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八、ねこは木に登る

 高かった陽もだいぶ傾いて、薄暗くなった部屋のあちこちに灯りが灯された頃私達はお屋敷に帰る事となった。


 「こんなに長くいるつもりはなかったのに。疲れたでしょう」

 「いえ!とてもよくして頂いて、楽しかったですよ」


 元典侍という肩書のせいか色々と挨拶があると春日居様や他の数えきれないほどの方とお話されていた母様はやや疲れた顔をしている。私も楽しかったのは本心であるが、他人とこんなに長い時間話すこともない生活なので、正直だいぶかなり疲れている。しかし、どちらかといえば精神的な疲れの方が大きいので解放された今は割と元気だ。

 陽が落ち始めてすこし冷たさを感じる風が心地いい。

 

 


 「お止めくださいませ!」



 不意に聞こえた声に足を止めた。母様も声に気付いたようで同じく足を止め、声のした方を見遣っている。


 「どうしたのかしら」

 「大方酔った男性がどこかの令嬢なり女房なりを手籠めにしようとしているんだわ!女の敵!奥様、私少し行ってまいりますね!」


 憤りを隠す様子もない淡浪様がむんと胸を張り、母様が止める間もなく声のした方へずいと向かっていった。


 「淡浪ったら、仕方のない人。でもそうであるなら一人では心許ないわね」


 それはそうだと頷き合って母様と二人で淡浪様を追うと、廊下の先には立派な木の植わった中庭があった。中庭に沿った廊下で年若い女性が数人、淡浪様と口論になっているようだ。


 「お止めなさいな!めでたき陽月の節の日になんということ!」

 「なによ!女房風情がわたくしに指図しないで!」


 気の強そうな少女が淡浪様に食ってかかる。その手には鮮やかな衣が握られ、近くには衣を乱した少女が蹲って泣いているようだ。いじめの現場、というやつらしい。


 「わたくしはこの子みたいな地味な子にこの色は合わないわと言っただけ!あなたには関係ないでしょう!」


 こんな場所で難癖をつけて衣をはぎ取っておきながら全く悪びれもせずそう言い放つ様子に、人の愚かさを感じていると母様が一歩前へ進み声を張り上げた。


 「お止めなさい!」


 その声に少女はびくりと震え、その手から衣を取り落とす。その時、運悪く強い風が吹き衣を天に舞い上げ、夏用の薄衣だったせいもあり抵抗なくふわりと舞い上がった衣はさらに運悪く木の上の方に引っかかってしまった。


 「立花の娘ですね。貴女のした事は御父上にご報告させていただきます」

 「な、なんで……!わ、わたくしは悪くありませんわ!」

 「悪いかどうかお決めになるのは御父上です」


 射貫くような瞳でそう言い放つと、少女は顔を青褪めさせながら取り巻きの少女を連れて足早に立ち去ってしまった。


 「大丈夫ですか。貴女は……佐久夜のお嬢さんですね」

 「は、はい、ありがとう、ございます……あの」

 「月波良と申します。しかし、困りましたね」


 おずおずと顔を上げた少女の方を優しくひと撫でして、母様は木の上を仰ぎ見た。

 衣はすっかり上の枝に引っかかってしまったようで、落ちてくる気配がない。


 「ど、どうしましょう……あんな高いところ……」

 「お待ちになって、人を呼んできましょう」


 母様の声に頷いた淡浪様が足早に元来た廊下を戻っていく。


 「あの、すみません。お帰りの途中だったのでしょう?お手間をかけさせてしまい……」

 「お気になさらず。勝手に口を出したにすぎませんので」


 端の方だからだろうか、灯りのない廊下ではその表情は見えずらかったが、そのか細い声から申し訳ないという気持ちがひしひしと伝わってくる。

 はたはたと時折吹く風にたなびく衣を眺めていると、足音が帰ってきた。


 「姫様!こちらにいらっしゃいましたか!」

 

 やってきたのは淡浪様ではなく、どうやらこの少女のところの女房のようだった。叱り飛ばすような声色に少女はびくりと震える。


 「全く、あの場を動かぬようお願いしたではありませんか!……あら?上の衣はどうなさったのです?」

 「あ、ごめんなさ……立花様に呼ばれて、あの、衣は……」


 おずおずと答えながら指先をそっと木の上へ向ける。苛立った様子を隠そうともしない女房様が訝し気に見上げて今にも卒倒しそうな悲鳴を上げた。


 「まああ!なんてこと!折角今日のためにと旦那様がくださったものを!どうしましょうどうするのです!」


 その怒りと動揺を真正面から浴びた少女は今にも泣きそうだ。口を挟むべきか他家のことであるし黙って見守るべきか悩んでいると、淡浪様が一人で戻ってこられる。


 「お待たせしました。ですがすみません、今はちょうど手の空いている者がいないようで……」

 「ああ、そんな!誰か一人くらいいないのですか?」

 「え?ええ、今ちょうど祭の夜の部がはじまった頃ですし、陽が落ちて警備も増やす時間だそうで待ってほしいと……」

 

 押し倒さんばかりの勢いで淡浪様に掴みかかった女房様はその言葉を聞いてへなへなと座り込んでしまった。そうなってしまうほど、あの衣は大事なものなのだろう。それならば。



 「あの、私取ってきましょうか?」



 お屋敷の桜より高いが、山寺にいた頃はこのくらいの木に登っていたのだ。久しぶりとはいえ、問題なく登れるだろう。


 「寧子、ここは宮中です控えなさい」

 「ですが……」


 母様に厳しい目を向けられたが、頭上でひらりと風に揺れる衣は柔らかく、またいつどこぞへ飛ばされてしまうかわからなかった。


 「大丈夫です。立派な樫の木ですし、枝を折って落ちる事もないでしょう。人が来る前に行ってまいりますね」

 「寧子!」


 次に大きい風が吹けば飛ばされていってしまうだろう、私は母様の制止の声を振り切り欄干を飛び越えようとして、そこで長い袖が目に入った。さすがにこれだけ長くひらひらとした衣を纏ったままでは登りにくそうだと思ったので、勢いよく袖を抜く。薄暗いし人目もないから許してほしい。袴の裾もぎゅっと縛って抜け殻のような衣を置いて私はひょいと庭へ降りた。


 「な!このような場所でそんな格好……!

 「あ、あああの、い、いけません私などのために……!」


 信じられないといった声を上げる女房様と慌てて呼び止める少女の声を背に、手近な枝を掴んで幹を登る。やはり衣を置いてきて正解だった。急がねばと常より早い速度で枝を登り、無事に枝に囚われていた衣を取り返す。さらりとした衣を大事に胸に抱いて、ひっかけたりなどしないように安全第一で降りていき、そしてあとわずかというところで風が吹いた。

 運のないことで、次の枝に手を伸ばしていたところだった私の袖は舞い上げられて少し上の枝に引っかかってしまい、思うように動けなかった腕が枝をつかみ損ね体勢を崩してしまう。左手に抱えた衣を離してはならないと思ったばっかりに立て直すこともできず、なにか破れる音とともに浮遊感が身を包んだ。

 不意に自由を取り戻した腕を伸ばして掴み損ねた枝を掴むことに成功した私はそのままひょいと地に降りる。飛んで降りるにはやはり少し高かったようで衝撃に足がびりびりと痺れる。


 (いっっ!)


 しばらく耐えて足が落ち着いてから左腕を見れば、そこにはちゃんときれいなまま衣が抱えられて安心した。取れましたよと笑顔で母様たちのいる廊下を見れば、皆して欄干にしがみつくようにしてこちらを見ているし、登る前は居なかったはずの顔もそこにあった。


 「崇人、様?」


 それは崇人様で。首を傾げる私の声にはっとした崇人様は廊下に残された私の抜け殻をひっつかむとひらりと欄干を越えて庭へ降り、大股でずんずんと近付いてくる。

 私のもとまで来ると抜け殻で私の身を包み、そしてすうと息を吸った。


 「な、にをなさっておいでか!死にたいんですかあなたは!」

 「ご、ごめんなさい……?でも、そこの方の衣は無事ですよ」

 「あなたが無事じゃなかったところですが!?」


 ほらと衣を見せれば、火に油を注いでしまったようにすごい剣幕で怒られてしまった。

 私としてはそんなことより落ちかけたところを見られた事と、上の衣は抜け殻にしてきたので下着同然の姿を見られたこと、ついでに今顔も丸見えな事の方が問題なのだが。


 「寧子!無事ですか!?」

 「姫様!」


 崇人様の怒声に固まりが解けたらしい母様の慌てた声と、駆け寄ってくる淡浪様にはっとした。はっとして、ばっと自分の袖を見る。それは見事に破れて風通しがよくなっていた。


 「あの、あの、私は大丈夫です。えと、お恥ずかしいところを。そ、袖は帰ったらすぐ繕います!」

 「袖など私がやりますから!姫様、お怪我はございませんね?」

 「ないですないです元気です」


 ぺたぺたと体を見分されながら慌てて無事を表明すると、淡浪様も母様もほっとしたように息を吐いた。


 「あの、お見苦しい所をお見せしました。これ、どうぞ」


 まだ息を詰まらせたように固まっている女房様と少女にそっと寄って腕の中の衣を差し出す。少女が大きな目を零れ落ちそうなほど見開いたまま受け取り、呆然としたまま確かめるようにぎゅうと衣を抱きしめた。生まれも育ちも尊い身に私の様はそれはもう衝撃だったらしい。儚げ美少女に悪いことをしてしまった。


 「あ、ありがとう、ございます……。私のために危険を冒してくださって……。とても勇敢で、素敵で、まだ胸がどきどきしております……。お怪我がなくてよかった。お礼をいたしたいのでどうかお名前を教えてくださいませ」


 受け取った衣をぎゅうと胸に抱いた彼女はぱちぱちと瞬きをした思ったらそのまろい頬を薄暗い廊下でもわかるほど赤く染め、目を輝かせる。少し予想外の反応だ。


 「ええと、月波良 寧子と申します。でもお礼なんてそんな、私が勝手にやったことです。お気になさらず」

 「ねこ……寧子さん……。いいえ、私本当に嬉しかったのです。絶対お礼をさせてくださいませね!」


 いじめられて泣いていたなんて感じさせない突然の押しの強さに、私はただ曖昧に頷くしかできなかった。ちなみに彼女の女房様は結局私達が去るまでずっと固まっていた。……なんか、ごめんなさい。







 「ねえねえご存知?月波良様のところの養女が天女のように木の上にかかった衣を取ったのですって!」

 「生まれはわからず、育ちは山寺と聞いたわ。もしや本当に天女様なのやも」

 「月波良様ともなると天女の子を養女に迎えるのね……」


 そんな話が宮中を駆け巡っていることを寧子が知るのは、いつのことやら。



アクロバティック姫


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