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元公爵令嬢の回顧 12

 レイナルドに告白を受け入れてもらってからの数か月は、マーガレットにとって久しぶりに幸せだと言える日々だった。あまり頻繁だと侍女たちに不審に思われてしまうし、仕事があるレイナルドにも、毎回つき合ってくれるアランにも迷惑だろうと思うのに、会いたくて会いたくてつい我慢が出来なくなってしまって、週に一度は往診を頼んでしまっていた。


「もっと呼んでくれてかまわないのに」


 レイナルドはそう言ってくれるけれど、マーガレットは首を横に振った。


「レイナルド様もアラン先生もお忙しいのは、わかっております」

「じい様は、楽しんでるけどね。この間も君の侍女長に神妙な顔をして、公爵令嬢はお心がお疲れのようですとか言っていた。とんだ大根役者だったよ」

「心が疲れる、ですか?」

「そう、体はもちろんだけど、心も病になるんだよ。今の君の立場なら、心の病気になってもおかしくない。だから、もっと頻繁に呼んでくれても侍女たちはあやしまないよ」


 往診を頼むといつもそうであるように、アランは診察をするからと人払いをしてくれて、二間続きのマーガレットの部屋の、手前の居間に自らは残り、奥の寝室でマーガレットをレイナルドと二人きりにしてくれるのだ。

 寝台の影に隠れるように床に座ってレイナルドと話せるこの時間は、ほんの三十分ほどであってもマーガレットにとってかけがえのないものになっていた。ロードリックがますますリリアナに傾倒している最近では、廊下を歩いていてもひそひそとマーガレットのことを誰かが噂している声が聞こえるので、以前は居心地のよかった王宮なのに今は執務の手伝いにも行かず、庭を散歩することもなく自室に閉じこもりがちなのだ。

 そんな状況であってさえ幸せだと思えるのだから、恋とはなんて偉大なんだろうと思わずにはいられない。


「あまり私を甘やかさないでくださいませ」

「いいや、甘やかすね。君はこれまで頑張り過ぎた、これから先は僕が全力で甘やかす」

「だから、そういうことを言わないでください。私はまだ、強くあらねばならないのです」

「あー、うん。そうか、そうだね」


 こんな風に二人で会えるようになってすぐにマーガレットは、レイナルドにこれまでのことを何一つとして隠さずに全て打ち明けていた。十歳から書き綴って来た日記を見せて、ずっとレイナルドを好きだったこと、父に疎まれていること、母が亡くなって僅か十日後に父が義母と異母妹を連れて来たこと、それからの公爵家での惨めな日々も全部。

 本当の本音を言えば、父に疎まれて家族に辛く当たられていることなど知られたくはなかった。だけど、恋人となってくれたレイナルドに秘密を持つなど有り得ないとも思った。

 妹のリリアナが王立学園に入学してからロードリックと恋仲になったこと、だからマーガレットはもうすぐ婚約破棄されるだろうことも全部話して、だからどうせ最後ならあなたに告白しようと思ったのと結んだマーガレットをレイナルドは泣きそうな顔で見つめていた。君が苦しんでいたのに気づけずにごめんと謝るレイナルドにマーガレットは、私が気づいて欲しくなかったのですと言って、苦く笑った。


「王太子殿下との婚約が破棄されたら、僕はすぐに婚約を申し込む。君が強くなければならないのは、そこまでだよ。後のことは、僕とじい様に任せてくれるね」

「はい」

「僕は、婚約者を甘やかす自信があるしね」

「何ですの、その変な自信は」

「変かな?」

「変ですわ」


 レイナルドからの婚約の申し込みを父が受けるかどうかは、五分五分と言ったところではないかとマーガレットは思っていた。もしだめだったら駆け落ちしようとレイナルドは冗談のように言ってくれるけれど、そんなことをしてしまえば医者になるためにこれまで積み上げて来たレイナルドの努力が全て無駄になってしまう。

 もちろん、そんなことをさせるわけにはいかない。もしだめだった時には黙って一人で修道院に行こうとマーガレットは、密かに決意していた。

 だから今、一緒にいられるこの時間がマーガレットにとっては宝物だった。

 これが最後かもしれないと憂い惑い、いいや未来はきっと幸せに満ちていると思い直す。

 そんな繰り返し。

 こんなに揺れ巾が大きければ、確かにレイナルドが言うような心の病になってしまってもおかしくないのかもしれない。


「学園の卒業式は、再来月だったね」

「はい」

「それまでに決着がつくのだろうね」

「そうですわね、そうだと思います」


 いつ婚約破棄を言い渡されてもおかしくないと思うのに、ロードリックはなかなかその言葉を口にしなかった。王立学園を卒業すればすぐに結婚準備に入ってしまうのだから、それまでには言われるのだろうと思うけれど、未だにその兆しはない。


「そんな心配そうな顔をしないで、僕は絶対に君を諦めないからね」

「はい、頑張ります」

「だから、頑張らないの」


 こんなに優しい恋人にマーガレットは、まだ口づけさえも許していなかった。婚約が正式に破棄されるまで待って欲しいと言えば、レイナルドは頭を抱えていたけれど。

 だけど、そんな我慢を強いるのだってあともう少しの筈だ。婚約が破棄されたら、すぐにあの腕に飛び込む。レイナルドがしたいなら、いくらでもキスしてもらう。

 父がレイナルドからの婚約の申し込みを断った時のことは、今は考えないようにしようとマーガレットは決めた。

 きっと上手くいく、きっと幸せになれる。

 そう信じて。


 だけど運命は、どこまでも意地が悪かった。


 騎士たちが部屋に踏み込んできた時、マーガレットは学園から帰って来たばかりだった。奥の寝室で制服から普段着のドレスに着換えてから、居間のテーブルの上で鞄を開けて中身を取り出していたのだ。お茶を頂きながら明日の予習をしようと開いた教科書は、騎士に腕を掴まれた時にこぼれた紅茶で濡れてしまった。

 その後のことは、あまり思い出したくない。

 地下牢で椅子に座らされて、手足を縄で縛られた。それから、尋問が始まった。

 毒はどこで手に入れた、誰に飲ませるつもりだった。

 何度訊かれても、何のことかわからない。

 知りませんと答えたら、知らないわけないだろうと怒鳴られる。殴られたりはしなかったけれど、ただただ執拗に訊かれ続けた。

 毒は、闇市で買ったんだろう。妹を殺すつもりだったんだろう。

 次第に質問が断定的なものに変わり、ようやくリリアナに嵌められたことに気づいた。だけど気づいたからと言って、どうすることもできない。妹の罠にはまったのだとここで訴えて、聞いてもらえるとは思えなかった。

 尋問がどれくらいの間つづいたのか、時間の感覚はすぐになくなった。疲れて意識を落としても、肩を乱暴に揺すられて起こされる。眠ることも許されず、食事も与えられず。喉に何か異物が引っかかったような感覚にしきりに咳き込んでいたらぬるい水を貰えたけれど、それ以外はずっと同じような質問が続く。

 そう、何がどうなったのかマーガレットにはわからなかったのだ。気づくと毛布も何もないむき出しの寝台の上に横たわっていたので、自分が気絶したのだろうとは思ったけれど。


「マーガレット、僕が見える?」


 ごくごく小さな声で囁かれて、ようやく焦点が像を結んだ。一番会いたかった人がそこにいて、泣きそうな顔でマーガレットを見ていたから、これは夢なのだろうとぼんやりと思った。

 レイナルド様と、その名を呼んだつもりだった。だけど声が出なくて、さらにレイナルドの顔が歪む。


「喋らなくていいから」


 後ろでアランが何か言っているのも聞こえた、珍しく怒った声だ。食事を与えろとか寝具を用意しろとか、あの優しい老医師がマーガレットのために怒ってくれているのだと気づいて、同時にこれが夢ではないことにも気づいた。

 ああそうかと、それで何となく状況が理解できた。

 マーガレットが尋問で気を失ったから、レイナルドとアランは往診に呼ばれたのだろう。お医者様だから最期に会えたのねと、少しずつはっきりとしてきた意識の中で思った。


「このままここで看病します」

「駄目だ」

「何故」

「いいから、診察が終わったなら早く出てくれ」


 寝台に横になったままでも騎士たちに無理矢理に牢の外に出される二人が見えて、マーガレットの目に涙が滲んだ。日頃から訓練に励んでいる騎士に力で敵う筈ないのに、それでも掴まれた腕を振りほどこうとレイナルドが足掻いている。


 お願い、抵抗しないで。怪我をしてしまうから、そのまま帰って。


 そう言いたいのに声が出ない、その姿を目に焼き付けたいのに涙で滲んでしまってよく見えない。

 鉄格子の向こうでアランが何か怒鳴る、アランに向けて伸びて来た騎士の手をレイナルドが後ろから払う。早く行けとばかりに、二人まとめて背中を押された。


 ごめんなさい、ありがとう、さようなら。


 鉄格子越しにマーガレットを心配そうに見ながら、重い足取りで去って行く二人にどの言葉も伝えられない。まさかこんなことになるとは思っていなかった、なんて言い訳にもならない。全てはリリアナを甘く見ていた、マーガレットの過失なのだから。

 このままきっと上手くいく、きっと幸せになれるなんて、根拠の欠片もない独りよがりの希望に縋ってのんびりと構えていた。本当はもっと警戒していなければならなかったのに、何かが出来た筈なのに。レイナルドの優しさに甘えるばかりで、婚約破棄を言い渡される時をただ待ってしまっていた。


 ああ、私はなんと酷いことをしてしまったのだろう。


 マーガレットは、自分の都合でレイナルドに告白をした。もしかしたら本当に好きな人に嫁ぐことができるかもしれないと、確証も何もないのに勝手に賭けてしまった。

 レイナルドは、マーガレットの身勝手な行動に巻き込まれたのだ。マーガレットが告白なんてしなければ、レイナルドがあんな悲しい顔をすることはなかったのに。

 優しい人だから、子供の頃から知っている患者の身に何かあれば悲しんでくれただろうけれど、だけど本来なら少し寂しく思う程度でやがて忘れる筈だったのだ。

 マーガレットが愛してしまったから、彼も愛を返してくれたから、だからその悲しみは何倍、何十倍、何百倍にも跳ね上がる。


 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。


 このファーニヴァル王国では、毒は持っていただけですぐ処刑だ。リリアナは実にずる賢く、確実にマーガレットを消す手段を使った。

 まさかここまでするとは思っていなかった、というのもマーガレットの甘さでしかない。これまで何度もリリアナの残忍さを目の当たりにして、十分にわかっているつもりだったのに、それでもマーガレットにまだ甘い考えが残っていたのだ。


 己の失敗は、己の命で支払うしかない。

 これが運命だったのだと、諦めるしかない。


 先ほどアランに怒られていた騎士によって手足を縛っていた縄が解かれたけれど、マーガレットは身動きひとつせずに横たわったままで静かに涙を流していた。食事を貰って来い、宿舎に予備の寝具があっただろうと聞こえる声が遠い。

 自分の命よりも、レイナルドが心配だった。

 マーガレットが死んだ後の彼の悲しみを思うと、全身に引き裂かれるような痛みが走る。


 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。


 謝っても許されるものではないけれど、今は謝ることしかできない。

 告白なんてしてはいけなかった、マーガレットに彼の人生を縛る権利なんてなかったのに。


 どのくらい悲しむだろうか、どのくらいで忘れてくれるだろうか。

 こんな愚かな娘のことなど、一秒でも早く忘れて欲しい。


 だけどマーガレットが愛したあの人は、本当に優しい人だから、こんな身勝手なマーガレットに本物の愛をくれたから、マーガレットの死を悼み悲しみ、どこにも救いのない哀哭の底を彷徨ってしまうかもしれない。


 どうしよう、私のせいだわ。どうしよう。


 いっそこの場で今すぐに、舌を噛み切って死んでしまおうかとマーガレットの頭に馬鹿な考えが浮かんだ時、にわかに牢の外が騒がしくなった。



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