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元公爵令嬢の回顧 10

 マーガレットが自分に許した我儘の三つ目は、一曲でいいからレイナルドと踊る、だった。

 だけどこの我儘だけは、叶うことがなかった。


 ファーニヴァル王国では、貴族の令息であれば適当な年頃になれば最初だけは親や後ろ盾になってくれる人に連れられて、あとは好きに社交界に顔を出し始めるのだが、令嬢の場合は違う。六月の末頃にある建国を祝う王家主催の夜会に十六歳になった貴族令嬢が一堂に会し、国王一家に挨拶をして一斉にデビューするのだ。

 十六歳のマーガレットもまた、デビュタントの証である白いドレスをまとって初めての夜会に臨んだ。婚約者であるロードリックはマーガレットを完璧にエスコートしてくれて、ファーストダンスもロードリックと踊った。

 王族にとっては、夜会のダンスも仕事のようなものだ。

 ロードリックは一曲目を婚約者と踊ったあとは、高位貴族の女性たちを既婚も未婚も問わずに次々とダンスに誘っていた。

 そんな風に男性王族は大勢と踊るのが義務なのだが、マーガレットはまだ結婚前で準王族という立ち位置であるし、女性でもあるのでそれほどダンスを強要されるわけではなく、お誘いはあるものの疲れてしまってと答えればみんなすぐに差し出した手を下ろしてくれた。

 未来の王太子妃のために用意されていた椅子に座り、果実水で喉を潤しながらマーガレットは会場の中にミルクティー色の髪を探した。

 建国記念だったその夜は、多くの貴族が参加する大きな夜会だ。子爵家の三男である彼が参加していてもおかしくない筈なのに、マーガレットの探し人はいくら目を凝らしても見つけられなかった。


 デビュタントだった夜会のあともマーガレットは何度かロードリックと共に夜会に出たが、そのどの夜会でもレイナルドを見つけることは出来ず、何度目かの夜会でレイナルドが黒い鞄片手に会場を横切るのを見て、ああそうなのかと納得した。

 つまり医者であるレイナルドは、夜会の時はどこか会場近くの部屋で待機しているのだろう。それで怪我人が出たり、具合が悪くなった人が出た場合だけ駆けつけて来るわけだ。

 それではいくら探しても見つかる筈がない。

 マーガレットは苦く笑って、三つ目の我儘をすっぱりと諦めた。

 もしレイナルドが貴族として夜会に参加していたとしても、王太子の婚約者である自分となんて踊ったら目立ってしまっただろう。この我儘はさすがちょっと無理かなと自分でも思っていた上に、レイナルドが夜会に参加することがないと知れば諦めもつくというものだった。


 そんな風に自分の恋心と折り合いをつけながら過ごす日々は留まることなく流れて行き、やがてリリアナが王立学園に入学する年になった。

 マーガレットは王宮に部屋を賜ってから一度も公爵家に帰っていなかったので、リリアナを見たのは二年ぶりということになる。

 悪魔のような妹は、天使の顔で微笑んでいた。


「お久しぶりです、お姉様」


 この時、マーガレットは何と答えれば正解だったのだろう。何気ない顔で久しぶりねと答えればいいとわかっていたけれど、その何気ない顔が出来ない。

 何も答えずにマーガレットは視線を逸してしまったので、リリアナがニヤリと嫌な顔で笑ったのは見なかった。


 お姉さまは私を嫌っているのです、私は元平民だから。


 きれいな青い瞳に涙を浮かべて、姉に嫌われている可哀想な妹を演じて同情を誘うところからリリアナは始めたらしい。リリアナの取り巻きが一人、二人と増えるのに反比例するように、マーガレットの周りから人は減っていった。

 もっともマーガレットは、誤解されて困る友人は悲しいことに一人もいなかったので、あまり気にしていなかった。

 学園に通うのは、残り一年を切っている。卒業さえしてしまえば、王太子妃となるマーガレットは彼らに会うことがなくなるだろう。同級生や後輩たちだって年を経れば地位をあげ、いつしか王太子妃、もしくは王妃となったマーガレットの近くまで来るだろうけれど、それは何年も先の話だ。

 だから、学園でどんな風に思われてもかまわない。

 そんな風に鷹揚に構えていたせいだろうか、ロードリックの心がリリアナに傾いていくのにマーガレットは気づいていなかった。元から恋愛感情はお互いにない婚約者同士なのだから、それも仕方のないことだったのかもしれないけれど。

 マーガレットが気づいた時には、ロードリックはすっかりリリアナに夢中だった。もしかしたら側妃はリリアナになるのだろうかと思うとマーガレットは嫌悪で吐き気を覚えるほどだったけれど、だからと言ってロードリックを責めることは出来ない。

 ロードリックがリリアナを好きになったのは、まあ仕方ないかとマーガレットは思った。最初から、ロードリックはマーガレットの容姿を気に入っていなかったのだ。垢ぬけない姉と違ってリリアナは見た目だけは本当に美しいのだから、表面ばかりを見て、物事の裏側を疑うことをしない王子様が恋に落ちるのは必然だったのかもしれない。

 だからマーガレットは、半分とはいえ血を分けた姉妹を両方娶る体裁の悪さはロードリックに背負ってもらうとして、側妃となったリリアナに出来るだけ近づかないためにはどうしたらいいだろうなんて考えていた。

 そう、ロードリックがリリアナを好きになったのは、仕方ないことだとマーガレットは思っていたのだ。だけどロードリックは、いつしかマーガレットを睨みつけるようになって、それは日を追うごとに強くなって行った。


「マーガレット、お前は妹を虐めているそうだな。なんて下劣な女なんだ!」


 ロードリックに怒鳴られて、マーガレットは自分が甘かったことを知った。あのリリアナが側妃なんかで満足するわけがないことぐらい、考えるまでもなくわかる筈だったのに。

 馬鹿にしている姉が自分より上の地位にいるなんて、あのリリアナが認めるわけがない。どんな手を使ってでもマーガレットを引きずり下ろすことなど、予想しておくべきだった。


「何とか言ったらどうなんだ」

「身に覚えがございません」

「マーガレット!」


 八歳で婚約して、もう少しで十年。ロードリックがマーガレットに対して声を荒げたことは、これまで一度もない。ロードリックがマーガレットを気に入っていないのは知っていたけれど、それでも優しく接してくれていたのだ。


「お前は、恥ずかしくないのか」

「だから、身に覚えがございませんと申し上げております」

「リリアナに謝れ」

「身に覚えがないのに、どうして謝るのです?」


 悲しいより悔しいより、虚しかった。

 リリアナの言葉を真に受けて、真実を探ろうともせずに十年来の婚約者を責め立てるロードリックの醜く歪んだ顔に、マーガレットはもうかける言葉を持たなかった。ロードリックにはマーガレットの話を聞く気が最初からないのだから、やるせない溜息しか出ない。

 マーガレットの中に確かにあったロードリックへの情は、何度かロードリックに責められるにしたがい儚い泡のように消えて行った。いい妃になろうと、これまで必死で努力してきたのは何だったのか。何もかも、もうどうでもよくなってしまった。

 勉強する気になれず、マーガレットは以前レイナルドと散歩した奥庭によく行くようになった。薔薇の季節以外はあまり人が訪れない庭なので、一人でぼんやりとするのにちょうどよかったのだ。

 その日も奥庭に行こうと侍女と護衛を引き連れて廊下を歩いていたマーガレットは、角を曲がったところで会いたくない人といきなり鉢合わせてしまった。

 ラウレンツ公爵家の次女、リリアナは久しぶりに会った姉に可愛らしい顔を歪めていやらしい笑みを浮かべた。


「あら、お姉様。学園ではちっともお会いできませんのに、こんなところでお会いできるとは奇遇ですこと」


 そう、ここは王宮だ。公爵令嬢とはいえ社交界デビューもしていない貴族令嬢が理由もなく歩ける場所ではないのだ。


「本当に奇遇ね、リリアナ。王太子殿下に呼ばれたのかしら?」


 侍女と護衛に下がっているよう命じてからマーガレットがそう言うと、リリアナのいやらしい笑みがさらに深まった。まさに、にんまりとでも形容したいような笑顔でリリアナがチェリーピンクの口紅を塗った唇を開く。


「そうなんですの。休日も会いたいから王宮まで会いに来てくれなんて言われて私、困ってしまって」


 わざとらしく溜息をつくその姿さえ可愛らしいのだから、世間知らずの王太子がこの妹に手玉に取られるのは仕方がないのかもしれない。それにしてもロードリックはもう少し賢明だとマーガレットは思っていたのだけれど、責任ある自分の立場も考えずに恋人を城に呼ぶほど初めての恋に溺れているらしい。


「そうなの、では早く行った方がいいのではなくて?」

「勿論そういたしますわ。お姉様も散歩なんてなさっていないで、お部屋の片づけをした方がよろしいのではありませんの?婚約を破棄されてから片づけるのでは、大変でしょうから」


 いづれ近いうちに婚約破棄を言い渡されるだろうと思っていたけれど、リリアナの口から聞かされるとさすがに心に痛みが走る。咄嗟に言い返せなかったマーガレットにリリアナは、持っていた扇を広げて口元を隠してから言葉を続けた。


「心配しなくても大丈夫ですわ、お姉様。お父様がお姉様の新しい嫁ぎ先を探すとおっしゃっていましたもの。もっともいいお家のご子息はもう婚約されていますでしょうから、あまりいい縁談は来ないかもしれませんけれどがっかりなさいませんように。お姉様を貰ってくださる奇特な方がもしいらっしゃったら、それだけで奇跡みたいなものですものね」


 新しい嫁ぎ先を探すということは、それはつまりリリアナが嫁に行ってもマーガレットに公爵家を継がせる気が父にはないということだ。マーガレットに婿を取って継がせるくらいなら、親戚の子供でも養子に迎えた方がいいらしい。


「あらいけない、私もう行かなくては。ロードリック様が待ちくたびれてしまうわ」


 公爵家で見覚えのある侍女たちを何人もぞろぞろと従えて、リリアナは去って行った。お忍びの逢引だろうにあんなに目立ってどうするのかと呆れるけれど、ああしてわざと見せびらかすのもリリアナのロードリックを手に入れる作戦の一つなのだろうと思った。

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