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元公爵令嬢の回顧 11

 もう散歩する気なんて失せてしまったマーガレットは部屋に帰って侍女を下がらせ、行儀悪くドレスのままで寝台にゴロンと寝転がった。

 さて、これからどうしようか。

 婚約破棄は、まあ予想はしていた。すっかりリリアナに騙されたロードリックのあの様子では、遅かれ早かれそうなるだろうと。

 マーガレットの次の嫁ぎ先を探してやると父が言ったらしいけれど、あの父がマーガレットの幸せを考えるとは思えない。大体、リリアナが言っていた通りにラウレンツ公爵家とつり合うような同年代の高位貴族の令息たちは、もうとっくに婚約者が決まっているだろう。おまけにマーガレットは、王太子に婚約破棄された傷物の令嬢ということになる。

 いい縁談が来ないどころか、縁談自体が全く来ない可能性は高い。

 もしかしたらずっと年上の、すでに妻を喪った老人に嫁がされるかもしれない。それとも身分が低い貧しい家だろうか、使用人も雇えずに日々の生活にも困っているような貴族家は案外多いものだ。

 しかし、父はラウレンツ公爵家の評判を気にするだろう。

 もしも妹に婚約者を取られた可哀想な姉をあまりひどい条件の家に嫁がせれば、事情をよく知らない貴族たちの間で悪評が立ってしまう。リリアナを王太子妃にしたいならなおさら、陰口を言われるのは避けたい筈だ。

 だったら、爵位なしの騎士あたりだろうか。

 貴族家の二男三男は、爵位を継がないのでいずれは平民になる。領地管理を手伝って実家に残る者も多いけれど、文官や騎士になって身を立てる者も多い。

 特に国を守って戦う騎士は名誉職とされ、爵位はなくとも貴族令嬢の嫁ぎ先として人気がある。将来、騎士爵を賜る可能性があるのと、稼ぎがいいので生活に困らない点、あとは単に騎士たちが格好いいせいだ。

 ある程度、名の通った騎士に嫁ぐならそれほど可哀想には見えないだろう。それならマーガレットに裕福な高位貴族と結婚はさせたくないが、評判は落としたくないあの父の思惑に合致しそうだ。


「……」


 そこまで考えて、マーガレットはある可能性に思い至った。

 レイナルドは爵位を継がない三男で、将来的には平民になる。もちろん医師という立派な職業に就いているのだから、平民になったからと言って困ることは何もないだろうけれど、それでも医師というのは尊敬はされるけれど職業としての地位はそれほど高くないのだ。

 騎士よりもずっと低い地位、だけどレイナルドはあのアラン・エドモンズ博士の後継者だ。

 つまり地位は低いが名声はあるわけで、それはいい家に嫁がせてよい暮らしはさせたくないが、かと言ってあまりひどい結婚をさせるわけにはいかない父の思惑に当てはまらないだろうか。

 王太子に婚約破棄された令嬢が有名な医師の元に嫁ぐとか、ありそうな気がする。

 もっとも何もなければ父がレイナルドにマーガレットを嫁がせようとは思いつかないだろう。だけどもし、レイナルドの方から申し込みがあれば?

 探すまでもなく飛び込んできたちょうどいい縁談に飛びつきはしないだろうか。


「……え、もしかしたらあり得る、のかしら?」


 寝台の上でがばっと身を起こしたマーガレットは、枕を両腕に抱えて忙しく頭を働かせた。ありとあらゆる可能性を考えて、最後には上手くいく可能性はあるという結論に達して呆然とする。

 本当に、もしかしたらもしかするかもしれない。

 それらは全てはマーガレットが勝手に立てた仮定であって、実際に父がどう判断するかはわからない。それでも、試さずに諦めるには魅力的過ぎた。

 もしかしたらレイナルドに嫁げるかもしれない、それはマーガレットがとっくに諦めた夢だった。


「レイナルド様」


 もしもマーガレットが想いを伝えたら、レイナルドは応えてくれるだろうか?

 断られるかもしれない、困らせてしまうだけかもしれない。マーガレットが知らないだけで、レイナルドに実は恋人がいる、なんてことだってあるかもしれない。

 だけど、もし断られたとしてもマーガレットが置かれている今の状況に変わりはない筈だ。レイナルドに気まずい思いをさせてしまうことになるかもしれないけれど、それでも可能性が少しでもあるのなら最後に賭けてみたい。


 そう、最後なのだ。


 王宮を追い出され、一度は公爵家に戻れたとしてもまたすぐに追い出されるだろう。その行先がどこの誰の花嫁としてなのかは、まだわからないけれど。

 そうなればもう、王宮で働いている彼とは会うことすら出来なくなってしまう。

 長年の婚約者は、あっさりとマーガレットを裏切った。マーガレットはずっと恋心を押し殺して来たのに、ロードリックは今頃この城のどこかでリリアナと抱き合っているのだ。

 もうロードリックに義理立てする必要はない、マーガレットは静かに心を決めた。


 しかし、どうやって告白すればいいだろう?


 今のように自室にいる時は別だが、一歩でも外に出ると常に護衛や侍女たちに囲まれているマーガレットは、レイナルドと二人きりになるのが難しい。手紙で伝えるという手がないでもないが、もしその手紙が他の誰かの手に渡ってしまえばと思うと恐くてこの手は使えない。

 ということは、直接告白するしかないのだけれど。


「……」


 護衛騎士たちは、元から部屋の外で待機するものだから何とかなりそうな気がする。問題は、マーガレットがどこに行こうがいつもぴったりとついてくる侍女たちなのだけれど……いや、夜ならどうだろう?夜なら、マーガレットがもう下がってと言えば次に侍女が来るのは翌朝だ。眠っている筈の時間だったら、マーガレットがレイナルドに会いに行くのに障壁となるのは護衛騎士だけということになる。

 そういえばレイナルドがいつだったか、若い医師や見習いには交代で医務室での夜勤があると言っていた。夜中に急患が出たらそれぞれの師匠である王宮侍医を起こすのが主な仕事で、まあ留守番だよねと笑っていたけれど。

 夜勤の当番の日なら、レイナルドは医務室に一人でいる筈だ。そして夜ということは、侍女たちはもう下がっている。

 マーガレットがレイナルドに告白したことを、その答えがどうであれ誰にも知られるわけにはいかない。マーガレットはもうどうなってもいいけれど、変な噂になってレイナルドに迷惑をかけるつもりはないのだ。


 絶対に、誰にも知られずに告白してみせる。


 マーガレットはまず、以前に早とちりでレイナルドを連れて来たことがある侍女のセーラに医務室の夜勤当番を調べるように頼んだ。

 最近、夜中に頭痛がすることがあるのだけれど、主治医のアラン・エドモンズ博士以外の診察は受けたくないので、博士の助手であるレイモンド・エドモンズ先生が夜勤をしている日がいつか知りたいのと、一見自然なようでいてよく考えると理屈の通っていない理由を述べてみたらセーラはあっさりと信じて、医務室の掃除をするメイドに訊いてくれたのだった。

 夜勤当番の表は医務室の壁に貼ってあるそうで、二日後がレイナルドの当番だとわかった。そしてその運命の日、早く休むと言って侍女を下がらせてマーガレットは、夜中になるのをじっと待った。

 城内が寝静まった頃に部屋から出て来たマーガレットに扉の前を守っていた騎士たちが驚いたけれど、医務室に行きますからついて来てくださいと言えば従ってくれた。

 もしここで、だったら往診を頼んで来ましょうと言われたらどうしようかと思っていたのだけれど、そうならなかったことに胸を撫でおろしながらマーガレットは、昼間とはまるで違う人の気配があまり感じられない廊下を進んだ。そして医務室の扉が見えたところで足を止め、ここで待っていてくださいと言うと、二人の騎士のうち年かさの方が一歩進み出て、それは出来ませんと答えた。

 こんなに離れていては何かあった時に間に合わないかもしれないと、護衛として当然なことを言う騎士の前でマーガレットはわざと恥ずかしそうにもじもじと、お医者様に内密でお伺いしたいことがあるのですと小さな消え入りそうな声で言ってみた。

 すると二人の騎士は、ぴきっと見事に固まった。

 若い女性が人目を避けてわざわざ夜中に、医者に内密で聞きたいこととは何なのか。騎士たちが何を想像したのかは推測しないことにして、絶対にここにいてください、声が聞こえるところまで近づいたら嫌ですよと唇の前に人差し指を立て、あざとく小首を傾げればそれで止めが刺せた。

 必ずここでお待ちしますと姿勢を正した騎士たちに絶対ですよと念押ししてマーガレットは、ドキドキと暴れる心臓を抱えて足を踏み出した。

 軽く扉を叩くと、すぐにどうぞと返事が返って来る。それが間違いなくレイナルドの声で、マーガレットは自分を落ち着かせるために大きく深呼吸してから扉を開けた。


「あれ、マーガレット様?どうかされましたか、こんな夜中に」


 奥の方に置かれた診察机についていたレイナルドは、入って来たのがマーガレットとだと気づくと慌てて立ち上がった。大股であっと言う間に近付いて来るので、両手を胸の前に組んだマーガレットが出迎えるような形になった。


「どこか具合が悪いですか?」

「いえ、違うんです。そうではないのです。どこも悪いところはありません、突然来てしまってごめんなさい」

「マーガレット様?」


 ドキドキドキドキと、心臓が壊れそうなほど全力疾走している。マーガレットは一度、ぎゅっと目を瞑った。そして次に目を開けた時には、しっかりとレイナルドを見つめた。


「お伝えしたいことがあるのです」

「はい、何でしょう」

「好きです、幼い頃より心からお慕いしております」

「は?」


 いきなりこんなことを言われて、レイナルドが戸惑うのは当然だ。マーガレットは、届け届けと祈りながらレイナルドを見つめ続けた。


「……」


 しばらく怪訝な顔のままで動きを止めていたレイナルドは、何を思ったのか指先でチョンとマーガレットの肩に触れた。


「ひゃんっ!」

「あ、すみません」


 極度に緊張しているところに一瞬とはいえ触れられたものだから、マーガレットは思わず飛び上がってしまった。すぐに謝ってくれたけれど、どうして触られたのかわからなくて頭の中がグルグルと回りだす。


 肩にチョンって……え、どうして?

 まさかレイナルド様、私に触りたいとか!?


 好きだと言ったのはマーガレットだ、だったら告白された方には相手を触る権利が発生したりするのだろうか。


 い、い、嫌じゃない……どころか、レイナルド様に触れられるならむしろ嬉しいのだけど!


 明後日の方向に思考を飛ばしたマーガレットは、それでなくても赤くなっていた顔を、それこそ耳の先まで真っ赤に染め上げた。

 幼い頃より一方的にレイナルドへの想いを募らせていたマーガレットは、当たり前だが恋愛経験は皆無だ。婚約者はいたが、それは形だけのものであったわけだし。

 もしも女友達でもいれば経験はなくともそれなりに耳年増になっただろうが、残念なことにマーガレットにそんな友人は一人もいないのだった。


「お、お望みでしたらどうぞ触ってくださいませ」


 なので、こんな発言になる。

 がっくりと項垂れたレイナルドにマーガレットは、どうしてそんな反応!?と、心の中で叫んだが、賢明なことに声には出さなかった。


「……からかうのはやめてください、あなたは王太子殿下の婚約者でしょう?」

「婚約は、もうすぐ破棄される予定なのです」

「は?」


 再び動きを止めたレイナルドにマーガレットは、不安になり始めていた。断られるかもしれないとは思っていたけれど、これはやはりだめなのだろうか。

 マーガレットには、これが一生に一度の恋だ。まだ十八歳だけど、この先いくつになってもレイナルド以外の人を好きになれる気が全くしない。

 受け入れてもらえないかもしれないとは思っていた、ふられる覚悟はしているつもりだった。だけど、この場に及んでそんな覚悟はちっとも出来ていなかったことに気づかされた。

 これはもしかしたら父が用意した結婚相手に嫁ぐしかないのだろうか。でも、レイナルドではない別の男の人に触られると思うだけで鳥肌が立つ。これまでずっと、ロードリックと結婚できると思っていた自分が信じられない。さっき、一瞬とはいえレイナルドに触られたからこそわかる、好きな人の手以外はどう考えても受け入れられない。

 断られたら修道院に行こう、そんな悲壮な決意を固めてからマーガレットは口を開いた。


「レイナルド様、私はあなたを愛しています」


 レイナルドの若草色の目がマーガレットを真っすぐに見ていた。レイナルドの指先がマーガレットの真意を確かめるように今度は肩ではなく頬に触れようとして、直前で止まる。


「本当に?」

「はい」


 しっかりと答えると、レイナルドの指先が動き出してマーガレットの左頬に触れた。大好きな人に触れられて嬉しくて、マーガレットはうっとりと目を細めた。


「僕も君が好きだよ、本当はずっと好きだったんだ」


 マーガレットは、レイナルドの声が好きだった。いつも優しく穏やかに話すその声に今は甘さを加えて、マーガレットの中にゆっくりと浸透していくようだった。


「こんなの夢みたいだ……」


 思わずといった風に呟いたレイナルドの言葉に、夢みたいなのは私の方だとマーガレットは思った。確かに君が好きだよと言ってくれた、聞き違いではなかった筈だ。もちろん夢でもない筈だ、もしこれが夢だとしたら。


「夢ではありません、夢だったら私は死んでしまいます」

「いや、そこは生きて」

「はい、頑張ります!」


 ほとんど条件反射で頑張る宣言をしたマーガレットに、レイナルドがぶはっと吹き出す。それからレイナルドはマーガレットを見つめて、マーガレットもレイナルドを見つめ……という所で、廊下の方で小さくカシャという感じの音が聞こえた。

 もしかしてあれは、護衛騎士たちが腰に下げている剣が立てた音だろうか。離れているようお願いしたけれど、時間がかかっているから様子を見に近付いて来たのかもしれない。


「レイナルド様、私……レイナルド様にお話ししなければならないことがあるのです」


 まずは、マーガレットが今置かれている状況を説明しなければならない。そして、もしレイナルドさえよければ婚約を申し込んで欲しいのだと頼まなければならないのだけれど、どうやらそんな時間はなさそうだ。

 帰らなければならない、でもまだ話すことがある。今を逃せば、次に二人きりになれる機会がいつになるのかわからない。


「明日の夜に往診を頼んでください」


 ちらっと扉の方を一瞥したマーガレットのその仕草で時間がないことを察したらしいレイナルドにそう言われて、マーガレットは目から鱗が落ちたような気がした。

 そうだ、彼はお医者様なのだから往診を頼めば来てくれるのだった。そして、診察中は人払いしてもらえれば侍女たちも出て行ってくれるだろう。

 あまりに簡単な解決策にマーガレットは、ぱあっと花が咲くように笑った。


「はい、また明日!」


 マーガレットが元気いっぱいの笑顔で診察室から出て来たものだから、どうやら令嬢の悩みが解決したようだと騎士たちが肩に入っていた力を抜いた。今なら空でも飛べそうな気分のマーガレットは、そんな優しい二人の護衛騎士を引き連れて軽い足取りで部屋に戻った。


 そしてその翌日は、ウキウキ、ふわふわ、うふふふふと、実に意味不明に浮かれるマーガレットが侍女たちを混迷のるつぼに叩き落としていた。いつもなら朝はほとんど食べないのに、出された物を全部ぺろっと平らげて、最近は憂鬱そうに登校の準備をするのに、今朝はスキップまでしていたのだ。

 マーガレットが登校した後で侍女長が若手の侍女を走らせて、昨日の夜に公爵令嬢の部屋を守っていた騎士を引っ張って来た。夜勤を終えて宿舎に帰ろうとしていた二人の騎士は、私服で侍女長の前に立たされて、だけど昨夜のことを令嬢はきっと誰にも知られたくない筈だと思い、口を揃えて何もありませんでしたと答えた。

 そんな騎士たちの気遣いのおかげでマーガレットが夜中に部屋を抜け出したことは無かったことになり、元気に学園から帰って来て夕食も完食したのに夜になって往診をお願いしてと言い出して、侍女たちの混迷はさらに深まったのだった。



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