さんと言ってみたが、そんなのどうでもいいわよと鼻で笑われた。

 これまでにリリアナにつけた侍女は何十人と辞めて行ったが、その中で今残っている三人の侍女たちはリリアナの好みを熟知していて、あの侍女たちがいなければリリアナの生活は成り立たないのだから、その侍女たちを連れて行くなと言えば少しくらいは考えるかと思ったのに。

 馬鹿にしていた姉の婚約者をまんまと奪った上に、姉を処刑に追い込んだその時のリリアナはひどく浮かれていた。

 そんな状態のリリアナが王宮でおとなしくする訳がない。


 リリアナが屋敷出てからの数日で、モーリスはげっそりと痩せた。

 そして、また王宮から呼び出しがあった。モーリスの悪い予感はそのまま当たったのだった。













 扉を叩く音にモーリスは、伏せていた顔を上げた。入れと言うと、銀のトレイを持ったメイドが入って来る。


「ラウレンツ公爵様、お言いつけ通り二杯分だけお淹れいたしました」

「ああ、後は自分でできるから下がってくれ」

「かしこまりました」


 メイドが置いて行ったトレイの上には小さめなティーポットとカップが二客。後は、砂糖壺とガラス製のミルクピッチャーだ。

 モーリスは、ティーポットの蓋を開けると上着のポケットから小指ほどの大きさの茶色い小瓶を出して、中身を湯気の立つ紅茶に垂らした。それから少し考えてから、砂糖とミルクも入れてしまう。リリアナは甘いミルクティーが好きだから、これなら飲むだろう。


 レプトリカの毒は、下働きの男を脅してもう一度手に入れてこいと言えばその日の内に買って来た。ファーニヴァルは一応、毒に厳しい国な筈なのに、こんな簡単に手に入るとはなんともお粗末なことだ。

 初めて主の部屋に入ってキョロキョロと見回している男に少し待っていろと言い置いて隣の部屋に行き、用意しておいたウイスキーの瓶に受け取ったばかりの毒を半分ほど入れた。

 レプトリカの毒は数滴で死ぬらしいから、十分な量だろう。褒美だと言って渡した酒を飲むかどうかは知らないが、なんとなくあの男は飲むような気がした。


 そして残った半分を今、ティーポットに入れた。


 モーリスはトレイを持って部屋を出て、扉の前で待機していた騎士の先導でリリアナが捕らえられている貴族牢に向かった。


「リリアナ!」


 貴族牢の扉の前に立っていた見張りの騎士の二人のうちの一人が鍵を開け、中に入った途端にモーリスは思わず叫んでいた。入って左手の壁際に置かれた寝台の上でリリアナが両手足を縛られ、猿ぐつわを嚙ませられていたからだ。

 モーリスに気づいたリリアナが、陸に上げられた海老のようにジタバタと暴れた。何か言っているのか、んーんーと聞こえる。


「何だこれは、牢の中でまで縛る必要はないだろう!」


 最愛の娘のあまりにも哀れな姿に怒鳴れば、モーリスを控室から先導してきた黒髪の騎士が何が可笑しいのか妙にいい笑顔で口を開いた。


「それは仕方ありませんよ。こうしてないとリリアナ嬢は、叫ぶわ暴れるわでして」

「そんな……」

「いやあ、お元気なご令嬢で」


 黒髪の騎士が顎をしゃくると、見張りの騎士が二人がかりで縄を解き、猿ぐつわを外した。自由になった途端にリリアナは起き上がり、ふざけないでよと叫びながら手前にいた騎士の胸のあたりを両手で突き飛ばした。


「ね、お元気でしょう?」


 振り上げた腕を右にいた騎士に掴まれ、それならばと左にいた騎士に向けて足を振り上げればかわされて、リリアナが悔しそうな金切り声をあげる。モーリスは慌てて持っていたトレイを部屋の中央あたりにあったテーブルに置いて、リリアナに駆け寄った。


「リリアナ、落ち着くんだ。暴れるんじゃない」


 両腕で包み込むように抱きしめても、まだリリアナは暴れた。糞野郎なんてとても令嬢の口から出たとは思えない汚い言葉にモーリスは、手の平でリリアナの口を塞ぐ。


「お父様だよ、リリアナ。落ち着いて」


 モーリスがリリアナを宥めている間に、三人の騎士たちは外に出て行った。扉が閉まる音が聞こえてから、ようやくリリアナがおとなしくなる。


「リリアナ……」


 何と言えばいいのかわからなくて、モーリスはただその名前を呼んだ。どうしてこんなことをしたんだと叱るべきなのかもしれないけれど、最早それも意味のないことなのだ。


「あ、お父様、お茶を持ってきてくださったの?」


 糞野郎と叫んだのと同じ口から、可愛らしい声が出て来る。リリアナはモーリスが持って来たティーセットを見つけると、嬉しそうにテーブルに駆け寄って、すとんと椅子に座った。髪もドレスもぐしゃぐしゃなのに、それでも愛らしい。


「すごく喉が渇いていたのに、お水しかくれないのよ。果実水かお茶じゃないと飲めないっていくら言っても、ちっとも持ってきてくれないんだから」


 どうしてそんな意地悪をするのかしらと文句を言っているリリアナに微笑んでから、モーリスは皿の上に伏せてあった二つカップを順にひっくり返した。ぴったり二杯分淹れて来てくれと頼んだから、二杯注ぐとちょうどなくなる。すでに砂糖とミルクは入れてあるから、そのままリリアナの前に置いた。


「ありがとう、お父様」


 運んで来る間に適当な温度に冷めていたのだろう、リリアナはごくごくと喉を鳴らして一息に飲んでしまった。


「お父様、お代わりちょうだい」

「もうないんだよ」

「だったら、それをくださればいいでしょう?」


 それとは、モーリスの手元に置いてある一杯だ。牢なのだから当たり前なのかもしれないが、テーブルに椅子は一脚しかない。その一脚にリリアナが座っているので、モーリスは立ったままでカップを持ち上げた。


「これはお父様の分だから、リリアナにはあげられないよ」

「どうして?」

「どうしてもだよ」


 これまで、リリアナの欲しがる物は何でも与えて来た。ドレスも宝石も、欲しがるだけいくらでも。

 だけど、最期にこれだけはやれない。この一杯の紅茶だけは、どうしても。


「お父様までそんな意地悪を言うの?」

「意地悪じゃないよ」

「意地悪だわ、みーんな意地悪」


 子供みたいに頬を膨らませるリリアナを見ながらモーリスは紅茶を一口、口に含んだ。甘いミルクティーだった、レプトリカの毒は無味無臭だというのは本当らしい。

 残りは一気に飲み干して、カップをテーブルに戻す。そして、椅子に座っているリリアナを腰をかがめて上から抱きしめた。


「お父様?」

「リリアナ、愛しているよ」

「知っているわよ、そんなこと」


 イザベラは昨日、公爵家ゆかりの修道院へ向かわせた。贅沢な生活が出来ればそれだけでよかったのにと言って妻は、ため息をついてから馬車に乗り込んで行った。

 爵位を返上する書類は先ほど、王に直接渡して来た。すぐに受理されたから、モーリスはすでに公爵ではない。

 最期に娘に会う温情をと願えば、すんなりと許可された。王は何も言わなかったけれど、モーリスが何をするつもりなのかわかっていたのかもしれない。


「おとう……」


 ごぼっと、リリアナが血を吐いた。苦しいのか、モーリスを見上げる可愛らしい顔が見る見る歪んで行く。


「大丈夫だよ、リリアナ、大丈夫だ」


 もう返事はない。白目をむいて、喉がヒューヒューと鳴っているのが聞こえるばかりだ。

 マーガレットの処刑も毒だったらしい。アラン・エドモンズ博士が特別に調合した、苦しむことなく眠るように死を賜る毒であったとか。

 出来たら同じ毒を手に入れてやりたかったけれど、それは無理だった。己の無力さを噛みしめながら、カタカタと痙攣し始めたリリアナを抱きしめる腕に力を込める。


「リリアナ、お父様が一緒だからね」


 ごぼっと、今度はモーリスの喉から血がふき出した。抱きしめているリリアナのきれいな金髪が赤く汚れる。


「リリアナ、リリアナ、リリアナ」


 モーリスがつけた、美しい名前。美しい娘、まるで天使のような。


「リリアナ、愛して……」


 ガタンと、大きな音を立ててリリアナを抱きしめたままモーリスが倒れた。冷たい石床の上で、モーリスの体もカタカタと痙攣し始める。喉がヒューヒュー鳴るのは、空気を上手く吸い込めないからか。この期に及んでも酸素を求めるあたり、人間とは実に業が深い生き物だ。

 腕の中でリリアナは、すでに動きを止めていた。モーリスもすぐに後を追えるだろう、ヒューヒューと喉を鳴らしながら目を閉じた。






 こうしてラウレンツ公爵家は、その歴史に幕を閉じることとなった。

 ラウレンツ公爵令嬢は、病死。

 ラウレンツ公爵夫妻は、残りの人生は神に祈りを捧げる生活をしたいと爵位を返上したと王家より発表されたが、それを信じた貴族はほとんどいなかった。



「暴力症」は、作者の造語です。

異世界ということで、ご理解ください。


次回は、いい笑顔の騎士様です。


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