元公爵令嬢の回顧 1
「悪役令嬢を断罪した、その後で」のヒロイン目線のお話しです。
ざまぁやどんでん返しのないラブストーリーになります。
途中、つらい展開になりますが、ハッピーエンドですので!
診察を終えたレイナルドをメグは、期待に満ちたキラキラの目で見つめた。早く教えて、お願いと眼差しに込めてみるけれど、夫はなかなか口を開いてくれない。
気を利かせてくれたのか、看護師見習いのニーナは先ほど部屋を出て行ってくれたので、二人きりの診察室にしばしの沈黙が落ちる。
「……あなた?」
もしかして勘違いだっただろうか、メグをがっかりさせたくなくてレイナルドはなかなか言えないでいるのだろうか。
そんなことをメグが考え出した頃、ようやくレイナルドが手元のカルテに落としていた視線を上げた。
「うん、まあ」
「何が、まあなの?」
「まあ、できてるね」
「できてる?」
「できてる」
「三人目?」
「三人目」
やったーと、両手をあげて躍りだしたいところなのだけど、何かが違う。何が違うかと言うと、夫の反応が違う。
「あなた?」
「うーん」
「まさか、嬉しくないの?」
「いや、嬉しいよ」
「ちっとも嬉しそうに見えないのだけど」
「子供を授かったのは嬉しい、でも君の体が心配」
またカルテに視線を戻し、何かを書き込んでいるレイナルドの眉間にくっきりと皺が寄っている。
明日から休ませる、ニーナだけで大丈夫だろうか、臨時の看護師を頼んだ方がいいか、じい様にも手伝いを頼まないと、いやその前にサラさんに、などとぶつぶつ言っている手元を見れば、大きく『絶対安静』と書いた文字をぐるぐると何重にも円で囲っている。
「あなた、落ち着いてください」
「落ち着いてるよ」
「初産ではないのよ?」
「わかってるよ」
「もう三度目です」
「いや、フローラを産んでからまだ二年半だ。三人目は、最低でも三年は空けようと思っていたのに」
「あ、そうなの?」
「そうだよ、気をつけてたのになぁ。やっぱりあの夜、失敗したんだ」
メグのこめかみがピクピクと引きつっているのにも気付かずにレイナルドは、ハァッと息を吐く。そして、グルグル巻きの『絶対安静』の下に何かを書き足しだす。
栄養管理、体重管理、適度な運動は必要、でも無理は厳禁。
当たり前と言えば当たり前の注意書きだが、さすがに過保護に過ぎる。メグはゆらりと立ち上がると、その頭頂に医学博士アラン・エドモンズ直伝のげんこつを振り下ろした。
「失敗言うなーっ!」
上品とは程遠い元公爵令嬢の叫びが小さな診療所に響き渡り、扉に張り付いて盗み聞きしていた、いつも待合室にたむろしている常連の老人たちがゲラゲラと遠慮なく笑いだした。
いい香りの紅茶を黄色い薔薇が描かれたカップに注ぎながら、サラの口元がフニフニしている。お茶菓子を皿に移しながら先ほどの話をしていたメグは、苦笑いを浮かべて椅子に座った。
「笑っていいのよ?」
メグがそう言った途端にサラは、持っていたティーポットをテーブルに置いてからクルリと背を向けた。その背が小刻みに震えている。
「……わ、若先生にげんこつ」
「そこなの!?」
サラがエプロンのポケットから素早くハンカチを出したのをマーガレットは見逃さなかった。後ろを向いているので見えないが、あの腕の小さな動きは左右の目元を交互に何度も拭いているのだ。
「サーラ」
わざと伸ばして名を呼ぶと、サラはサッとハンカチをポケットに戻してクルリとこちらを向く。そして、何事もなかったようにティーポットを再び持ち上げた。
その澄ました顔がおかしくてメグは、クスクスと笑ってしまった。するとまた、サラの口元がフニフニしてくる。
サラが笑い上戸だと、メグが気づいたのはこの街で一緒に暮らし始めてからだ。かの国でのサラもいつも笑顔を浮かべてはいたけれど、あの笑顔はメグのためのものであって、本当に笑っていたわけではないのだと今ならわかる。
口元をフニフニさせながらお茶を注ぎ終えたサラに笑っていいのよともう一度言えば、さすがにもう我慢できなかったのか声をあげて笑い出した。
女二人の笑い声が、春まだ浅い午後のサンルームを満たす。
窮屈で、いつも気を張っていなければならなかった娘時代とは違い、今の生活は驚くほど気楽だ。笑いたければ、笑えばいい。大きな笑い声をあげても、品がないと諌める者は誰もいないのだから。
そして、令嬢と侍女ではない今ならば、一緒に午後のお茶をいただいても何の問題もないのだった。
「それで、予定日はいつなんです?」
「あら、肝心なことを訊くのを忘れてしまったわ」
「クライヴと同い年になりますわね」
「そうね、そうだわ」
「幼馴染ですね」
「素敵!」
直射日光が当たらないよう隅の方に置かれたゆりかごでは、サラが二か月前に産んだクライヴ坊やがすやすやと眠っている。サラにとっては三人目の子供で、初めての男の子だ。
「だったらこの子も男の子がいいわね、きっと親友になるわ」
「あら、女の子でしたらクライヴが好きになってしまうかもしれませんよ」
「それもいいわね」
「お嫁にいただけます?」
「いいわよ、その代わりにモニカかマリナをアーノルドのお嫁さんに頂戴ね」
「年上過ぎませんか?」
「四歳差よ、大人になったら気にならないわ」
サラの二人の娘達は八歳になる双子で、名前をモニカとマリナという。
二人とも父親譲りの赤い髪に榛色の瞳で見た目はそっくりなのだが、モニカは世話好きのしっかり者で、マリナは編み物や縫物など手先の仕事が好きな物静かな女の子だ。
普段は看護師としてレイナルドの診療所を手伝っているメグに代わって、元はこの地でかなりの財産を築いた豪商の持ち物だったという庶民にはいささか大きいこの屋敷を切り盛りするサラを手伝って、働き者の双子はしっかりと支えてくれている。
「そういえばアーノルドとフローラ、遅いわね。アラン先生がお散歩に連れて行ってくださっているのでしょう?」
「ええ、お昼を食べてすぐに出ましたから、確かに少し遅いですね」
レイナルドとメグの第一子はアーノルドという名の、曽祖父のアランによく似たキャメルブラウンの髪と緑の瞳の四歳の男の子で、二歳半になる第二子のフローラは、レイナルドのミルクティー色の髪とメグの母であるフローレンスのアメジストのような紫の瞳を受け継いだ女の子だ。
「少し曇って来たわね、モニカとマリナは傘を持って行った?」
「そうですね、アーノルドとフローラはアラン先生と一緒ですから大丈夫だと思いますけど……いえ、やはり気になりますから私、ちょっと見に行ってきますね。教会にモニカとマリナを迎えに行ってから、そのあたりを歩いてみます」
「私が行くわ、サラはクライヴを見ていてあげて」
「メグを歩き回らせたら、私が若先生に怒られちゃいます。メグは、クライヴをお願いします」
そう言ったかと思えばサラはすぐに立ち上がり、自分が使っていた茶器を片づけて身支度もそこそこにさっさと出かけてしまった。まだのんびりとお茶を飲んでいるメグは、これにも苦笑いだ。
何と言うか、何歳になってもサラはやっぱりサラだと言うか。メグに対して過保護だと言うか。
本当に、みんながメグを甘やかしてくれる。
夫のレイナルドを筆頭に、執筆業のかたわら大学で講師をしているアラン、お茶菓子が切れる間がないほどしょっちゅう持ってきてくれるロブ、それにサラだ。最近では、まだ八歳のモニカやマリナさえメグの面倒を見たがるのはどうなのか。
そんなに頼りないだろうか、もう昔とは違うのに。
公爵令嬢だった、あの頃とは。
メグは空になった黄薔薇のカップに、ティーポットに残っていたお茶を注いだ。サラが淹れてくれたお茶は、冷めてもおいしい。もっとも少し濃くなっていたので、ミルクを足したけれど。
まろやかになったお茶で喉を潤し、大好物のチーズガレットを一口かじる。お茶もガレットも変わらぬ味だ、目をつぶればあの頃に戻ってしまったかのように。
次話から、マーガレットの回顧になります。
「悪役令嬢を断罪した、その後で」の裏側におつきあいください!