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九、月波良怜子は思い悩む


 月波良つきはら家の女主人、怜子は思い悩んでいた。

 数年前迎え入れた養女、寧子の行く末をどうすべきであるか。ここしばらくはそればかり考えている。


 月波良家は代々陰陽寮にて月読みの任を帝より任されてきた。亡き父も、お爺様も、その前もずっとそうであったし、一人息子の章家もまたそうである。月の影や光を見て行く先を占うその術は月波良本家に伝わる秘術で、それは女であるが怜子にも伝えられていた。

 本家にのみ伝わる術とそれに伴う帝との縁を妬む親戚とは折り合いが悪く、またこの秘術は畏怖の対象でもあったので周囲からはずっと距離を置かれて生きてきたが、まあそれはどうでもよいこと。

 父も母もすでに亡くなり子は息子一人、旦那も昨年見送った。自分ももうそれほど長くはないであろうと察した時急に恐ろしくなり、今後どうしたらいいか月を読んだ。そして、そこには養女を迎えれば光が射すと出たのだった。


 そうして信用ならない親戚を避け迎えたのが寧子であった。

 寧子はよく学び、よく笑う良い子だ。長年の宮仕えで培った自分の目を疑ってはいなかったが、突然変わった生活にも必死になじもうと努力をし怜子にも女房達にもよく懐いてくれている。息子の章家ともよく一緒に過ごしているようだ。


 (良い子、なのですよね……)


 知識は自分と息子で、身目は本人の資質と女房達の手で伸ばされた寧子は、年頃となった今見違えるほど素敵な女の子となっていた。噂を聞いて一目垣間見ようとする男も日を追うごとに増え、寧子に気付かれないうちに追い返すのが大変になってきたと使用人から聞いている。


 (死に水を取ってもらうために迎えた子だけれど、本当に素敵な子に育ってくれた……。だけれど、だからこそ、こんな老いぼれとただともにあるのは彼女にとっていいことなのか……)


 先日の陽月の節では何度か本当に宮仕えに出すのは考えていないのかと聞かれた。その時こそ否定をしたが、否定してよかったのか悩んでしまっている自分もいる。まだまだ拙い所が多く、宮仕えだなんてとても、とは思うがあの子は順応力が高いから行かせてしまえばそれなりに勤められるかもしれない。そうしたら、きっと自信も箔もつく。


 でも、そしたら、私は……。



 考えが煮詰まってきたことを感じて風に当たろうと部屋を出ると、声が聞こえてきた。



 「あの時は、本当に、本当に肝が冷えました」

 「うう……申し訳ないと何度も言ってるじゃないですか」

 「寧子さんは奥様の死に水を取るためにこの家に迎え入れられたと聞きます。そんな無鉄砲な様子でどうするんですか。奥様より先に儚くおなりになりたいのか」

 「ううう……!それは兄様にも言われました!というか皆心配しすぎです、仮にあのまま落ちても大した怪我になりませんよ」

 「馬鹿ですか貴女!」


 聞き耳を立ててみると、どうやら章家の部下の子が来ているようだ。寧子を馬鹿と罵られた事には少し腹が立つが、言っている事は確かなので不問とする。


 「ばっ……!ど、どうせ私は生まれも育ちも卑しい馬鹿です!でもそんな私を迎え入れてくださった母様のお願いを聞かずに死ぬなんてありません!」

 「またそんな直接的に!私これ今から物忌みキメれますからね!?」

 「あっ!?ご、ごめんなさい!」


 とても年頃の男女のやりとりとは思えない様に私ともあろうことか吹き出しそうになる。通りすがりの女房に具合でも悪いのかと聞かれてしまった。

 そして、きっぱりと私の願いを聞くと言い切ってくれたことにこらえようのない嬉しさを感じてしまったのだった。


 「……奥様の願いなどなくても、どうか元気でいてください」

 「私、元気ですよ?」

 「貴女に怪我も、もしものこともなく、本当によかった」

 

 その声色に、「あ」と思った。それは、人が恋い慕う相手に掛ける声色だった。


 「はい。これで母様より先に儚くなってしまったら天に昇るに昇れませんからね」

 

 対して寧子のけろりとした明るい声よ。貴族の子女としての立ち居振る舞いなんかばかり教えて恋のいろはをまだ早いと無視した結果だろうか。私もそのあたりは得意ではないし、流行りの恋物語のひとつやふたつでも取り寄せようかと心なしか痛む頭を抱えるのであった。


 「ああもう、そうではなく!いえ、それは大事なことと存じますが、そうではなく、貴女になにかあったら私が嫌なのです」

 「はあ……、そうですか……?」

 「これでもだめですか……、いいですか、よく聞いてくださいね」


 途方に暮れたように溜息を吐き出す崇人が幼子に言い含めるような声色で話し始めたところで、そっとその場を後にした。こういうのは親が聞くのは野暮だからである。どうせ後で正式に話がくるのだから。


 (それにしても、そうね。逆由良の子であれば、身分の差もそれほどおかしくはないし、結婚すれば私がどうなっても安心だし、家にはいてくれるし、いいかもしれませんね)






 「母様?どうかなさいました?」


 ハッと顔を上げると、寧子が心配そうな顔で覗き込んできていた。そうだった、今は彼女とおやつをいただいているところであった。先刻見た光景と寧子の今後を考えていたら、ついぼんやりとしてしまっていたらしい。


 「ごめんなさい、少し考え事をしていただけですよ」

 「そう、ですか……。あの、私にできることならなんでも仰ってくださいね」


 普段から感情が顔に出やすい子ではあるが、今はなおのことそうであった。私の返しに一度引き下がったけれど、ちらちらとこちらを窺ってくる顔には心配だと大きく書いてある。

 立ち居振る舞いこそそれなりの子女らしくなったが、そんなところは山寺から迎え入れた五年前と変わりがない。感情をそう表に出すのはあまり褒められたことではないが、そういうところこそが寧子の可愛い所だと思う。

 

 そんな可愛い子を、やはりこのままにしてはおけない。


 「寧子」


 決意に似た思いを胸にそう呼べば、寧子は素直に此方を向く。


 「あなたのこれからについて、相談したいと思うの」

 「私の、これからですか?」

 「そう。私がこの世を去ったら、章家がいるとはいえあなたは頼りなき身となります。だからこそ、いまのうちにちゃんとしておきたいと」


 私が何を言おうとしているのかを窺うように真っすぐこちらを見る目を、そのままじっと見つめ直す。


 「まず、私が用意できるであろうものとして。宮仕えに行く気はありませんか」

 「それは嫌です!母様がどうしてもと仰れば別、ですが、私はまだその力はないと思いますし、なにより、宮仕えに出ればなかなか家に帰れないと聞きました。そうしたら母様の死に水が取れないかもしれません。それは、嫌です」


 きっぱりと言い切ったその言葉に頷く。先程漏れ聞こえて知っていた答えだったが、改めて意志を確認しておきたかった。


 「そうですか。では、婚姻を結ぶのは」

 「……はい?」


 その、本心から何を言っているのかわからないといった声に「あれ?」と感じる。最後まで聞いてこそいないが、ほんの先刻この子求婚されていなかっただろうか。まさかの私の勘違いであったのだろうか。そんな馬鹿なこと。


 「……少し、ほんの少し漏れ聞こえてしまったのですけど、あなた逆由良の子に求婚されませんでした?」

 「逆由良……?ああ、崇人様?ええと、そうですね、されたみたいですけどお断りしました」

 「は?」


 当然の事のようにけろりと言い放つその言葉に、恥ずかしながら開いた口が塞がらなかった。理解の追いつかない私の代わりのように、側に控えていた女房の一人が勢いよく寧子に詰め寄った。


 「いやいやどうして断ってしまうのですか!?逆由良 崇人様と言えば顔良し性格良し家柄良しの陰陽寮期待の新人ですよ!?宮仕えの方々にも人気が高くファンクラブがあるとか!どうして断ってしまうのですか!!??」


 この女房は比較的年若く噂好きなところがある子なので宮中の噂にも明るく、また恋のあれこれも年相応に好きなようでこちらがびっくりしてしまうほどの剣幕でそう言い放った。


 「だ、だって、急に言われても困りますし、それにやはり母様のことはしっかりしたいですし……」

 「それにしても答えを濁してキープしとくとかあるじゃないですか!こんな勿体ないことないですよ!そうだ文を書きましょう、先程は驚いてつれないことを申してしまいましたすみませんまた会いに来てくださいますか的な文を!」

 「え、ええ……?」


 主人の前とは思えないほどの興奮っぷりで寧子にそう捲し立てる女房の叫びに、他の女房がさっと立ち上がり部屋の隅に片付けてある文箱を取りに行っていた。どうやら女房達は思う事は一緒らしい。


 「わざわざそんなことしなくても、また出直しますと言っておられましたよ?」

 「いいから書きますよ!ツンだけではだめなのです、適宜デレも入れないと!」

 「つん……?でれ……?」

 「この世は駆け引き飴と鞭ですからね。姫様ももうお年頃なのですからその辺も覚えませんと!」


 あれよあれよと筆を握らされた寧子はぽかんとしたままだ。

 一周回ってなにかおかしな物語でも読んでいるような気になりながら、私はそれを見守るのだった。



 (はて、私はこの子の結婚した姿を見るまで生きられるのかしらね……)






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